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宝石の国へ(インドから日本へ)

11月20日
夜十時すぎに飛行機は羽田に近づいて行った。

秋雨が降っていたらしく、日本の夜は街の灯が色とりどりに輝いていた。

インドのように日の光さえ鈍[にび]にしか見えない茫漠の国ではない。この島国は、埃も空気も、季節ごとの雨やら台風やらで頻繁に洗われる。だからこれほどに街の光が澄んでみえる。

今 回も激しく濃密な旅だった。村での生活、今回出会った活動家たちが、みな遠くへと流れていく。でも胸にあるのは望郷でも忘却でもなく、彼らの存在はとても リアルに生きている。というのは彼らは仏教をともにする同志であって、そのきずなは生涯続くということが確信できるからである。彼らは今や遠い異国であの (私も今までその中にいた)日常を生きている。でもきっちりと心はつながっている。彼らと共有する情と義が、この胸に生きている。日本の人たちにも、こう した確かな心のつながりが、家族や仕事以外の場でもあ るのだということをわかってもらえたらと思う。

インドから日本へ――違う星へと飛行機は滑り込んでいく。私のなかで声がする。

「ここから生き直せ」「また新しい人生を始めろ」

この地ではこの地でのこの命の活かし方というのがある。

日本はインドとは違ってカーストはなく、極貧や残忍な暴力というのも、ないとは言わないがあってもやはり質は違う。どちらのほうが天国(僧侶としては浄土と呼ぶべきか(笑))に近いかといえば、やはり日本であるような気がする。

だがこの国に生きる人間には、この地に生きるからこその苦悩というのもまたあるであろう。「生き方を知らぬ」がゆえの苦悩というのもまたあるはずである。

「生き方を知ること」――この当たり前のことが、どうしていつの時代どの社会においても、人間には遠いのであろう。かつての私がそうであった。生き方を知らなすぎた。身近にも存在しなかった。

帰りの電車では、赤ら顔の勤め帰りの人々がひしめき合っていた。彼らを見ているだけでも、あるいは聞こえてくる会話を聞くだけでも、いろんなことが見えてくる。

愛 着、誇り、情熱といった生きがいが枯れた状態でただ働いているだけの日常。上司や同僚についての人物評。週末の酒での気晴らし。最近友だちといった旅行の こと。職場でのセクハラ。ゲーム。ライン。週刊誌――楽しそうだったり、不満そうだったり、空しそうだったり、充実していそうだったり……。

こ の国は、モノも情報もきわめて密にそろっている。その中で、ひとの心はいろんなものをぎっしりと詰め込んで、背負い込んで生きている。よく心がパンクしな いなあと感じるくらい。パンクしそうだから息抜きにお酒を飲んでいる人もいるようだけど、それもまた新しい詰め込みのように見えなくもない。みんな「はち きれそう」に見えた。

久しぶりに見る、日本という国の夜の喧騒。そこでも私は出家として心を使う。念(サティ)を使う。慈悲を確かめる。そのとき心は停まっている。静寂である。澄明である。

「生き方を知る」とは、結局は、心の使い方を知ること。心の理解の仕方を知ること。

心を見よ。心を理解せよ。心の使い方を知れ――そう自分に語りかける声がある。

その声にしたがうとき、心は停まる。世の喧騒は関係がなくなる。外の世界がどのような状況であれ、自分がどのような場所にいるのであれ、それは動き続ける外の時空であって、自分の心とは関係がない。

心が停まると、人生のすべてから抜ける。超えることができる。

生老病死の苦。無常であるがゆえの苦。しかし心がそこから抜けてしまえば、心から苦は消える。

仏教では「不死」という言葉をよく聞く。この言葉はしかし、永久に生きる(転生する)という意味ではなく、「失うことを苦としない心の境地」を意味している。すべての現実から心が自由になれば、停まれば、抜ければ、そこに苦はない。つまりは「不死」である。

インド、そして日本――このまま生きていってよいし、ここで終わってもよいし、もっと大きな役割を果たしてもよいと思う。ただ、この心の使い方はつねに正しく知って、努めておかねばならない。

ひとは孤独を恐れすぎだ。孤独というのは何事でもない。心が「抜ける」ためのちょうどよい時間だと思えばいい。最上の幸福は孤独の中にもある。そこからまた新しい関わり、日常を始めればよい。

生き直せ。新しい人生をまた始めよ――孤独はそのサインである。孤独が語りかけているのはそういう声である。

ということを感じながら到着。出家ひとり、またこの国で頑張ります。みなさん、よろしく。

 (ヤクルトジョアがコンビニで売ってなかった……晩酌と銭湯はまたあらためて(笑))

※龍瞬語辞典 ばん・しゃく【晩酌】 嬉しいときにひとりで『ヤクルトジョア』を飲むこと。誰かの幸せに役に立てたと感じるときにおこなう。