仏教講座スケジュール

●古い仏教のイメージから自由になりましょう。心の苦悩・現実の課題を越えてゆくことが、最も大事なこと。思い込みを捨てた時に、ブッダの教えの真髄がみえてきます。
●全国行脚、まもなくスタート! 講座、個人相談、法事など、ご希望者はご連絡下さい(クリック)
●仏教講座のスケジュールはこちらをクリック。 
●メール通信、配信中。
①お名前、②都道府県、③近況(本の感想・知ったきっかけ等も可)をひとこと 書いて koudounosato@gmail.com まで。※フリーメール着信拒否の設定になっていないか、ご確認ください。
●廃寺・空き寺・日本家屋を募集中! 生き方と教育と仏教をひとつの場所で――ご提供くださる方、ぜひご連絡ください。

講座おさらい「めざせ感覚100%!」


こんにちは、草薙龍瞬です。

3月8日は、久しぶりの人が何人かいらっしゃいました。

お仕事が変わった人も、結婚された人も、目標に向かって頑張っている途中の人もいて、みながきちんと生きていることがわかるだけでも嬉しく感じました。


「疲れない心をつくる」という表現が難しかったかも?(という感想あり)

「ぐっすり寝たあとの目覚め感みたいな心(になること)なんだよ~と答えてみたのですが、

「起きたときってそんなにスッキリするものなのかな、という感想もあり、うーん???と考えてみたのでした。

たとえば、昼間の眠くない状態を基本に考えてみてください。

そのときに、しゃっきりと目が覚めている。物事がよく見えている感じがする。

私はよく心の中でやっているのですが、周りを見回して、もちろん目に入ってくるものがあって、

それらが、ほんとに透明に、脳裏に何の雑念(考えている言葉とか思い出すイメージとか)もない状態で、そのままありありと見えているか、ということを意識して見ています。

ふだんはやっぱり雑念(というか、「何かを考えている状態」)があって、それはいうなれば、何かを見ているときも、アタマの中をよぎっていて、それがチリのようなものとして視界を漂っている気がする。

それを「消す」。どうやるかというと、やっぱり第一は、今回お話した「感覚に帰る」ということによってです。


呼吸しているときの鼻先の感覚を意識する(意識の度合い=集中度を上げていく)。

呼吸しているときのお腹のふくらみちぢみを意識する。

「感覚を意識する」ことがカギなので、本来は、カラダのどこの感覚でもいいことになる。私がよくやるのは足の裏の感覚を感じ取ること。

(とある方によれば、足のウラには全身とつながっている神経が集まっているのだそう。だから足の裏を感じ取ることは、カラダの健康にもよいのかもしれない(?))

私の場合、歩くときも、立っているときも、今回のように誰かに話しているときも、足の裏の感覚を確かめている心がある。

禅の世界には「脚下照顧(きゃっかしょうこ)」という言葉がありますが、これは本来は「足の裏の感覚に気づく(「念を入れる」)という意味だと理解しています。

(ヴィパッサナー瞑想にいう歩く瞑想。禅の世界だと、外に答えを求めるのではなくまず自分を見つめよ、自分を律せよ、という意味になります。「まずは履物をきちんと揃えること」と説く場所もあるのだとか(なるほど))

カラダの感覚に集中すればするほど、雑念に向ける心の量は少なくなる。

感覚に心(意識)の50%を向けることができれば、雑念に使える心の量は50%しかないことになる。

感覚に100%心を向けることができれば、雑念に向かう心はゼロになる。雑念ゼロの状態。

雑念がゼロなら、心は疲れない。その状態には、ストレスとか悩み・心配・緊張といった想念はない。それが「目覚めのスッキリ感」みたいなものだ、と私は表現するのです。

(そういう状態では、周りの景色が何ルクス(?)か明るさをまして見えるような気がすることさえあります。これは極端なステージかもしれないけど。)


とあるアスリートは、カラダを鍛えたから疲れのたまらないカラダになったという。

ならば、心を鍛えれば疲れのたまらないココロになるのではないか、と考えた次第。たしかにできそう。

疲れがたまらなければ、心はいつもすっきりシャキッとしている。過去を引きずらず、今だけを見て感じて考えて、今に集中できるようになる――のではないか。

疲れないココロをつくる。(雑念をひきずらないココロをつくる)

ココロに疲れがない・溜まらないように心がける。(心にひきずるものがない状態を心がける)

それはやってみる価値があること・修行だと思う。

ならば、ということで、私がごく最近始めたのは、駅から駅までの時間をひと区切りとして、呼吸に集中してどれだけ「感覚100%」になれるかを測るというもの。

アスリートが、待ち時間をつま先立ちして筋力をきたえるのと同じ。私は、「感覚100%」をめざしてココロをきたえる(笑)。


これ、他の心のはたらきにも応用できる。「思考(考える)100%」とか。

「今、雑念がたまっていて、思考力30%くらいだなあ。よしここから思考力を上げねば」と考える。

この場合、「考える100%」といきなり挑戦しても、考えるのは妄想の一種でもあって、他の妄想に負けてしまいやすい(雑念に引っ張られやすい)。

だから、やっぱりまずは、「感覚に帰る」ことか始めて、妄想をリセットして(感覚に集中している間に妄想は消えてくれる――無常)、

そこから「考える100%」に挑む。いったん下がって、そこから加速してジャンプするというか。ワンクッション入れて効果を上げる。

いかがでしょう? 「むずかしいよ」という人も、この発想――100%の心を、向けたいモノ(感覚や思考)に使うか、それ以外(雑念)に使うか――ということは心の原理、真理を踏まえているので、心がける価値はあると思うのだけど。

心がけてみてください――。

※右、左、というラベリング(言葉で気づく)がまだ会得できていないという人は、いっそ言葉は使わずに、足のウラ(あるいは歩いているときの足の動き)をただ感じとる(意識する)ことを心がけてはいかがでしょう。


次回ガイダンスは3月15日。4月からの講座の概要は、後日PDFでお送りする予定です。

そろそろ日の光が春を抱えるようになりました。

よき一週間を――。