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この道の先 (iPS細胞と仏教?)

10月21日
●週末に、教室でいただいた“月謝”などを整理した。

今やっているいくつかの場所では、参加費とか月謝という形で、みなさんからいただくものがある。

こうしてみんなから受け取れるものがあるから、この命はつないでいける。

もしどこからも何も入ってこなかったら、この命は絶えるしかない。

言うなれば、この命は、こうして授かるつながりによって、生かされているのである。

なんともありがたいな~~~~~~~~~~~~~~~~という感じなのである。

ひとりひとりの顔を思い浮かべて感謝合掌するのである。

高齢の方々もたくさんいる。

ひとりひとりにもっと愛をあげたい。もっと愛せないものか――という思いが自然ににじんでくる。

●(笑)そういえば、昨年の秋頃、旧知の女性友だち(既婚で子供もいる)に、
インド向けのスピーチを録画してもらったことがあった。

午前から新宿を一緒に歩きまわって、ビデオを撮ってくれた。

午後別れる時に、あんまりにありがたかったものだから、こう言ってみた――。

「私が坊さんではなくて、あなたが結婚していなかったら、チューしてあげたいくらいヾ(@^∇^@)ノ♪」

すると、彼女は真顔で言った。

「いりません、そんなの」

――冗談なのに、なぜかさみしい坊主かな (TwT。)*‘゜*・~(龍瞬・心の一句)

●日曜の座禅エクササイズには、岡山県から男性が来ていた。

お盆にたまたま地元の書店で、私の雑念本を見つけたそうな。

「本を読む前と、読んだ後とでは、心の状態がまったく変わった」そうな。

それまではいろいろな大変なことがあって、自分の人生を降りることさえ考えたことがあったという。

でも、ブディズムは、そういう過去をみない。

過去になにがあっても、日が変われば、人間は生まれ変わっている。

(無常という真理は、人間が想像する以上にすさまじく早いスピードで起きている。真相は、瞬間瞬間で、心は死んで生まれての繰り返しといってよい)

もし、ひとが変われない、同じ人生がずっとつづく、と感じているとしたら、それは本当は錯覚だ。

それは自らの執着が作り出している錯覚。あるいは、自分の肉親などとの“つながり”を生き続ける中で生まれる “自我の再生” である。

もしそれまでの心の反応をいさぎよく捨てる道を選び、関わりから抜け出し、新しい世界・つながりに向き合い、つまりは新しい反応を育てるようにすれば、

執拗に繰り返してきた心は、徐々に再生する力を失って、新しいものへと入れ替わっていくだろう。それが生命の真相である。

今話題のiPS細胞の発見は、細胞そのものが 「初期化」(リセット) する性質を内在していることを示してくれた。

ド素人の推論だけれど、
恐竜が鳥類に変化したり、ゾウが海に戻ってクジラになったりしたように、生き物が環境に応じて体を変化させるのは、なにかしら、この細胞のリセット機能とつながっている気がする。

“そのままでは生きていけない“と細胞が感知したときに、遺伝子の組み換えが起こって、ある細胞は初期化したり、ある細胞は形質を変えたり、ということが起こるのかもしれない。

たぶん細胞のリセット機能というのは、生き物が環境に適応して生き延びていくためのプログラムのひとつなのではないか、なんて妄想したりする。

細胞以上に 心 というのは、リセットしやすい性質を持っている。そもそも物質ではなく、脳の中に生まれる 意識 という名の “現象” にすぎないからである。

もし、人間が、これまでの反応のプログラム・パターンをいさぎよく手放し、同じ反応を繰り返さず、新しい反応を刺激するようにすれば、心はいつでもリセットできるのかもしれない。理屈の上ではそうなる。仏教思想(たとえば無常)に基づいてもそうなる。私自身の体験にてらしても、たしかにそうなる。

男性にはこう伝えた。

「私には、あなたの過去は見えない。つまりは存在しない。
今生まれているのは、過去の人生とはまったくちがう、新しいつながり。
このつながりを育てていけば、それだけで新しい命が育つことになる」

実際、そうである。命を作るのは、「この自分(という過去の思いこみ)」 だけではない。“つながり”もまた命の構成要素である。

「この自分」とは別に、新しいつながり・関わりを作れば、それだけで、その分だけ、命というのは入れ替わるのだ。

だから、どんどん新しい関わりを創っていけばいい。

少なくとも、仏者というのは、ひとの過去を見ない人種である。

だから、心をリセットして、新しいつながりを作る上で、よき友・パートナー・応援者となってくれるはずである。

「今日から新しく生きていけばいいんですね。
明日からどんな発見があるのか、楽しみになってきました」 と語る。

明るい希望が表情に宿るのをみるのは、この仕事のよきさずかりものである。

現実の人生がどのようなものであれ、仏道においては関係がない。
仏道というのは、たどりつくべきゴール、戻るべきスタートラインというのは、ごくごくシンプルである。

いかなる思いに立ち、いかなる思いに帰り、最期のひと呼吸をいかなる思いをもって遂げるか――

それさえ分かっていれば、あとは今いるこの場所から、自分らしいペースで、自分らしい歩き方で、歩んで行けばいいのである。

そこには、一本の “道” ができている。

真実にめざめれば、そのとき、自分が立っているその場所に “道” が現れるのである。
あとは、その“道”を歩むだけだ。

もしあなたがブッダが示した道(仏教)を選ぶ というなら、この命は同行者のひとりになろう。

歩き方を知ろう。そして、実際に歩いて行こう――。

それこそが、道ゆく者同士の交わし合う言葉である。慈しみに基づく関わりかたである。
よき出会いであった。

●夜、宮城石巻の友人から、石巻への招待のメールが届いた。ありがたく、素晴らしいオファーである。

今の毎日は、心のつながりから自然につながっていくところがいい。
“リセット”して戻ってきたこの命は、たしかによき方向へと再生、展開している様子である。

この道は愛の道である。
この道の先の先まで、走ってまいりたい。
他の道は、もういらない――。