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みちのく旅日記2~いろんなめぐりあい

5月30日

●午前に地元公民館でとある男性に会う。震災で息子さんを亡くされた方。

ご自身は当時公共施設の館長さんで、震災直後の対応に追われて、行方不明の息子さんをしばらく捜索できなかったという。

彼が抱えておられるだろう想いの数々を察そうとはしてみるが、そのようなことが叶うはずもなく。

ひたすら耳を澄ませる。ていねいに話してくださったことがしみじみありがたく。


○前回の石巻市長選に立候補して次点に終わったという元市議会議員のAさんがやってくる。

この方も身内の方を亡くしている。震災後に、仏教ほかの本を大量に読みあさったのだとか。どの宗教もごく当たり前のことを言っている。でもその当たり前を理解・実践するのが難しい、と語る。


●救いや安らぎ、希望――ひとによっては、それは心次第ですぐに手に入るものだという。

でも、それが計り知れなく難しいことだってある。否、かぎりなく難しいことのほうが圧倒的に多いのではないか。

この地で出会う人は、多くのものを失っている人が多い。もちろんこうして会って話しているときには、ふつうにそれぞれの日常を生きておられる方々である。

でも彼らの胸の内には、あの震災があって、そこで変わってしまったものがある。その思いを心深くに抱えてこうして生きている。

彼らがその胸に見ているもの・感じている想いというのは、私にはやっぱりわからない。けしてわからない――。


○ちなみにどの世界でもそうかもしれないが、政治の世界に生きる人も、もう上がってしまった人より、こうして目指すものがあって毎日努力している人のほうが魅力的かもしれない。Aさんは毎日いろんな場所を訪れてこうして言葉を交わして、自分の道を作っていこうとしている。がんばってほしいと思います。


●午後はお茶っこ(お茶会)。

正直、見ず知らずの僧侶のお茶会にくる人なんているのかな、という思いもあったけど、ちゃんと来てくれた。12名。そして社会福祉協議会の職員さんたちが休憩がてら。

元暮らしていた場所とは関係なく割り振られたため、みな最初は知らない人同士。今も隣がどういう人なのかわからない。でも少しずつ顔なじみになっていった。友だちもできた。

この仮設のあと抽選で復興住宅に移るのだとか。そのときには再びバラバラになる。また新しく人間関係を作っていかないといけない。これはけっこう負担らしい。誰と誰が友だちでというのをアンケートしてなるべく同じ場所に移ってもらうという手は可能なような気がするけど。

仮設の人たちがまとまるのはやっぱり難しいのだそう。誰かが上に立たないとって。でも誰かが立っても受け入れない人もいるだろう。

いったん失われたコミュニティを再生することは難しい。どの場所にも、長い時間をかけて作り上げてきたつながりがあったのだなと思う。それが失われてしまった。


○焦ってきた、という人もいる。元々美容師やってたご婦人で、体が動けるうちは仕事がしたい、ここを出られるようになったらお店を再開したいって。

たしかに私でも焦るかもしれない。「いつまでここでこうしているんだろう」と思えば、いてもたってもいられなくなってしまうかも。

震災後のストレスが高じたのか身内がガンになってたちまちに亡くなってしまったという人も。自分の身近な人が三人も立て続けに亡くなったそうだ。

「どうして自分だけがここにいるんだろう、とふと考える」。


ありがたかったのは、みなご自身の状況をよく語って下さること。

言うまでもないが、みな家を流されたり全壊したりでここに来ている。自身の身内だけでなく近所のあの人が津波で亡くなったとか行方不明だとか、ごく身近に喪失を体験している。未曾有(とんでもない)ことが本当に起きたのだな、と今さらながら自覚する。


○あとで聞いた感想なのだけど、「法話はしないの?」という声があったらしい(^□^;)。

今回は「お茶っこ」であって、「法話」はなし、という予定だった。というのも、仏教の話とかいきなり打ち出すと、ヘンな宗教だと思って敬遠する人が出てくるだろうと思ったから。

最初はじっくりお話をうかがって、なにが望ましいのかそのあとで考えていこう――という発想だった(弱気だったか?)。

でも、ここ二日お茶会やってみて、やっぱり仏教の話を聞きたくて来る人がほとんどだと思った(ただのお茶会ならそれこそ今日きた人も来なかったかもしれない)。

心のよりどころ、安らぎ――仏教がそれに確実に役立つとも思わないけど、でも仏教のいろんなエピソードを聞くなかでちょっと日常を離れられたり日常をちがう角度で見られたりという、心の変化は、ごくごく小さいながらも生まれるかもしれない。そういうところを心がけることこそが、大切なことなのかもしれない。

次回は、真面目に、仏教の話をお伝えしてみよう。

たぶん、抱えるものはそれぞれにちがっても、ひとが必要としているものは共通しているような気がするから。


○お茶っ子のあとは、子供たちがワラワラと入ってきて、駆け回ったり、DSやったりと、まー騒ぐ騒ぐ。

彼らは小動物に近い。ひとめ会っただけですぐに友だちになってしまう。坊さんも遊ぶ遊ぶ。


●夜は、きゅうり栽培の農家の方の家へ。

四〇年以上農家一筋で生きてこられて、そろそろ休みたいと思っている。農地を貸したいのだけど、震災・津波の影響で、地代が下がっている。なんとかよい借り手を見つけたいとのこと。

ふだんあまりしないお経を称えて差し上げる。

借り手が見つかりますように、というより、この土地が次のよき借り手のお役に立てますように、その幸せへとつながりますように、という願い方のほうが正しい。発想をちょっときりかえる。

本当の運気、善き因縁というのは、正しい動機で願ったときにはじめて訪れるものだ。

そうしたことを伝えて、経を唱える。

こういうのは、どれだけ純粋な、無心な心になれるかどうかがポイント。

善き方向での願いに百パーセント心を特化する。そのための経である。

そういう至純の心に達した時には、たしかに空気が変わる。心も変わる。
そうして、生活の向きがちょっと変わっていく。

法事や読経の意味というのは、そういうところにある。

よき変化への力を生み出すのが、こういう場の意味。
力を生み出すというのは、つまりは心変わること。洗われること。

「胸がスーッとした」とご主人。「今度は届いた気がする」。そう感じられたら成功(^^)。

実るときには実る。

大切なのは、どんな状況にあっても、心失わないこと。

ただ、心を整えて、心尽くして、よき心でそのときを待つこと、だろうと思う。

ご一家が、よきご縁に恵まれますように――。