仏教講座スケジュール

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8月15日に想う・・・

8月18日(土)午後6時半~8時半
夏の終わりを仏教で惜しむ会  テーマ自由の仏教学習会
仏教がわかる。コワイ話も聞ける・・・。神楽坂にお越しください。

8月15日
朝出かけるときに公園を通る。
なぜか夏になると、路(みち)にミミズが這っているのをよく見かけるようになる。

大半はもはや干からびて、茶黒い干物になってしまっている。
タイにいた頃、寺の犬たちとよく散歩した。犬たちはときどき地面に鼻先をつけて、カシカシと何かを噛むしぐさをする。それが渇き死んだミミズだとあとで知った。

ミミズたちは、おそらく場所をなにかの理由で変えようとしたのである。どこに求める場所があるのかは分からない。ただ光を感じる方向へと這いだして、あてどない旅に出る。

そのうち、太陽が照り出す。ミミズはわけもわからず体が焼けていくのを感じる。脆弱な皮膚はなすすべなく日に射られ、苦痛に悶える。土に潜ろうにも、人間が踏み固めた堅い地板である。なすすべもなく焙られていく。

あるいは体力つきて、路上で止まってしまうものもいる。すかさずアリが噛みついてくる。間もなく、黒く残忍なアリの大軍が押し寄せてくる。ミミズは全身を噛みちぎられ解体されていく苦しみを、わけのわからないまま引き受けて、不意の死に引きずり込まれていく。

夏になると、にわかに朝忙しくなるのである。
路上で這っている、あるいは疲れて止まってしまったミミズを見つけては、つまみあげて、ときに水をかけて、草葉の影をみつけてそっと落としてやる。

ミミズからすれば、自分に何が起きたのか分からないだろう。
でも見ていると、湿り気は感じるのか、居心地よさそうにそこでじっとしている。

小さな公園の路だが、見渡すと累々とミミズの焼死体が転がっている(みなさん、ぜひ今度見てみて下さい)。
数え切れないくらいの死が、このひと夏に起きている。
近所の公園のミミズ一つで、それは顕(あき)らかに見える。

せめて、せめて、見つけたミミズには、死なないでもらいたいと思ったりする。

ひんやりした土の中で残りの人生をまっとうしてほしい――。

その午後は、有楽町にある相田みつを美術館を訪ねた。(詳細は後日)
国際フォーラムには、夏休みのイベントにやってきた親子がいっぱい。
楽しそうに飛びまわる子供、親と一緒にお弁当をほおばる子供。

彼らのこの瞬間にはなんの苦痛もない――と思った瞬間に、その幸福感が白く閃いて、一帯が光り輝いてみえた。

67年前には、この一帯は焼け野原だったのだろう。
日本各地の空襲で、三十万を越す人々が焔の中で死んだ。
8月のわずか4日間に、原爆で二十万以上の人々が熱の中で死んだ。
昭和を通じた戦争で、いったいどれだけの数の命が失われたか。

8月15日は、その苦しみがようやく止んだ日。

戦争の痛みは、明らかに遠ざかりつつあるように思う。
特に今年は、オリンピック騒ぎで、戦争を想う声がひときわ遠かった気がする。

“敗戦”から終戦“へ。そして日本人の誰もが戦争を知らない遠い時代へー―。

致し方ないことか。しかし、現実の苦しみは、今なおカタチを変えて生まれ続けている。

たとえば愛着ある故郷を突如奪われて、今なお戻れない人々がいる。
戻れない彼らの痛みを何も感じず、問答無用とばかりに再稼働にひた走る一部の者たちがいる。

痛みは、どこにでも転がっている。満ち満ちている。不条理に。

せめて、その事実に想いを向ける心だけは失うまいと思う。

生きとし生けるものがみな幸せであれ、安泰であれ、安楽であれ――。
(スッタニパータ)

それ以外に想うべき真実があろうか。夏の日。