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小さな村の生と死

11月18日
●ウダサ村で近所の女性が亡くなった。

私たちのNGOのメンバーであるアーナンダの叔母。まだ45歳。心臓発作で急死。

この地域では人が亡くなると、夜通し音楽を鳴らす。お通夜用の歌手がやってきて一晩歌を歌う。

通夜の翌日、その家を訪れた。室内に入る。床に横たわる女性の亡きがら。そこに覆いかぶさるようにして泣いている母親らしき女性。その周りを囲む縁者の女性たち。さらにその外に集う女性たち。部屋は女性たちで一杯だった。

母親はむせび泣きながら歌を唄っていた。以前見たチベットでの葬儀でも、遺族の女性たちが涙しながら唄っていた。「あなたが微笑んでいるだけで私は幸せだった」という歌詞が記憶に残っている。母親が唄っている言葉の意味はわからないが、娘が生きていた頃の思い出や、自分がいかに幸せだったかを伝えようとしているのだろうと感じた。

唄いながら、母親はなんども頬を流れる涙をぬぐい、娘の手を握り締め、娘の頬やひたいを指の長い掌で撫でていた。母親の腕は細くて、その飴色の肌は繊毛にも見まがう無数の皺を密に刻んでいた。どれほどの苦労をして娘を育て、そして娘と一緒に暮らしてきたかが伝わってくる思いがした。

私は、横たわる女性の亡きがらのそばに座り、最初にそのくるぶしを握るように手を置いた。つぎに女性の大きなお腹の上に置かれた二つの手を握り締めた。そして女性のひたいにそっと手を置いた。冷えていた。

亡きがらを挟んで座り、むせび泣く母親がいる。私はその母親にそっと手を伸ばした。ひたいに手のひらを合わせた。老母はひとめ見てかなりの高齢だとわかるが、そのひたいは驚くくらいに温かかった。生きている。歳を重ねてもこれほどまでに熱を発している。娘の亡き骸の冷たさと対照的だった。

横になった女性は、目を閉じておだやかな顔をしていた。眠っているかのようだった。この地の女性たちは朝からよく働く。水を汲み、掃除をし、食事を作り、畑仕事に出て、子どもを育て、近所の人たちと快活に笑い合う。この地に小学校ができたのは、わずか30年ほど昔にすぎない。齢40を超えただけの人たちは、この地では文字が読めなかったりする。床に眠るこの女性は、どのような顔で笑っていたのか。生前にもっと会っておけばよかった気がする。

亡き骸の頭のところに、ババサブとブッダの像が置いてある。この家庭も仏教徒だったのだ。

あれほど泣き叫んでいた母親は、私が手のひらをひたいに当てて、日本語で話しかけると、不思議なことを体験するかのような、神妙そうな、驚いたようなまなざしでこちらを見つめて、泣くのをとめた。静かになった部屋を、私は出た。

●ラケシュの家の向かい側に、プラジワルという11歳の少年が暮らす家がある。

少年には15歳以上年の離れた3人の姉がいる。その姉のひとりが里帰りしていた。生まれたばかりの赤ちゃんを連れて。

呼ばれて訪れてみると、いた。まだ生後1か月。産道をくぐったばかりの造作が残る産毛まばらな頭と赤い肌。小さな手。

「名前をつけてほしい」と言われる。この地ではお坊さんにつけてもらうのはふつう。しかも日本の名前は人気がある。4歳のお姉ちゃんが「アクシャラ」という名前なので、「ア」がつく名前が欲しいという。

一日考えて、「アスカ(明日香)」はどうかと提案。明日香は、日本仏教発祥の地の名前。しかも「明日」つまり未来という意味と、よき香りという意味も持っている。

他にも、アユミなどいくつかの候補を伝えたが、アスカがいいという。さっそくお父さんやお爺さんが「アスカ、アスカ」と呼びかけ始めた。

この子は、「日本人のお坊さんに名前をもらった」ということを一生覚えることになるのだろうなと思った。あの亡くなった女性と同じ年になっても、そしてあの母親の年齢に達しても。どんな子に育っていくのか、私なりに見守りたいと思った。

4歳の女の子アクシャラの他、近所に何人もの幼子がいる。みな母親に連れられて、あるいは自分ひとりで、よくラケシュの家に遊びに来る。ラケシュの家にも何人かの女性が暮らしているが、みな子どもたちを自分の子のようにかわいがる。

この年頃の子は、まだ笑顔で大人に飛び込むということがなかなかできない。だから私と会うと、きょとんとした顔でじっと見つめるか、反応に困って(けして怖がってではない)泣いてしまうかのどちらか。子どもの親たちが「ほら、バンテジーにナモナモしなさい」と促すので、ひたいの前で手を合わせたり、「敬礼」のポーズを取ったりするようになる。私も同じしぐさで返す。村の大人も子供も、みな家族のように互いの家を行ったり来たり。こののどかな雰囲気は、やっぱり田舎の農村ならではの魅力だろうと思う。

建築中のゲストハウスには、猫とその子猫3匹が出入りするようになった。そのうち友達になれるだろう。

その一方で、隣の家の飼い犬サンディはちょっと歳をとった。私が八年前に居候していたパワン氏の飼い犬ブーノも歳をとっていた。向かい側の十五歳の少年ダトゥが可愛がるニワトリも羽根が老いていた。ラケシュの姉が買っている緑のオウムも少し小さくなっていた。みんなが等しく歳をとっている。私も歳をとっている。

小さな村だが、小さいだけに、生まれること、死すること、老いることをすぐそばに見る。みんな美しい村人たち。

近所の双子。村では次々に若い命が生まれてます。日本も頑張ろう。

近所のサンディです。
ラケシュの姉とご飯を食べている向いん家のアクシャラ(4歳)。

おばあちゃんの大きな手でマッサージを受ける生後1か月のアスカ。脳にすごい威力があるはず。

アスカとヘンな顔をしたおじさん。