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インドウダサ村の一日


12月24日
 ようやく風邪の症状が収まってきた。下が収まり、上も鼻水がとまってしつこい咳が残るばかりになった。

 朝6時すぎに部屋を出ると、吹きさらしの軒(のき)下に出る。その一角に木枠のベッドがあって、ラケシュの姉のマーヤや他の婦人たちが寝ている。

 軒下の向かい側にある、建設途中の離れでは、ラケシュたちの父親がいちはやく起きだして、やせ細った手で火を起こしている。インドの冬の朝は寒い。赤い火が起こるのを見守るのはなぜかそれだけであたたまる気がする。

 あちこちでスズメとニワトリの声が上がりはじめる。朝7時にもなれば近所の家もほとんど目を覚ます。

 水の入った小さなツボをもって、村人たちがお散歩。どこに行くかといえば、外の野原。ここで朝一番の“用を足す”のである。ところどころ潅木(かんぼく)の合間にしゃがみこんでいる姿が見られる。古い世代の人は、ひとが通る道にてそのまま用を足している。朝7時から7時半くらいがラッシュ。道を歩くと新鮮なのがそこかしこに落ちている。

 そのあとの定番は歯磨き。インド人は食後に磨かずに、朝に磨く。そしてチャイを飲んだり、おしゃべりしたり、新聞を読んだり。

 屋根の上にあがると、村の家々の様子がよくみえる。インドの家はセメント、レンガ、石でできた直方体のつくり。そのてっぺんが屋根にあたる。家族そろってその屋根の上にベッドを置いて寝ている家がある。おばあさんも、夫婦も、その子供たちもみな一緒に寝起きする。そういう家が見渡すだけでいくつも見つかる。

 牛飼いたちは放牧するため牛をひきいて出かけていく。半日のあいだ、草のあるところを回って帰ってくる。大通りを車で走ると、牛の行列の横断・縦断に出くわすことがよくある。クラクションを鳴らしても、どくでも急ぐでもなく、マイペースで車道を歩きつづける。こういうときは待つほかない。

 朝8時をすぎると、ラケシュ宅向かいにある幼稚園に子供たちが送迎バスで続々とやってくる。まだ3歳半の子どもは、背負うカバンも大きく、眠そうな目をこすりながら、おぼつかない足取りで幼稚園に入っていく。そうかと思えば、もう元気全開で走り回り、笑い合っている子供たちもいる。私が拠点にしているラケシュの家の前は、にわかに運動場になる。

 朝8時半には、われらの水プロジェクトチームが始動する。2キロ離れた川からトラクターを使って2トン分の水を運び、それをポリグル浄化剤で攪拌して、濾過してきれいになった水を、20リットルボトルに詰めていく。詰め終わったらバンにのせて、朝の配達に出かける。今朝は配達の様子を小田会長ご自身が見守った。

 昼をすぎると幼稚園は終わり、子供たちは小さなバスに満載になってそれぞれの家へと帰る。

 近所の家の飼い犬サンディがひょっこらひょっこらと近づいてきた。村の犬はたいていは放し飼いである。気ままに別の家に遊びに行って、子どもと戯れていたりする。サンディも他の家の牛と一緒にいたり、子どもたちにくっついて駄菓子屋まで出かけたりと、村の生活をエンジョイしている(たぶん子守のつもりなんだろう)。

 サンディは私の足にほっぺをぺったりとくっつけてじっとしている。私がくすぐってやるのが嬉しいらしく、こうしてよく歩いてくる。

 昼間、婦人たちは洗濯したり、小麦やコメのふるいわけをしたりと、家事にせわしく動いている。ただ近所の婦人たちと地べたに座って一緒にやっているのでおしゃべりしながらである。

 緑のオウムが、エサくれエサくれと金属の小さなタライを重ねてカチンカチンと合奏しはじめる。このオウムは、私がパンをもって近づくと口を開けてみせるのに、手ぶらだとオツムをこっちに向けて威嚇のポーズをとるかわいくない鳥である。

 向かい側に14歳の小太りの少年がいる。その少年の家に、白い巨体のニワトリがいる。この鳥がけっこうな悪人で、昼間にこっそりラケシュの家に侵入してくる。そしてたらいに盛られた小麦や米をこっそりとついばみはじめる。婦人が「ソォ、ソォ!」(行け、行け)と叫ぶと、「ちっ、みつかったか」と重たい足取りで出て行く。で、またまもなくして音もなくやってくる。入ってきてはいけないということがわかって入ってくる確信犯である。

 牛もたくさんいる。頭突きしあいながら餌をむさぼる様子を見ていたら、堪忍袋の緒が切れた方が他方に突進した。牛の巨体が宙にふっとんだ。一見おだやかそうに見える牛だが、性格はとても人間的らしい。

 ねずみくんも元気である。部屋にいると足の上をちょろっと横ぎることがある。そのねずみをねらってか、猫が屋根裏に音もなく登っていくのをよくみかける。

 すずめたちは、ラケシュの家の木を寝床にしていて、一日中かしましい。朝のクッキーをまいておくと遠くから見つけて飛んでくる。最近はなれたのか、足もとのすぐそばまでやってくる。

 夕方は、通りに椅子を出して婦人たちがおしゃべりに興じ、少年少女たちは好き好きにあそび始める。

 夜は夜で婦人たちが集まって農作業のつづきをやったり、近所や遠方から知人が訪れてきたりと、とにかく一日中賑やかである。そしていつも笑い声が響いている。何がおかしいのかわからない。でも近所のひとのことや、今日よその場所であったできごとなどを話しながらケラケラと婦人たちが笑い合っている様子なのである。私がマラティ語をひとことふたこと話してみると、それも笑いのタネになる。

 これは奇妙なことなのかもしれない――というのは、この家の近辺に「苦悩の表情」はないのである。みな自然に生きている。とても楽しそうに。

 今日一番の笑いは、ラケシュの家の軒下でパソコン作業をしていた私のところに4歳くらいの女の子がわーと悲鳴をあげながら駆け込んできた。そのあとを追いかけて入ってきたのが、あの悪人ニワトリであった。まあなんともふてぶてしい顔(幼子を泣かせていると自覚している顔である)。

 私が「ソォ、ソォ!」(ゴホゴホ)と声をあげると、ニワトリはのそのそと、「言われちまったらしようがねえな」というような表情で、ず慣れた足取りできびすを返して門を出ていった。その門の外で事態をのぞき見ていた3人の子どもが大きな声で笑った。で子どもらは一目散に他の家に走っていって婦人たちになにやら報告した様子(バンテジー、ソォソォだって、みたいな話だと聞こえてくる)。婦人たちの大笑いが聞こえた。「ソォ、ソォ」と繰り返して笑っている。

 笑いってそんなに簡単なものなんだねえ。