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インドからあけましておめでとう

1月1日
 日本では「あけましておめでとうございます」と笑顔で挨拶を交わし、コタツに入ってテレビでも見て、初詣にでも繰り出している頃だろうか。インドには、正月はほぼないといっていい。

 今日は午前に、ムンバイ大学の学部長と面会。大学でのセミナーの確約をとりつける。彼は社会科学部の学部長で、ポリグルプロジェクトの社会的意義――安全な水を供給し、地域に雇用をつくり出すこと――をストレートに認めてくれた。大学が全面的にバックアップしてくれるという。

 午後2時半には、場所を移して、州水道局の局長と面会。ここでは一転して、かなり厳しい指摘を受ける。彼いわく、自分たちはインド国民の安全と健康とを担っている、安全性が科学的に完全に証明されないかぎり採用するわけにはいかない、という。なるほど……合理的である。

 かりに安全性を認めてもらえたとしても、コストの問題が残る。今インドで処理している技術の費用と、今回の日本側の提案のどちらが、費用対効果の点で勝るか。インドの側としては当然考慮する点だ。

 この点、日本の水準にてらせば、インドの水道の水はけっして安全とはいえない。しかしインド人たちがその水を日常使用し、特に健康被害がないというのであれば、それはインドにおいては「問題がない」ということになる。日本のほうでいくら「もっと安全な水がつくれる」と主張したところで、インドの政府が採用することはないだろう。彼らが協力してくれるというのは、日本側の甘い見通しでしかない。

 どうも・・・私たちが日本で考えていた通りにはいかないらしい。彼が他の仕事で席を外した間に、アタマをふりしぼって考える。どう訴えれば、彼らインド政府の高官たちに動いてもらえるのか。どうすればこの水プロジェクトをインド政府に受け入れてもらえるのか。

 結局、「人間として」この地で何をしたいのかをまずは伝えることにした。

 一昨年前の秋に、ラケシュたちから黄色く濁った水道水の写真をうけとったこと。なんとかしなければと痛切に感じたこと。インドにも、世界にも、安全な水が手に入らずに困っている人たちがたくさんいるだろうこと。この水プロジェクトを進めている日本の方は、世界中の人々に安全な水を提供しようと齢70をすぎてなお世界を駆け回っていること。これは人間として成し遂げなければいけないプロジェクト。あなたがたもインドの人たちに安全な水を提供したいでしょう、われわれはあなたがたの仕事のお役にも立ちたい、インドの人々に貢献したいのだ――という話をする。局長は、今度はじっくり話を聞いてくれた。

 彼が提案してくれた今後のだんどりはとても明快で、実行は簡単ではないが、このプロジェクトをインドで進めるために何が必要か、きわめて整然と示してくれた。

「今のインドの水道技術では、化学汚染を取り除くことは困難だ。もし日本が提供するというその新技術で汚染を取り除けることを証明できるのであれば、我々としては協力しない理由はない。中央政府にも話をしましょう」

 ようやく、段取りが見えた――。

 局長の隣にひとりの男性が黙って座っていた。局長がいうには、「彼も仏教徒です。彼は、あなたにどうしても聞きたい質問があるといっています。それは――あなたはモンク(僧侶)なのに、どうしてこういうことをしているのかWhy is a monk like you doing this kind of thing?ということです」
 それならば答えは簡単である――これは慈しみMettaと悲Karunaに基づいた活動なのである。

 さすがに仏教徒だけあって、メッタとカルナという言葉に反応して深くうなずく。

「わたしはつねにブッダの教えに基づいてインド社会の現実を理解しようとつとめている。人々が苦しんでいることがあれば、悲を感じる。なんとかしなくてはと思う。そしてできることならばなんでもやる。

  僧侶というのは、人類の幸せに責任がある。苦しみ、問題が世の中に存在する限り、それに向き合い続けなくてはいけない。私は真剣にそう考えている。それこそが(部屋にたてかけてあるアンベドカル博士の大きな肖像画を指差して)ババサブのメッセージでしょう? 水プロジェクトは慈悲に基づくダンマの活動の一環なのです」

「クリアになりましたか? Is it clear?」。二人ともうなずく。

 局長が「家族でプージャ(供養)をします」という。奥さんや息子さんたちと一緒に、床にぬか(額)づいて三回礼拝のポーズをとる。「あなたがた幸せでありますように」という慈悲の念を送る。局長の隣で聞いていた男性も同じく三拝する。

 一室に通してくれて、そこでしばらく休んでから夕食をどうぞ、とすすめて下さる。

 部屋の壁には、ババサブの肖像画。机にはババサブと仏教の本。入ってきた息子さんによると、父親(局長)は勉強にすさまじく励んで今の地位についた。彼の兄弟たちは、大学教授とか医者とか全員、社会的に一定の地位を築き上げている。息子である彼もまた、中央政府の役人になることをめざしているという。彼の世代になるとそれほどカーストの壁は感じない。しかし父親が子どもの頃は、まだ露骨な差別(いじめや暴力)が横行していた時代だったそうだ。

