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 出家、日本をゆく(ブログ日記) 
11月18日(金)
巣鴨の学習会は、奈良時代の行基を終えた。

70,80代の方々が、すばらしい笑顔をみせてくださる。この場所をはじめてよかったと思う。

行基といえば、奈良・大阪のため池づくりや、東大寺の大仏づくりの貢献者として知られる。

当時民衆の支持をえていた行基が、大仏づくりの資金・労働力を集めることに貢献した、
だから「大僧正」という、仏教界トップの地位についたのだというのが定説。

だが、行基は30代後半から、道場、布施屋(庶民の救済施設)、灌漑事業に邁進した。

その活動の大義は、慈悲の実践――民衆の利益になることをカタチにする、
という明確なものだった。
民衆には、過去の罪業を浄化し、よき来世を期待するには、
施しをすることだと説いた。

布施といっても、民衆から坊主へという、今に残る"坊主に都合よきこじつけ"ではない。
あくまで、民衆から民衆へという、善意の橋渡しである。

だからこそ、民衆はよろこんで行基の事業を手伝った。
平城京東の山ろくには、行基の説法を聞きに、ときに万をこす民衆が集まったという。

その行基が、ほんとうに、大仏づくりなる酔狂なプロジェクトに身を投じたのか?
というのが、私のすなおな疑問だった。

過重な租税と労役にあえぐ当時の民衆にとって、
聖武天皇がうたう国分寺の建立、度重なる遷都、そして大仏づくりは、

苦しい負担にさらなる重石を課すようなものだ。行基はほんとうに動いたのか?

おそらく、聖武天皇は、行基の名を利用したのだと思う。

「あの行基も協力した国家的大事業だ、民衆も協力せよ」という権力者らしい演出。

大仏づくりの掛け声からわずか2年での「大僧正」。だが、鋳造すらはじまっておらず、
大仏づくりは、その翌年いったん頓挫している。
「大僧正」に任じられたとき、行基は78歳で、逝去まで4年足らずの老年である。

続日本書記には「勧誘す」とある。「誘」は、当時は「あざむく」の意。
最初に行基を弾圧したときにつかった言葉そのままである。

行基の活動は変わらなかったのではないか。

それを「勧進」(支援)と読み替えたのは誰だったか。歴史学者の読みちがいか。

ほかの史書には、行基が大仏づくりにかかわったという記述はない。

行基が大仏づくりに貢献、という図式は、あまりに権力者に都合がよく、
また激しく道を求めた行基に不自然なのである。

権力者の思惑は、いつの時代も似ている。
聖武天皇には、民衆にとってのアイコン(聖者)である行基の名を利用して、
大仏づくりを推し進めようという意図があった――。

そんなことを感じるのは、行基と、インドで活動する佐々井秀嶺師が重なってみえるからだ。

佐々井師もまた、自分なりの菩薩道をはげしく追求し、インド民衆の支持をえてきた。
その名が大きくなればなるほど、その名を利用したがる政治家もでてきた。

行基も、佐々井師も、正真の出家である。

私は、佐々井師の活動をこの目で見てきている。その体験から想うのだが、

行基は、おそらく、聖武天皇の思いつきに飛びつくことはなかったと思う。

仏教を、歴史としてとらえては、ただの知識として素通りしてしまう。
ナン年に、誰ソレが、こんなことをしました(ふーん)、で終わってしまう。

しかし、「真実の道を生きる」という出家の目でとらえると、
歴史としての仏教は、ちがう見え方をしてくる。

知識も、伝統も、誰かに都合のよい思いこみにすぎないことが、ままある。
日本仏教には、なおさらかんちがいの部分が大きい。

だから、私はこう伝えている。

いっさいの思いこみをすてよう――。

今感じているこころを軸にすえて、

自分ならばどう動くか。どう考えるか。
自分にとってほんとうに必要なものか。ほんとうに役立つものか。

自分にとっての現実(リアルなこの人生)をこそ、学びの道の出発点にすえるべきだと思う。

自らのしあわせに必要なこととそうでないことの区別がつくだけでも、
人生はがらりと変わる。

自分にとっての真実か否か、の区別がつけられるようになることも、
ブディズムを学ぶ功徳(メリット)だ。

20日、23日の道場もまた、そういう心の眼を開くためにある。

道を求めるひとよ、神楽坂で会いましょう。