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ナーランダ 衝撃のお坊さん

1月4日
 今回の旅はひとヤマ越えた感じがする。水プロジェクトをインドで進めるために必要な(というかここを欠いては絶対に成功しないという死活的な)情報をなんとか手に入れることができたように思うから。

 ムンバイでは、カビールというIT会社経営者にして音楽家というユニークな25歳に出会った。彼もこの水プロジェクトに参加したいという。1日の水道局長との面会の場に彼はいた。あとでこう語ってきた。

「局長はこの水プロジェクトを必ず支援してくれますHe will definitely help this project。だって、バンテジー(私のこと)が、“このプロジェクトはメッタとカルナに基づくダンマの活動だ”って、あのとき言ったでしょう。あれで局長はヤル気になった(He got motivated)んですよ。あの席でマラティ語で、“もし汚染地域の行政官がポリグルの使用に反対したら、わたしが権限を使ってやらせるthen I will use my power”って言ってましたから」

 局長は、マハーラシュトラ全州の水道事業を統括する最高の地位にあるひとだ。その人間が熱意を持ってくれたなら、最高に心強い。このプロジェクト、ダンマ(仏教)というつながりにどれだけ助けられていることだろう――。

 今回自覚したのは、インドにおいて僧侶というのは、相手をソノ気に(モチベーション・アップ)させる役目を負っているということ。そのためにはもちろん僧侶がひと一倍の情熱を持っていないといけないが、この命にはそれがあるような気がする。

 かつての自分は、エネルギーと理想をもてあまし、どこに行っても物足りなさ、居場所のなさを感じて流浪しつづけていた。だが、この地では、自身の情熱を真正面からぶつけてゆける。もちろん、それでモチベーションの火が広がってゆけるのは、彼らインド仏教徒にも同様の熱意があるからである。予定調和の世界に生きる、なあなあグズグズ(失礼)の日本の社会(またはビジネス業界)では、こういう動きはなかなか作り出せないかもしれない。

 カビールがいうに、「うちの家族は昨夜とってもハッピーだった、だって初めてモンクが家にきたから。バンテジーが帰って(夜12時すぎ)から、家族は2時間もディスカッションしてたんですよ」

 昨夜は夜十時に、カビールの親の家に招かれて食事をし、そのあと短いダンマの話をしたのである。仏門に入りたての頃、東北の禅寺で和尚に質問したら、「ワシに聞くな、オマエがわかったら教えてくれ」と言われたことがある。その話をしたら、なぜかウケたのだった。インド人はよく笑う。気取りがない。そして笑いのツボが日本人と似ている。

●パトナ編
(ここから先は、あえて人間くさく描写してみます――。)

 ムンバイから飛行機でパトナへ。オートリクシャ(三輪バイク)でバスステーションに行って、地元のバスでがったんがったんと激しく揺られて3時間、さらに乗り継いで30分で、めざす目的地ナーランダに到着。もう日が暮れてしまっていた。(ここまでで60ルピー=110円しかかかってない。みよ、この貧乏旅行を、いや違った、出家の底力を。)

 ナーランダというのは、全盛期の7世紀には一万人もの学僧と千五百人の教師役の長老たちがいたという仏教大学。12世紀に仏教は滅びてしまったから、今は石レンガの遺跡しか残っていない。

 日本で聞いていたのは、最近この地に、国際ナーランダ大学という仏教大学ができたということ。インド、日本、その他の政府がバックアップして作った大学。昨年十月にはいくつかの講座がすでに開講された、と日本のニュースにあった。JICAが進める事業の一つでもあるらしい。その仏教とゆかり深しこの地にポリグル浄水装置をつくれないか、という目論見で今回来たのだった。

 ナーランダのあるビハール州は、インドでも最貧の土地だそうだ。たしかにバスでの道中、砂埃にまみれて久しく水を浴びていないとおもわれる子どもたちや、レンガを積み重ねただけのバラック同然の小さな家が何軒も接(つ)ぎ足されて肥大化した“複合住宅”や、道路のすぐわきで土のさかずきを黙々と素焼きしている女性たちが見えた。バスの揺れも、これまた久々に感じる、腰を垂直に落として腰痛になってしまうかと思われるほどの激しいタテ揺れだった。(佐々井師に会いにインドをバスで旅したときを思い出した。)

 今回インドでは、のどをやられて風邪をひくわ、野犬に噛まれるわで、なかなかハードボイルドな道ゆきだったし、最近インドから日本に伝わってくるニュースはかなりの危険を思わせるものが多かったせいもあって、地元の老朽したバスに肌色のちがうインド人に囲まれて乗りながら、夜の帳が降りてゆくのをみるのは、いささかの不安をさそうものだった。

