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たどりついた「島」

7月4日(木)

今日は巣鴨。
終わったあとに、ご老婦と近くの仏教大学へ。
9階にある見晴らしのよいラウンジで食事をご一緒する。

ご婦人は二十年ほど前にご主人を事故で亡くされた。
信心深いひとで、旦那寺にもよくお参りしていた。
だがある日、自分が趣味で集めた木のお地蔵さんを住職に見せたら、「こんなものはウチ(○○派)の教えに関係ない!」と怒鳴られ、ボキボキと折られてしまった。
あまりにショックで、それ以来お寺に足を運べなくなった。

巣鴨の仏教講座を区報に見つけて足を運んだのはそんな折。
出会った最初は、顔が修羅のようにひきつっていた。当時七十五歳。

今も補助輪を押して通ってくる。この場所が生きがいになっているとおっしゃる。

仏教がわかるようになって、いろんな苦しみから解放された。
大金を貸して返ってこなかったあの件も、今はようやく吹っ切れるようになった。
息子夫婦には「私の功徳(人助け)なんだ」と言うことにしているという。

今は自分がやりたいと思うことをやるようにしている。生活を楽しむ。それもこの教室で学べたこと。
そのおかげでこうして仏教大学の豪勢なレストランも見つけたし、からだに電気を通す健康法のお店に通うようになって、以来一度近く体温が上がって体調がよくなった、新聞の仏教関連記事の切り抜きもはじめた。「今は生きていることが楽しい」とおっしゃる。たしかに血色がいい。

●「ソウリョ(私のこと)は、あの頃から比べるとずいぶん日本人らしくなりましたねえ。最初はちょっと外国人みたいでした」と笑う。

巣鴨の教室が始まったのが2011年6月。ちょうど2年経つ。

たしかにいろんな体験を積んで、日本のひとたちが何を普段見聞きして、何を考えているのか、当時よりは見えるようになったかもしれない(外国人みたいな言い草だが、当時はほんとに半ば異国にいるかのような心境だった)。活動も生活も、あの頃に比べると着実に安定してきている。おかげさまである。

このレストランは、庚申塚通りの仏教大学の構内にある。著名なホテルが運営しているらしくて、高級感があって物静か。でも値段は学生客が多いとあって、それほど高くない。

9階のフロアから巣鴨、板橋の街並みが見渡せる。

私にとって何が豊かかといえば、こうして仏教を通じて出会った人たちと時間をともにすることだ。

彼らの声に耳を傾ければ、彼らの人生が垣間見える。そうして、人生という名のさまざまな時間を擬似体験する。

かつて、いろんな世界(職業)に道を求めていたとき、私のなかに生まれるのはいつも失望だった。それは、その仕事にたずさわることでひとつの世界しか生きられなくなることへの閉塞感にあった。

ひとつの仕事に就くと、つねにその仕事の時間に追われてしまう。その間にも、この星の上ではさまざまな人生が繰り広げられていて、笑ったり泣いたり憂いたり望んだりと、それこそ無数の物語が生まれているのに、自分はその現場に立ち会うことができない。自分は自分のこのごく限られた日常を忙しく生きるしかなく、そこには他者との関わりも、他者の胸の内に触れる瞬間もない。

その「自分の日常を生きるしかない」という現実が、自分にとってはあまりに息苦しく、寂しくてたまらないものに映った。

たまに聞かれることに、大学は名の通ったしかも法学部だったのに、なぜ法律の世界に進まなかったのか、というのがある。

当時の私を止めていたのは、もし法律の世界に進んでしまったら、自宅と事務所と裁判所のあまりに狭い三角形をぐるぐると回り続けて人生を終えてしまう、というためらいだった。もちろん今となってはそれは観念的なものの見方で、進めば進んだでいろんな可能性が生まれたのかもしれない。だが、その頃の私には、法律をなりわいとすることはやはり味気なく、あまりに限定された生き方だと思えてしまうのだった。

もちろん、だからといっていさぎよく見切りをつけられたわけじゃなかった。
「もう大人になれよ、腹くくって前に進めよ」と自分の尻を叩く自分がいた。
でもその一方で、「そっちに行ってしまったら、もう二度と戻れなくなるぞ。そっちに行っては永久に見ることのできない世界が本当は広がっているんだぞ」とだだをこねるもうひとりの自分がいた。

