仏教講座スケジュール

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映画『鑑真』と“ネコ”のその後

連休の神楽坂は
●9月16日(日)午前9時半~12時 禅エクササイズ
●9月16日(日)夜18時~20時半 手放す&ラクに生きる心のテクニック(★夜ライブ)
●9月17日(祝)午前9時半~12時 禅エクササイズ

9月7日(金)
今週はけっこう忙しかった。

●ひとつは、台湾の映画会社が作成した大作アニメ
『鑑真』の字幕監修をさせていただいたこと。

鑑真というのは、日本史の教科書に出てくるあの唐のお坊さん。

日本初の“戒壇”(仏教徒に戒律を与える儀式の場)をもたらし、
唐招提寺を建てた人といわれる。

中国語から日本語に直された台本の言葉を、日本人に伝わる表現に移し替えていく。
仏教用語や地名なども日本語を当てていく。難しい言葉もあるが、勉強になった。

鑑真さんは、日本への渡航に足かけ12年を要した。6回目でようやくたどり着いた。
その途中に感染症(海の水が原因らしい)にかかって失明。
ということは、日本の景色を一度も見ていないのである。

一般の感覚でいうと気の毒(日本にいこうと決意していなければ失明することもなかった)。

でも、仏者の心でいえば、仏法(ブッダの教え)だけあればよいのだから、どこにいても同じ。

たぶん鑑真さんは盲目であることを気に病まなかっただろうな、と感じる。

字幕チェックの場を覗きにきた台湾のおばちゃんが、
鑑真が失明したのは糖尿病かもヨ」と、なんとも非道な冗談を飛ばしていた。戒を知らぬは、げに恐ろしいものである・・・。

ちなみに、鑑真和上が今の日本人にとって存在感が薄いのは、きっと、坊主たちが戒律を破りまくって平気でいるからなのだろうな、と思った。

9月21~23日と、東北で無料上映されるのだそうだ。
ちょこっとお役に立てたかもしれない。


●6日木曜は巣鴨の教室へ。今回は「禅問答で悟りは開けるか?」がテーマ。

とんち問答1
寺の東西二つの堂衆が、一匹の猫(の所有)をめぐって争っていた。

南泉(なんぜん)和尚は猫をとりあげてこう言った。

誰の所有かを言え。言えれば救ってやる。言えなければ斬る。

さて、どう答えるか?

答えは難しくない。「ワタシの所有です」とその場で答えればいい。

だって、それ以外は聞かれていないから。

所有(持ちモノであること)を“証明せよ”とも聞かれてないし、
禅問答なのだから何か深い意味をもつ言葉を返せとも言われてない。

聞かれたことに邪念なくストレートに答えれば、「○○の所有です」だけでいいことになる。

ただこれは改題したもので、オリジナルの問答は別にある。

和尚が猫をとりあげたところまでは同じ。 で、和尚いわく、

これぞ禅だという言葉を言ってみよ。
言えれば猫は救ってやる。言えなければ斬る」

堂衆、誰も答えられず。猫は斬られた。

その晩、趙州(じょうしゅう:南泉和尚の弟子で、のちに唐代随一の禅僧になる)が帰ってきた。昼間のエピソードを聞いて、趙州はこう返した。

履(くつ)を頭にのせて退室いたします

南泉和尚は言った。「お前がいれば、猫は斬られずにすんだものを」
(「無門関」という禅の古典から)

この「履(くつ)を頭にのせて退室」の真意を答えよ、というのが問題。

「??? ワケわからない」というのがたいていの反応。


じつはこの問題、女性にはあまり評判がよくない。
「(考えるのが)メンドくさい」
「いきなり猫を斬るとか言い出す神経が理解できない。アタマ変」

たしかに・・・・(^□^;)

今回思ったのは、
女性だったらこういう禅問答はアホらしくて考えないだろうな、
 ということ。

小理屈こねてああだこうだと論じているのは、たいてい男。

仏教の世界でも、禅問答だけでなく、
在家<沙門<比丘<長老<大長老 というヒエラルキーとか、
女性は比丘になれないとか(タイやスリランカ)、
女性は悟りを開けないとか(これもタイやスリランカ)、

アホらしい理屈は(めっちゃ)たくさんあるが、これを考え出したのはみな男。

(ゴータマ・ブッダではありません、念のため。)

考えてみると、こういうアホな発想・思考・議論というのは、
多くは男が作り出したものかもしれない。

だから、伝統仏教は、小理屈や煩瑣な知識ばっかりで、心に訴えてくるものがないのかな、
とちょっと反省した次第。


今回はとりとめなく・・・。