仏教講座スケジュール

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「今の自分がしっくりこない」ひとへ

10月17日
今月末から始まる都内某区の 「おもしろ仏教講座」 は、定員をダブルオーバーの応募をいただいたとか。満員御礼です。ありがとうございます。

人生で、関わり ほど大切なものはないと思う。
人生は、関わりにおいて ”よき役割を果たす”ことでヨシとする。それ以外は雑念だと思う。

ひとつの役割をさずかれること、果たせることは、ありがたいこと(合掌(^m^))。


●さて、今進んでいる「仏教のきほんを学ぶ講座」で、
迷いの生存」という言葉がでてきた。

迷いの生存というのは、ひとことでいうと、「現実とのずれ・ギャップを感じている状態」。

「これでいいのかな」というクエスチョンや、満たされなさ、というのも、迷いの生存。

怒りで一杯になって、イライラと落ち着かない状態も、
妄想で一杯で、フラフラ、ぼんやりしているのも、
あれこれと、次々に求めてばかりで、落ち着かない・せわしい気分も、
迷いの生存だ。

対極にあるのが、“目覚めた心”。 
今この瞬間に不足を感じない。心が定まっている。
確信があって、充実感・肯定感に満ちている。

○もともと、人間の心に、”不足” (これでいいのかな?)と思わせる機能(プログラム)はない。

動物なら、苦痛はあるだろうけど、その状態以外の状態を 「想像」 したりしないから、
心はいつも 「今」 に定まっている。ナチュラルに集中できている。

幼い子どもも、ナチュラルに集中できる。余計なことを考えないし、すぐに忘れるから。

人間が 「迷いの生存」に入るのは、
あれこれと過去を振り返ったり、
まだ手に入れていないものを欲しがったり、
考えたり、怒ったりして、
心が今に収まらない、フラフラと想念(アタマ)の中をさまようことによる。

これは(中途半端に)高度な知能を持ってしまった人間特有の症状である。


○実は、この世の中は、私たちを「迷いの生存」に引きずり込むようにできている。

たとえば親や世間は、子どもに対して、あれこれと期待を降り注いで、
「これをクリアできれば承認してあげる」 というサインを送り続ける。

学校の成績を上げるとか、よい学校に進むとか、世の中がよしとする会社・職業につくとか、

こういう、誰が思いついたのかよくわからないハードル
(=乗り越えることに価値があるとされる記号)
をクリアしなさい、
と親も先生も、その後の社会も、手をかえ品をかえ、メッセージを送ってくる。

ひとは、いつの間にか、「そんなものかな」
「それを手に入れると有利なのかな」 と思うようになり、
それを自らがめざすべき目標として、心深くにインプットしてしまうようになる。

世の中が語る モチベーション(やる気・動機) というのは、まずほとんどが、「これを手に入れると有利」 という価値観で作られている。

出世する、業績を上げる、ほめられる、高収入を得る・・・・といった価値観。

巷で人気らしい 自己啓発・セミナー の世界もまた、
こういう、「いかにも外れのない」、誰もがめざして当然と思えるような記号 を目標として押しつけてくる。

「成功したいだろう」「一段上の自分をめざそうじゃないか」「自分を変えればなんだって実現できる」 と彼らは目を輝かせて語る。

で、聴衆は、「そうかな」と思って、次に「よしがんばろう」となる・・・・。


●はっきりいえば、こういう世の中でもてはやされる価値観 こそが 
「迷いの生存」に迷い込ませる魔の声なのだ。

もともと、世の中にある価値観、”上昇のシンボル(目標)” なるものは、仏教でいえば、ほとんどが 妄想 である。

そんなものは、動物の世界にも、幼子の世界にも、真実がよく見えているブッダの世界にも、存在しない。それらは、欲望が作り出した妄想でしかない。

もともとなかったものを、さもそれがめざす価値あるかのように錯覚させ、
それを手に入れていないのは、自分がまだまだ(能力不足)なのだ、とか、向上心が足りないのだ、とか思わせてしまう、

世のシステムや他人の言葉自体が、「迷いの生存」 にひきずりこむトラップ(罠)かもしれないのだ。

人間には、欲も怒りも妄想も、あらかじめ過剰にインプットされているものだから、
ついついそれらをもって反応してしまう。信じてしまう。執着してしまう。

その結果、「今の自分」 とは離れたものを追いかけるようになるのである。

「このままでいいのかな」も、
「自分はまだまだ(ダメ)」も、
「イライラ・そわそわが抜けない」も、
「あれもこれもやりたいことがあって、しぼりこめない」も、
「あのひと・世間が間違っている、許せない」も、

どれも、自分自身にナチュラルに集中できてない、今の自分にたしかさがない、
という点で、「迷いの生存」 の中にあるといっていい。

迷いの生存とは、現実と自分とのあいだにギャップ・乖離を感じる状態だ。

言い換えれば、現実の中にいる自分に、自分自身が納得していない状態なのだ。


○さて、納得できずにさまよう人生は楽しいか? 楽しい時期もあるかもしれない。

でも、そんな毎日の繰り返しに疑問を抱いたり、
いまひとつ燃えない心を感じたり、
これからの人生に不安を覚えたりしたひとはどうするか?

そういうひとは、自分自身が心底納得できる あたらしい生き方を探してみるといい。

誰かのいうことや、世の中の価値観 は自分を納得させる力をもはやもたない。

そういうものは、他のひとたちに任せておけばいい。

それよりも、自分自身が納得いく生き方を固めることだ。

それは 発想のきりかえ である。それまでとはちがう発想で生きるのだ。
すると、ぽん、と迷いの生存から抜け出す。

そうなれば、あとは一生迷ったりしない。
満たされなさも感じない。

自分以外のものになろうとあくせくしたりもしない。


では、ちがう発想とは何か?
どうすれば、そのような発想がもてるのか??

答えは、仏教ライブで! (おいおいお~い!)