仏教講座スケジュール

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独り身のおばあちゃんと捨て子だった女の子の話

仏教の学校・春学期  
●5月18日(日) 午前10時~12時 
 坐禅エクササイズ
●5月18日(日) 午後1時~4時   
 仏教の学校・拡大版(月イチゆっくり仏教学習会)
●5月24日(土) 午後6時~8時   
 仏教の学校・土曜クラス・春④(世の中で生きていくことが窮屈に感じたら)
●5月28日(水) 午後7時~9時   
 仏教の学校・水曜クラス・春④(世の中で生きていくことが窮屈に感じたら)


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初夏の盛り、ですね。緑が濃くなりました。

私にもっと季節を味わうボキャブラリーがあれば(短歌・俳句の)、
もっと季節の彩りを濃厚に味わえるんじゃないかなあ、と思ってしまいます。

本の執筆、もうひと山越えたら、私の方は少し息をつくことができます。
(今、数学の魅力・本質について、わかりやすく伝えることに腐心しています。これも仏道(笑)。もはやバラエティ系の?)

仏教の学校、先週土曜は、「観音信仰」についてやりました。

とある映像をみてもらいました。
中国の小さな山寺に、家族のいない年老いた婦人がたどりついた。そこで管理人みたいな仕事を、村人からもらって、そこで生活し始めた。

あるとき、山門に、捨て子が泣いていた。

老婦は、その捨て子を、寺で育てることにした。

おばあちゃんとちっちゃな女の子の、寺でのふたり暮らし――。

おばあちゃんは、女の子が現れたことで、人生に新しい意味をさずかった。

女の子もまた、おばあちゃんによって、親の愛情をうけとることになった。

お互いが、お互いにとっての、“菩薩さま”になっている。

相手がいるから、自分の役割、人生の意味がはっきりする。

「はたらき」をさずかって、ひとは、はじめて人生の意味を得る。

面白いのは、村人たちもまた、おばあちゃんと子どもにとっての“菩薩さま”になっていること。

彼らは、ときおり寺を訪ねて、財産や家畜が増えますようにとか、一族が健康でありますようにとか、現世利益しか願っていない。別に“菩薩さま”になろうなんて、たいそうなことは思っていない。

しかし、彼らの人間的な願いがあるからこそ、おばあちゃんは寺の管理人という役割をえて、また子どもを育てるという役割を授かった。

五歳の女の子は、「自分は天から落ちてきたんだって」という。

「おばあちゃんも、天から落ちてきたんだよ」という。

映像に出てくる、みながみな、不思議な縁でつながれている。

その縁の存在を、ただ彼らは知らない。見えない。

見えなくてもたしかに存在するものがある――それが縁であり、○○○○。

そういうテーマ。これはかなり深かった。できるだけたくさんの人に聞いてほしい(見てほしい)話。

こういう映像を、今年の仏教の学校では頻繁にお見せしようと思います。

今回のテーマも、今月は引き続き、教室でお話(映像つきで)していくつもりです。

「観音信仰」といえば、「仏像めぐり」みたいな発想しか日本では思い浮かばないかもしれませんが、

大乗仏教の本質というのは、今回の話から学べるように、どこまでも測り知れず深淵であり、広大です。

仏教を、特定の伝統や宗派に限定することは、ほんと意味をもたない。

“ナントカ仏教”という分類だけでは答えがでない問いが、人間の世界にはたくさんある。

ほんとの仏智(ブッダの理解)は、人間を超えている。その超えた部分を、時折のぞかせてくれるときがある。

今回は、そういう一瞬だったのではないかな――。

明日もみなさん、がんばりましょう^人^。