仏教講座スケジュール

●古い仏教のイメージから自由になりましょう。心の苦悩・現実の課題を越えてゆくことが、最も大事なこと。思い込みを捨てた時に、ブッダの教えの真髄がみえてきます。
●全国行脚、まもなくスタート! 講座、個人相談、法事など、ご希望者はご連絡下さい(クリック)
●仏教講座のスケジュールはこちらをクリック。 
●メール通信、配信中。
①お名前、②都道府県、③近況(本の感想・知ったきっかけ等も可)をひとこと 書いて koudounosato@gmail.com まで。※フリーメール着信拒否の設定になっていないか、ご確認ください。
●廃寺・空き寺・日本家屋を募集中! 生き方と教育と仏教をひとつの場所で――ご提供くださる方、ぜひご連絡ください。

春一番


3月1日

3月に入るのを待っていたかのように1日、春が吹いた。

もう白梅も開いている。公園の木々のつぼみは日ごとに膨らみを増している。

こんな日に、もし「この風はこれまでも感じたことがある」と振り返るとしたら、
それはもったいない邪念といってよいだろう。

今日この日の風は、この日だけの風として感じる。

風に「かつて吹いた」ものはない。いつだってこの日このときだけの風であるはずである。
その風を全身の感覚で感じとる。

気を詰めて、他の思いをアタマから追い出して、感じとる。

すると、からだを風が通り抜けていく。
からだも意識も消えて、風だけが抜ける虚空と化す。


昔、まだ出家どころか仏道からもはるか遠くをさまよい歩いていた三〇代なりたての頃、
学生時代の友人に再会して、
まだ落ち着けない私は一体何がやりたいのかという話題になって、

「光や風そのものになりたい」

ということを真面目に語ったことがあった(サラリーマンの友はそういう話をよく聞ける友だった)。

自分という枠を取り払って、解き放たれて、世界そのもの、自然そのものになれるような生き方はないものか――他人が聞けばまったく漠然としていて、まともとも思えないような発想だけれど、心の底にはいつもそんな思いがあった。

言葉にすれば「自由」、だが言葉としての自由を超えたどこかに心は向いていたのだろうと思う。

ただそういう世界をを求める心とは裏腹に、
あるいはそういう心がうずいていたからこそ、
現実の居場所に、どこにおいても、鬱屈とした物足りなさを感じ続けていた。

その鬱屈の中で、とにかく動くことだけはやめないで、
あちらこちらと扉を叩いてさまよい続けていたら、
いつの間にか、仏教という場所にたどり着いた。

たどり着いた頃は、まさか仏教が「光や風になりたい」という漠然とした想いに答えを出してくれるものだとは期待していなかった(そこまでダイレクトな確信が持てるほど、まだ仏教を知らなかった)。

ただ、それまでと同じように、漠然とした期待と、烈しく求める想いでもって、
仏教を学び、生き続けるうちに、
いつの間にか、自らも気づかないうちに、

「光や風になりたい」という、アホらしいといえばアホらしい想いにまともに答えを出してくれる方法に、近づいて、そしてたどり着いた、ということなのだろう。

公園で春一番になってみたときに、そうと知った。

ああ、自分はこういう心を知るために、
こういう一瞬になりたくて、
仏教にたどり着いたのだ――と。

おそらくひとが夢見るものの中でも最も荒唐無稽でとらえどころのない希望を、
かつての私はずっと心に持っていたのである。

まさか現実の、この世俗の世界のなかで、答えが見つかるとは想いもしなかった。誰だって想像するまい。

だが、答えを示してくれる世界があったのである。本当に。

「光や風になりたい」という人間は、
仏教の世界に、とりわけ禅の世界にあふれるほどいる。

その風狂な境地に、生涯をかけて挑んだ人間たちがたくさんいるのである。

世界は思いのほか広いのだ。ただ、広すぎて、一見では見つからないということなのかもしれない。広い宇宙のなかで異星の知的生命体がなかなか見つからないのと似ているかもしれない。

もしかするとひとは、
どんなに現実離れした想いでも、周りに理解されない夢やあこがれであっても、
かなう可能性を持っているのかもしれない。

直接ダイレクトにかなう夢ということになれば、それは限られてくるであろう。
だが、その夢を紡ぎ出している、もっともっと深いところにある心の方向性というのは、

もしかしたら、やがて必ずどこかの場所、
あとで振り向いて、ああ自分はこれを求めていたのかとはたと気づくような場所に、
ちゃんとつながっているのかもしれない、と私には思えてくる。

さらにいえば、たどりつけないような場所には最初から夢は見ないのかもしれない。

今何かを求めているとしたら、その想いには必ず答えがある。
必ずたどりつける場所がある、ということなのかもしれない。

今はその場所は見えないけれど――でも……である。

今いる場所は、必ずどこかにつながっている。 

つながりたいと思えば、その場所にたどり着きたいと思えば、
下手に過去にしがみつかず、
いろんな想いを手放して、
自分をゆるして、

たとえば、ただ今日この日の春一番を、素直に感じ取れるように努めてみることではないか。

透明な心で生きていきたい。