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友よ、みな――

12月2日
月に二度の代々木での炊き出し説法の日。

めっきり寒くなった。
午前に会場にいくと、顔なじみになったホームレスのみなが待っている。
ひとりひとりと挨拶して立ち話。

何人かが、賽銭を入れるちっちゃな筒を、私のほうに「チャリチャリ」と振って鳴らしてみせる。

この炊き出しの会は、とある仏教団体が主宰している。

災害救助・支援にとても熱心な団体で、
今回のアメリカ・サンディ台風の被害支援を日本でも募っている。

前回、ホームレスの人たちに、賽銭筒として使えるお汁粉の缶を配給したのだ。
彼らはその缶におカネを入れて持ってきてくれたのだ。
それを私に見せてくれた。にんまりしている。

いつも手話で「オンナ、好き」を繰り返す男性(言葉を話せない)は、今日はエスキモーみたいなフードつきの防寒着でいる。

私のほうをみて、いつものように、嬉しそうに、小指を立て、両手で輪っか(ハートマーク)を作って、「オンナ、好き」 を繰り返す。

何ヶ月か前に、彼と最初に会ったときは、意味がわからなかった。
手話が分かる人に意味を聞いた。

「バッカじゃないの!」とこのときは笑った。

彼は、ほんとうに人なつこい、目尻の下がった笑い顔を見せる。

今では、私も、彼にあわせて、「オンナ、好き」の手話をやる(おいおい)。
彼とのあいさつになってしまったのである。

他に、スマホを何台も持ち歩いている(私よりカネ持ち?)沖縄出身の男性。

昔の『週刊プロレス』の編集長に髪型が似ていて(わかんないか。頭頂部の髪がなくて、耳からの毛が長い)、「よっ、編集長!」と声をかけるとあいさつを返してくれるようになった男性。

最初の日は、背中のナマズの入れ墨をこれ見よがしに見せ、トランクス一枚で肩で風を切って歩いて見せて、他のホームレスにケンカを売りつけたかなり問題児の男性。

彼とはその日、つきっきりで話を聞いて、それ以来友だちになった。

二回目に彼が来たときは、いでたちをすっかりきれいに整えて、「こないだは失礼しやしたぁ」と笑顔で言ってきた。
「そのほうがむっちゃ男前やで(^▽^)」と私も関西弁で返した。

ほかに、「出家したいんです」と一年前に言ってきた初老の男性がいた。

「もう出家してんじゃん。出家って、英語の辞書ひいたらホームレスだよ」と返した。

彼は、仏縁あって、今は韓国の寺の寺男(使用人)をしているらしい。

いろんな人生を垣間見る。
毎回、200人から250人のホームレスが集まる。

最近はみな、いい笑顔を見せてくれるようになった。

スタッフの人が、私のインド行きを伝えてくれた。

マイクで、
「あと2週間で、くさなぎさんはインドに旅行します」
と言う。

ほかのスタッフが小声で、「(旅行じゃない)修行!」「仕事!」とあわてて言う。
その声が聞こえて、ホームレスの皆が笑う。

私の番になって、マイクを手に取り、

「とつぜん“旅行”することになったくさなぎ龍瞬です」

と言うと、大笑い。

「冷たさが応える季節になった。 
でも、この冷たさは、必ず終わりがくる。
寒い、寒いと言っているうちに、必ずあたたかい春が来る。
それを待とう。それはひとつの希望になる。

生きることの希望って何だろう?

仏教では、ふたつの希望がある。

ひとつは、よろこび(快・楽)を追求すること。

これは、大きなよろこびでなくてもいい。
今日これから食べるカレーのあったかさを、あったかいな、おいしいな、と感じること。それもよろこび。

自販機のとり忘れたお釣りを見つけるのも、よろこび(笑)。
そのときは「シメシメ」ではなくて、「(忘れてくれた人に)ありがとう」と感謝しよう(笑)。

この炊き出しも、ちっちゃなよろこびにしてもらうために、毎回やってる。

ほんとは、“熱燗(あつかん)”でもふるまいたい。冬の熱燗をみなで飲むのって、希望だと思わない?(拍手)。

でも、仏教ではお酒は禁物。私はお坊さんだから、熱燗はあげられない。お話だけ(笑)。

ちっちゃなよろこびを大切にすることと、

もうひとつの希望は、今ある苦しみのおしまいを迎えること。

人生に起きるどんな苦しみにも、必ず終わりがくる。
仏教には八つの苦しみがあるって、前回話をした。
どの苦しみも、死んだあとには持っていけない。
つまりは、生きている間だけ。必ず終わりがくる。

だから、苦しくなったら、「いずれ終わる」と思ってみよう。
この冬の冷たさも、必ず春の暖かさにとって代わるときがくる。そのときを待とう。

今日、ここに来たときに、賽銭筒を振って鳴らしてくれた人が何人かいた。
すっごくうれしかった。誇りに思った。

私は、この場所で善き友に恵まれました!

では、みんな、おいしいカレー食べてください。私は旅行に行ってきます!」 (爆笑&拍手)


カレーの配給のときも、ポケットから賽銭筒を取り出しておいていく人が何人もいた。
「わずかで申しわけないけんど」と、チャリンチャリンと落としていってくれる人もいた。

「ありがとう。うけとりました――」

正直、ここまでたくさんのホームレスの人が、サンディ台風のために布施を入れてくれるとは思わなかった。 

心が育ってる、と感じた。

食事後に、手塚治虫に似た鼻の大きな男性がやってきて、
「よいお年を」とハグ(抱擁)。

あるご夫妻は、生活保護を受けて大久保にアパートがあるのだけど、その部屋が自分たちのゴミで埋まってしまって、そこから「避難して」公園で野宿をしているというよくわからない二人。

夫の男性は、裸足にサンダル履き。「冷たくない?」とやらかいほっぺをさすってあげるとニコニコする。

妻の女性は、兵庫の山奥の両親が最近つづけて亡くなって、かなりこたえてしまって、郷里に戻るべきかどうか悩んでいるという。

「戻りたくて、戻れるなら、戻るのがいちばんじゃないですか」と言うと、
「そう思います」という。

二人して何度も何度も振り返っておじぎの挨拶して去って行った。

「また来年ね」

「インドは暖(あった)かい? いいよね~。来年待ってるからね」

とみな声をかけて去っていく。

今日の炊き出しは、いつにもまして笑いが多かった。
彼らは友として私と向き合ってくれる。
私もまた彼らを友として関わってきた。

一年やってきた。たしかに友情が育っているように思う。


夜は、引っ越しグッズの買い出しの続き。
この気分をたとえるに、新婚の嫁さんが買い物に行く心境か(ちがうか)。

俗の言葉を借りれば、ルン♪という感じである(すなおに楽しいといえ)。


今日出会ったホームレスのみなの顔を思い浮かべる。

新しく始まったこの暮らしが失われたらと想像してみる。 

もし私があの公園で今夜野宿するとしたら?

念を入れて、冷気を呼吸する鼻先の感覚に集中してみる。


今一瞬。何ももたぬ無の心に還る――。


仏道というのは、どんな状況であっても現実をもって満たされていなければならない。

その意味で、
いかなる執着も手放せる心を覚えておかなければいけない。


ご苦労なことだと思われるだろうか――。

ただ、この心はつねに保っておかなくちゃいけないのだ。

それが仏者の流儀である。

なぜか。

いろんな境遇に道を通じておくためである。 

友よ、みな幸せであれ。