 しかし、目的地をいえば乗客の何人もがやたら詳しく(といっても現地語なのでまったくわからないが)伝えてくれるし、切符も「60ルピー」といわれて100ルピー紙幣を手渡したら、おつりがなかったらしく離れていってしまって、まあいいか、と思っていたら、忘れた頃に、40ルピーのお釣りをちゃんと持ってきてくれたり、降りるときも大きな旅行バッグをおろしてくれたりと、なんだか自然に親切なのである。インドというのは、極悪のかぎりといっていい犯罪や汚職、差別もあふれているが、圧倒的多数のひとは、素朴なのか、諦念なのか、信仰にもとづく理由があるのか、とてもフレンドリーで穏やかでやさしいのである。不思議な世界だ。

(日本のガイドブックには、どこでダマされたとか、ボラれたとか、この場所のこういう人間に注意とか、いろんな警戒が語られているけど、率直にいって、「セコイ」と思う。ソンかトクかという発想が目につくように感じる。払える余裕があるのなら、言われる額以上を出したっていいではないか。出てゆくお金はみな「お布施」だと思ってはいけないのだろうか(そりゃたしかにそうは思えないシチュエーションもあるけれどね)。)

 とっぷりと日が暮れたナーランダの大通りを、ゆびさされた方角へと歩いていく。裸電球ひとつで営業中の果物売りの露店で、オレンジを買う。他にもちらほらと夜店が開いていて、道はけっこう明るい。

 さて、ナーランダ大学の校長先生という大僧侶はどこにいるのだろう。というか、大学ってどこにあるんだ?と思いながら、雪駄でペタペタとインドの夜道を歩いていく。

 右手に大きな鉄門がみえた。その門をどんどんどんと叩いて叫んでいる男がいる。門の上をみると、仏教のシンボルのひとつである法輪のような鉄のサークルが。さらによくみると、五色がおりなす仏教旗が。ひょっとしてここが大学?と思って、男に声をかけてみる。

 男はミャンマーのラカインから中国へと渡った親をもつ、ビルマ系二世の中国人で、仏教学の教授だとか。丸顔に眼鏡をかけた顔は、たしかに東洋人である。「ニホンゴ?」(知ってる日本語はそれだけらしい)

 新設されたというナーランダ国際大学を探しているのだと伝えると、「あれはニュースだけで、じつは何も始まっていない」という。いわく、発起人とされる女性が、今の首相(不評さんざんで退陣間近の)マンモハン・シンと昵懇(じっこん)で、外国政府に呼びかけて資金を集め、それで自分たちの私腹を肥やしているとかいう話なのである。

(この手の話はインドでは日常茶飯事だ。しかし”外国”、だまされやすすぎないか? だれかまじめに視察しろって。)

 校長の名前を伝えたら、その場で携帯をとりだし、電話してくれた。ヒンディーでぺらぺらとしゃべっている。「いま迎えに来ます」という。

 さあ、いよいよナーランダ大学の校長先生に初対面である。スリランカで学んだパーリ語の先生らしい。失礼のないように正装して(わかる人にはわかるあのミノムシスタイル)、大長老のご来迎をまつ。

 あ、きました、と教授。500CCの大型スクーターが闇の向こうから現れる。てってけてー、という感じ。

 大長老・・・赤と黄色のリバーシブル毛糸帽、真っ黄っ黄の毛糸のセーター、赤の腰巻(僧衣の下側)、といういでたちでやってきた。ふっくらとした顔と、ボリュームのあるまぶた。かぶっている帽子は耳うえのへりの部分が真っ赤で、その上の頭頂部が真っ黄色。ピエロ?と思えなくもない。

 はじめまして、と合掌のあいさつ。スクーターのうしろに乗せてもらって、またてってけてーと移動する。ちなみに、テーラワーダではバイク乗りなど考えられない(寺の敷地内なら車・バイクもOKという裏戒律があるのだけれど)。

 案内されたのは、大学構内の、公営住宅みたいなアパートの二階。

 入ると、いきなりギーコギーコとかんなをかける音が。なぜか夜の長老の部屋で、ターバンをまいた男が大工仕事をしている。派手な作業音と、もうもうと舞うかんなくず。そのすぐとなりに席を出して、「さ、どうぞ」と進めてくれる。

 奥の部屋では子供の笑い声が。のぞいてみると、ベッドに座って28インチ大画面でテレビをみている女の子ふたり。???

 やかましい大工仕事の隣で、ポリグルの説明をする。水中の汚れが凝固して沈んでいく様子をみて、目を見開き「オウ!」。じゃこれはどう?と、水道水をコップに入れて持ってくるので、またやってみる。「オウ! チッチッチッ」と、これはいけないねえという感じで舌を鳴らす。

 では、『アクアガード』ではどう?と、インドの家庭に広く普及しているという簡易浄水器のところに私を連れていく。この浄水器、インドでは1万5000ルピー(約28000円)するという。いくつかの小型タンクが内蔵されている。白い繊維質のロール状のフィルターは、300ルピーで、定期的に交換するというのがメーカーの指導。