 その途中でドアが静かに開いて、ゆっくりと老婦が入ってきた。局長のお母さんであり、息子さんのおばあさん。今80代半ば(正確な年齢はわからないという)。まだババサブが出現する前に生をうけた人。文盲で、若い頃には家もなく、たいへんな苦労をしたのだという。それでも五人の子供を立派に育て上げた。

 私のベッドに腰をかけてきて、頭が痛い、まぶたが痛い、お腹の脇が痛い、ひじが痛い、といろいろと訴えてくる。目は白内障でちょっと濁っている。息子さんによると、「いつもぜんぜん笑わない」のだそうだ。

 午後に最初にこの家にきたとき、老婦は応接間のソファに静かに座っていた。この地の老人たちは、動きが穏やかで、話し方がやさしく、なぜか雰囲気そのものがすごく温かい。家族が大切にしてくれるからだろうか。

 午後、局長が席を外した間に、老婦は私に、体のあちこちが痛いのだと訴えかけてきた。私はそのおでこに手を当ててお経を称えてみた。目を閉じて静かに聞いている。こういうのは、効くかどうかよりも、どんな思いを交わせるか、心で触れ合えるかということだと私は理解している。心からのやさしさを送れるようにと祈り、念じた。

 その昼間の出来事を受けて、ふたたび夜へやに入ってきた老婦である。私のベッドに座り込んで、老婦特有のやさしい声で、またからだのあちこちが痛いのだと訴えかけてくる。「ババ(せんせい)、どうすればいいの?」と哀願するような目で聞いてくる。

 私はふたたび掌を老婦のひたいにそっと当てて、「サッベー、サッター、バワントゥ、スキタッター」(生きとし生けるものが幸せであるように)と念じる。なかば子守唄のような声音である。老婦は気持ちよさそうな顔で、じっと目を閉じて聞いている。

 もし体が痛くなったら、手を合わせてこの言葉を称えてください、と伝える。一緒に練習する。老婦はもう、ろれつは回らないし、記憶もついてこない。「サッベー」「さっべ」、「サッター」「ぱった」、「バワントゥ」「ぱった」、「スキタッター」「たったー」。繰り返し聞かせて、一緒に称えてもらう。

 私が言葉を止めて、ご婦人にひとりで称えてみるようにうながすと、手を合わせて何度も「さっべ」と称える。ひとつの言葉を一生懸命に発している間は、心の苦悩はすこしはやわらぐかもしれないから。老婦は、なんども称えつづけた。なんともいえない美しさを放っていた。

 しばらく称えたあと、老婦はマラティ語でいろいろと話しかけてきた。息子さんに通訳してもらったら、お父さん、お母さんはどうしているのかとか、兄弟はいるのか、とかいうこと。いろいろ話をしているうちに、老婦が笑顔を浮かべるようになった。なんてやさしい笑顔なのだろう。「ババ(私のこと)も息子のひとりって言ってます」と息子さん。

 てのひらをほっぺにあてて横になる仕草をしてみせる。「横になって休むようにと言ってます」と息子さん。私が横になると、ご老婦はゆっくり立ち上がって、ベランダに出て、またゆっくりと入ってきた。洗濯物を抱えている。そしてていねいにたたみ始めた。そばで見る老婦は、五人の子どもを苦労尽くしで育てた「お母さん」の顔になっていた。おわるとまたゆっくりした足取りで部屋の外に出ていった。

 しばらくして応接間にいくと、局長さんが仕事を終えてソファに座っていた。青いポロシャツに短パンのラフな姿。その隣に小さく収まっているお母さん。局長さんはやさしく母親の肩を抱いている。

  母親はまたやさしい声のマラティ語で息子に何かを話しかける。「もう逝かせてくれって言ってます。もう十分生きたって」。

 そして覚えたての「さっべ」を称え始めた。老婦が称えているその言葉は、“慈しみ”を表現した、おそらく人間の言葉のなかで最も美しい内容をもったものだ。その美しい言葉をけんめいに息子に聞かせている姿。そしてそれをかぎりなくやさしいまなざしで聞いている息子。私はその様子に内心見とれていた。

 夜十時をすぎて遅い夕食。帰るときに局長さんに伝えた。

「あなたに、そしてあなたのお母さんに最大の敬意を表します I give my full respect to you and your mother」

 手を振って家を出た。なぜだか、言葉が出なかった。沈黙したまま、最寄りの駅から電車に乗った。

 今日出会った、午前のムンバイ大学の学部長も、午後の水道局の局長も、その母親であるご老婦も、心からの尊敬に値する人たち――というか、もう言葉にするのも野暮なくらいの、すごい人たちである。その見識の高さ、積み重ねてきた努力の量、そしてひとをいたわる広い心。見知らぬ異国の人間を、ここまであたたかくもてなせる人たちなのである。そう、アンドラプラデシュのあの前州大臣もまた、スケールの大きな人だった。みな仏教徒である。みなすごくないか、本当に。

 正月風情は、インドには確かにまったくないけれど、でもこうして、とても自然な流れで、おのずとアタマの下がる、やさしく、強く、広くて大きな心の人たちに出会える。この幸運はなんだろうか。

 サッベー、サッター、バワントゥ、スキタッター(生きとし生けるものよ、幸せであれ)

 あのご婦人がいつまでもあそこに生きていてくれたら、という思いがよぎる。
   しあわせをともなう執着もある。