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春のような人生を

3月22日

国立(くにたち)で降りると、街が白い光にあふれていた。景色が軽い。

一橋大学通りの桜並木が、いっせいにほころびだしたのである。

日本の春というのは、それ自体が至高の芸術作品ではないか。

冬の冷たい季節があり、
そのなかに人々の忍耐と努力とがあり、
長い灰色の時間をじっとくぐり続けて、

いつしか一気に光の春と化す。

この日は、大学の卒業式の様子である(おめでとう!)。
袴姿の女子たちがちらほら(なんで黒ブーツなのか??)。

卒業・別れと、
新しい生活・出会いとが、

この桜咲く2,3週間のうちにめまぐるしく交錯する。

これほど多彩なひとの情を演出する季節というのは、世界に例をみないだろう。日本固有の現象なのではあるまいか。

NHK学園の冬クラスも、ひとつのしめくくりを迎えた。
原始仏教編を終えて、四月からは日本仏教編に入ることになる。

「宗教は信じること、仏教は理解すること。信じるのではなく、理解すること、というのがショックでした」とあるご婦人。

確かに、ブディズムというのは、何かを信じなさい、とは説かない。

それよりも、「自身の心を正しく理解しなさい、そうすれば苦しみから抜け出せます」と説く。

理解することで苦悩を解決できる、というのがブディズムの基本立場。

その立場からすれば、世にある宗教の多くは、適当な妄想を語って、それを適当に信じ込んでいる、という観がなくもない。

ただそのご婦人にお伝えしたのは、「理解すること」というのは、
信心のいっさいない、身も蓋もない(あえていえば科学的)理解とはちょっと違うということ。

むしろ、ものごとの真相、人生における真実というものを、深く正しく理解したとき、

そのとき見えてくる世界、開かれる境地、語られる言葉というのは、
まさに信心というほかないくらいに、強靭で、クリアで、広大で、深遠なものになるということ。

そのことを、ご先祖の位牌をどう扱えばいいか、というテーマをもとに、お話しした。

そのとき語った内容――故人へのねぎらい・感謝・報恩という心の込め方――は、まさに信仰というほかない世界。

だがそれは、正しい理解に基づいて合理的に導き出される内容である。出来合いの宗教を説くわけではない。

私は、これを信じましょうと説いたことは一度もない。

徹底的に「理解」したことのみを伝えている。

ただそのとき語られる言葉・内容というのは、
まぎれもなく、仏教というひとつの信仰である。宗教的真理になっている、と思う。

ひとびとは、理解につとめずして、ただ何かにすがり、信じることで救われようとする。

だが、それでは本当は救われないのである。
まずは理解しなければ。理解した上でおのずと現れる信心でなければ。

生徒さんたちと、終わってからお茶をした。
みな、人生のはるかな先輩たち。
私は彼らの子供よりもまだ若いらしいのである(笑)。

この二年半、ほんとうにいろんな場所で、人々に出会い、その都度、多くのことを学ばせてもらった。

私は、ひとつひとつの出会い、語らい、そして別れの中で、
自分自身の真実を確かめ、

あたらしく出てくるさまざまな問いに、ひとつひとつ答えを出してきた。

この道のりが、将来の寺のような、里のような、ひとびとが憩える場所へとつながっているのだろう。

私がこの命をまっとうしたときに、はじめて、私にとっての真実 (ひとびとが宗教と呼んでいるものと重なる何か) がはっきりするのだろう。

かつての日本の開祖たちと同じように、私もまた、宗派も寺もなく、
ただ自分自身の真実だけを道しるべにして、道なき道を進んでいる。

真実・真理というのは、こういう徒手空拳の、
自分以外に何の寄る辺もない道ゆきの中ではじめて磨かれていくものではなかろうか。


この春別れることになったひとびとには、感謝と慈しみを贈ります。

この春出会うひとびとには、喜びと友情とを贈ります。


人生はいつも、別れと一緒に出会いが来る。せつないけど楽しい。春と同じ。

できれば、この春の日のような、喜びが光かがやいて見えるような人生を送りたい。