 そのアクアガードの浄水で、実験してみる。やっぱり灰色の布海苔みたいな塊がコロコロとでてくる。「チッチッチ(困ったのう)」。

 ではでは、と今度は、できたてのチャイ(ミルクティー)で実験。多めに入れてみるとやっぱり同じ反応が。「ハハー^▽^」。この坊さん、楽しんでいる……。

 「スリランカライス、食べたことある?」と聞く。そのまなざしは、どこか悪巧み中のいたずらっ子を思わせる。ナイと答えると、「じゃ、ためしてみろ」と、また台所へ連れて行く。

 深鍋に、野菜とカレー粉をちゃっちゃっと入れて、ガスの火にかける。インディカ米もボウルに開いて、簡単に羽虫をつまみとって水洗い。この坊さん、食事もつくるらしい。

 食器も、黄色、ピンク、緑、パープルとあざやかな色のものが並んでいる。アパートの部屋のいたるところに同じ色合いのカーテンとか本棚とかテーブルとかが置いてある。今、新作を作成中のターバンの男がしつらえたものらしい。デザインはこの坊さんがするのだそうだ。いわく、「カラーがあると退屈しないだろう?」

 ターバン男の新作をチェックして、注文をつけている。で、「ここに電気プレートを置いて、こっちの右側には湯ポットを置いて」と私に解説。ほかの部屋には、中国風の回転テーブルも。


 すべてにかいがいしいというか、まめというか――このひと主婦?

 御飯ができる頃になると、女の子二人が台所にやってくる。坊さんのすそをひっぱって、何かしゃべっている。このおっさん、いや坊さん、パパ?

 まもなくして、小柄なインド人女性が入ってくる。下に住んでいる。女の子たちの母親。仕事なし。父親もなし。母子そろって、坊さんのアパートに毎日きている様子。

 台所の光景をみていると、なんとなく不思議。赤と黄色の衣をまとったお坊さんに、女の子二人がまとわりついて、その母親の女性が居間で野菜を捌いている。ひとつの奇妙な家庭ができている。

 このお坊さんはラダック出身で、だから東洋人の顔立ちをしていて、スリランカで15年暮らして、それからインドにやってきた。私がバンガロールでお世話になった長老は、彼のお師匠なのだそうだ。今はナーランダ大学の校長(には見えないけど^^;)。そのアパートには、こうして父親のいない母と娘が通ってひとときをともにしている。

 なんだか、すべてが普通の空気である。あたたかいのである。わたしも自然にくつろいでしまう。お坊さんがあまりにも自然体だからである。

 夜十時を回って、母と娘たちは下の階へ。その前に子どもが簡単な礼拝を、私たち二人の坊さんに。私はまじめに慈悲の念を送った。だが、彼はその女の子の背中をむぎゅーと両手で押しつぶす真似をしてみせた。女の子が笑いをこぼす。この坊さん、子どもの愛し方を知っている。

 それからお坊さんは、ていねいに私の明日とあさっての日程を組んでくださった。ラージギル、ブッダガヤ。車と宿泊先を手配してくれた。

 今度来るときは、一緒にビハールの村落を回るとよい、と言う。彼はもう200にのぼる村落の人々を仏教に改宗させたそうだ。インド最貧困の州の、交通にすこぶる不便な辺境の地で、こうして教えを実践している僧侶もいるのだ。仏教の裾野、大河の支流は、かぎりなく広い――と、こういうとき実感する。

 テーラワーダの伝統では、女性を部屋に入れるのは破門にもつながる戒律違反だし、スクーターに乗るのもアウト。夜夕食をとるのもだめだし、外に出るときは、海苔巻き、いやミノムシ、あれどっちでもいいや、ふうのその“正装”姿に扇をもって、周りを見回すことなく寡黙に歩く、というのがルールである。このお坊さんは、戒律という点では完全に外している。

 だが、そういうひとのそばにいると、こちらもとてもくつろげるのである。

 正直、プライドがやたら高くて、取り澄まして、上から目線で、ひとの言うこと・聞くことをクダラナイと一蹴し、自分の優越性を守ることが意識下の最優先課題で、涅槃が目的といいながら、ワタシたちは普通の人間だから、来世があるから、と目的外の世事にいそがしく、都合のよいところだけ「おシャカさま」を持ち出して我見・伝統を正当化してみせる、テーラワーダの長老さんたちよりも、ずっと正直で素敵なようにも思うのだが、いかがだろうか。

 なんとも衝撃的な、ニュータイプのお坊さんである。私がまだ知らない道を実践されているお方であるとお見受けした。戒律違反という認識は、もっと大切な部分を見落としてしまう、筋を外した反応だろう。この坊さんには学ぶべきところが多々あるように思う。人間的に好きになれる御仁である。

 また訪れよう。そして同伴させてもらって、彼のダンマ(仏教に基づく活動)を見させてもらおうと思う。(何歳になっても学べる相手というのは見つかるもんなんだ。世界は広い。そして私は幸せである。)

 さあ、明日はブッダガヤ。7年ぶりの、覚者(ブッダ)誕生の聖地である。

 (ああ、今回の旅もあと三日だけなんだね――。)