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基本は「自分にとっての真実」

9月23日

いよいよ風が涼しくなって、秋めいてまいりましたね――。

●私のほうは、この週末はけっこう充実していました。

○土曜午前は、カルチャーの秋講座がスタート。

受講生はシニアの女性たちでしたが、なかなか反応がよく。

仏教を学ぶ気がガゼンわいてきた!と語っておられました。よいクラスになりそうです。


○で土曜午後は、神楽坂で 寺子屋 と 夜の禅瞑想の会。

夜の禅はなかなか気合の入ったよきひとときになりました。

メトロノームを使って、音に合わせて感覚に集中して、最後は音をストップして静寂に落とす。

みなよく集中できていました。夜は灯りを消すとかなり暗くなるのもよい。

夜の坐禅会をふやそうかと思っています。雰囲気がよかったので(^。^)


●昨日と今日の教室で出てきた話題について――

出家というのは、形ではなく、”因縁を断ち切る”覚悟をきめた人 のことです。

「真実か死か」 という極限の二者択一を生きている人種 でもあります。

真実を見失えば、その身は死んだもひとしい。真実のない人生は、どうしても生きられない――。

必然、その生きざま・暮らし方は、はたからみれば、滑稽な、ちょっと不可解なものにみえてくるかもしれない。

しかし、そのような妙な生き物だからこそ、はたせる“役割”というのがある。

その役割は、ふつうに生きていてはまっとうできない、なかなかに難しいものだったりする。

その役割をはたすことで、かの激しく珍妙な生きざまは、はじめて社会的な意味をもつ。

なにかしら、“真理”に近いもの、人間をこえて、時代を超えて通用する、普遍的な生き方や思想性といったものが生まれる可能性もでてくる。

たぶん、私が知る佐々井秀嶺上人の生きざまもそういうものだし、ブッダ以来の仏者の伝統にはそういうところがあるように思う。

まずは己の真実をみきわめる 

→ その真実を生きる 

→ その時代・その社会において新しい価値・役割を発揮し始める 

→ いつしか、時代・社会を超えた“真理”、普遍的な生き方 といったものが浮かび上がってくる

という流れ。

土曜の神楽坂で、「真実を証明するのはどうやってか?」 という話題が出ましたね。

「自分では証明できない。それは関わりの中でしか証せない」 とお答えしました。

その言葉の背景には、今お伝えしたような、仏者の系譜、出家の生きざま、みたいなものがあるのです。

むろん、どの程度、“真実”にこだわるか、道をまっとうするかは、人それぞれ。

真実をみつける ことも容易ではないし、
真実に殉じる、というのは、なおさらいっそう簡単なことではないのでしょう。

しかし、これを生き方のフォーマット(定式)として引き直してみると、

①自分自身にとっての真実・たしかな意味 をみつける・みきわめる こと
     ↓
②その真実を心の土台にすえて、自分の現実を生きること。“この人生”をまっとうすること
     ↓
③そのことで、何か、ほかの人、この場所、この社会、この時代……に通用するような新しい価値を創り出すこと

という流れは、誰にでもあてはまるものではなかろうか。

どんな人生にもあてはまる正しい流れ=生き方の正しい筋道 のような気がする。

大切なのは、自分自身にとってのたしかな意味をつかみとること。
そのために、自分に誠実に、この日々を生きること。

ではないのかな。

そういう生き方の原点、のようなもの を共有できたらと思うのです。


☆みなさんにとって、よき一週間となりますように――。