二つの自分の狭間で行ったり来たり。じつにカッコの悪い、中途半端な時代をすごした。

俗世に身を合わせて生きていきたい、そしてプライドも守りたい、という世俗派の内面と、

そういう自分を「姑息」「敗北」と責めなじって、「もっとほかに世界はあるだろう、行けるところまで行け」と自分を焚きつける理想肌の声とがあった。

いつも心にこだまする声――

「できればもっと遠くまで旅したい」 
「できれば千回くらい生まれ変わって、ちがう人生を生きてみたい」 

結局、その声には勝てなかった。

二十代、そして三十代半ばまで、私が最も後ろめたかったのは、
過去に可能性あった道を蹴飛ばして(あるいは逃げて)きたことではなく、

「では自分は何ものとして生きていけばいいのか?」がまったく見えないことだった。

「私は○○です」と納得のいく自己紹介ができない。自分自身がわからない。

周りは順調に年をとっていくのに、自分ひとり何者かわからないまま時間がすぎていく。
それくらい、心もとなく、不安定で、息苦しい状態はない。
地球を遠く離れて、冷たい宇宙空間をさまよっているかのような、ふわふわと落ち着かない漂流感。

「いったいどこまでこの闇はつづくのだろう」とずっと思っていた。
胸の中に恐怖が鎮座しているのをいつも感じていた――。

あの頃の漂流感を思い出すと、よく正気を失わず生きていたな、という気になる。


●私は、自分に確信が持てないという虚空感のなかを、溺れる寸前で泳ぎつづけた。

そして、どうやらいつの間にか、安らえる島にたどりついて、こうして砂の地に足をつけている。その今がとても不思議に感じる。

島とは仏教のことであり、安らぎとは、こうして仏教を通じて出会った人々と時間をともにすることである。

「法(ダンマ:真理)のみを汝の島(よりどころ)にせよ」というのが、ブッダがアーナンダに最後に伝えた言葉だといわれる。

島にたどりつくルートは、ひとそれぞれであろう。私の場合は、運がよかったのだ。そこに島、つまり仏教があるということはまったく夢にも思わないまま、もがいていた。結果からみれば、偶然、溺れた場所の近くに仏教があったということだ。仏教に最終的には手の届く、時代、環境、因縁のもとに生まれていた。

よりどころが定まれば、ひとはもう溺れなくていい。
足が立つ地がみつかれば、こうしてひとと出会い、ひとときを分かち合うこともできる。

私は、この島で生きていくことになる。幸いなことだと思う。

正確に言えば、今はこの命が歩くところに島ができる。どのような奔流、激流のなかにあっても、この命が進む足元には大地が現れるのである。

大げさだと思うひともいるかもしれないが、道に立つ(ひとによっては「信仰をもつ」とも言う)とはそういうことだろうと思う。

仏教をよりどころにするとは、そういうことである。上り坂も下り坂もない。ただダンマ(真実)という名の平地を歩くという人生である。

○もし私がようやくたどり着いた仕事が、ひとに何かを伝える、何かを分かち合うことだとすれば、それは「島のつくり方」だろうと思う。

心に島をもつこと。よりどころを持つこと。
一度持てば、もう溺れることはない。さまようことはない。そういう島のつくり方。

その島は、自分の足元に作るものだ。誰かにつくってもらうものではない。

島のつくり方は教えることができる。ただつくるのは自分自身ですよ、誰も代わりにはなりませんよ、と仏教は言う。

ひとが期待するような手っ取り早い道ではないかもしれない。でも、つくり方をきちんと知って実践すれば、自分の日常、人生がそのまま真実とともにあるようになるのだから、これほど自由で力づよい道はないと思う。


○ご婦人は、二年休まず巣鴨の教室に通って、多くの葛藤を解いてきた。

一時期痴呆気味になったこともあったが、それも乗り越えた(これは気づきのトレーニングが効いたらしい)。

彼女の姿を見ていると、真摯に学ぶこと、継続することの大切さがよくわかる。

彼女は本当によく頑張って、仏教をモノにしてきたのである。仏教という道を歩いてこられたのである。

私は、じつはひそかに、彼女に法名(出家時につけてもらう名前。戒名もその一種)を授けている。

以前、「法名をください」と言ってきたことがあったのだ。「希望する漢字」のリストまでつけて。

最近は話題に上がることはない。「ほんとの法名というのは、その道を進んで下がらない覚悟が必要になりますよ」と伝えたから、それ以来遠慮しているのかもしれない。

でも、その後の彼女を見てきて、私は今ひそかに思っている――彼女ほど、法名をもつにふさわしい方もいないと。

そのうちプレゼントできる機縁が熟するのかもしれない。

ご婦人が仏教という道を歩んでこられた証として。
私たちの出会いの証として。