仏教講座スケジュール

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道に立つ勇気

7月17日

○いよいよインドゆきが間近に迫ってきた。
今回は、雨季で水の汚れが最悪になる時期。大きな浄化装置を一基つくるところまで運ぶ。

目標は、村のモニター百世帯に試験配給するところまで。ひとつの山場といっていい。頑張って参りマス(=ヘ=)>

●どの教室でも、みな熱心に仏教を学んでくださるので、とてもありがたい。

先日ご自宅にうかがった八十歳のご婦人は、五時間におよぶ語り合いの結果、

今後の生活を、ひとつの課題に沿って過ごしていくことを決意された。

それは、これまでの人生を振り返って、
自分自身を深く理解することで苦悩から抜け出す」という課題である。

ひとは誰もが、寂しさ、悲しみといった思いを抱えて生きている。

ただそうした心のありようを深く見つめ、その原因をさぐって、そこから抜け出す、という課題をクリアしたひとは多くない。たいていは、心に抱え込んだ闇、錯綜(もつれ)というものを抱えたまま、つまりは自分自身がわからないまま、命を閉じてしまうことが多い。

たまに、自分の内なる苦悩があまりに激しくて、もう今のままでは生きていけない、という岐路に立たされるひとがいる。

そういうひとの中に、人生には苦しみが伴うという仏教的な真実を実感して、つくづく、もうこんな人生・自分はいやだ、と感じて、あたらしい生き方を探し始めるひとがいる。

ご婦人がそのひとりだった。あたらしい生き方とは仏教だった。

(私の本を、上下の耳を折り、マーカーで線を引きながら一生懸命読んで下さっていた。こうして誰かの心に深く届いていたことを知ると、私は厳粛な気持ちになる。届いていたことに深く感謝する。)

○誰か人間に執着し、依存したところで、その相手が、自分に幸福をもたらしてくれるわけではない。
むしろ、途中においては苦しめ合い、やがては喪失(別れ)という名の痛みを抱えることになることが多い。

その苦悩から逃れようとして宗教や信仰に走ったところで、結局、その宗教をその場しのぎの“なぐさめ”に使ってしまって、本当の安らぎ・自由にたどりつけないということはよくある。

というのも、妄想を抜け出すことは、人間にとってほぼ不可能と言えるくらいに難しいのだ。宗教を語る者たちは、みな人間である。となれば、宗教を語る者たちは、ほとんど妄想を語るに終わってしまう。それが自然な帰結であろう。

つまりは、宗教を信じるということは、結局はおおかた他者の妄想を信じることに他ならなくなってしまう。それはみなが薄々感じていることではないか。

(付け加えるならば、そういう宗教になぜ入ってしまうかというと、人間自身が妄想から抜け出せていないからであろうと思う。元から妄想に浸かっているひとの心には、妄想で作り上げられた宗教の本質が見えないのであろう。妄想は妄想に反応する。妄想は他者の妄想を真実だと見るのであろうと思う。)

だが、他者が語る妄想をいくら信じたところで、自身の心の苦しみが正しく理解できるはずもないだろうと思う。妄想と理解とは、まったく正反対の心の働きだからである。

妄想――他者が語る宗教という名の物語も含めて――は、苦しみを解決してくれない。その理解に立てるかが、今ある苦悩のゆく先を大きく左右するのかもしれない。

理解すること、この現実をそのままに受け容れること――その勇気を持たないかぎり、苦しみはいつまでもつづくかもしれないということ。

私たちは、あまりに無防備に、内なる我欲や執着や、ひとへの期待や妄想や、自己に都合のよい判断(思い込み)を生み続けてきたのではないだろうか。それでは苦悩にたどりつくのは道理ではないか。

たどりついたこの苦悩から抜け出すには、自らの苦悩と、その原因とを理解するしかない(四聖諦)。「何がわたしを苦しめているのか?」

ご婦人は、自らの過去を、自らの心に抱えてきた(見ないようにしてきた)思いを、正しく理解して、受け入れるという道に、ようやく立った様子だった。なんと尊いことだろう。

●今回生まれた奇跡は、ご婦人が、闘う――ことを決意されたこと。自らの心の闇と。自身の過去と。

さんざん苦しんできた。寂しさを抱えて生きてこられた――これからは、そこから抜け出すことを目標にして生きていかれてはいかがですか、と尋ねてみた。ご婦人はつよくうなずかれた。

ひとって、すごいな、と思う。

道を歩き出すのに年齢は関係ないのだ。ひとは、いくつになっても、いつからでも、力強く踏み出せる。

○夜の帰りの電車のなかで、私は、ひとがそれぞれに抱える苦しみについて考えた。

多くのひとが、計り知れない深く激しい苦悩を抱えている。

しかし、どの苦悩も、もしかすると必ず抜け出せる方法があるような気がする。

どんな苦悩からも抜け出せる方法――現実にはありえない夢想のような気もするが、しかしこの心はまじめにその可能性を追いかけているところがある。

それでいいのだと思う。きっとこの命は、命尽きるまで、そのはるかに遠い可能性を追いかけて生きていくことになるのだろう。

苦悩からの解放に向かってひとが歩き出す瞬間を見るときほど、喜びを感じるときはない。

こういう幸せへの方法も、この星の上にはある。たとえば、ここに――。