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ひとまわり大きくなるための旅に出よう(興道の里インドツアー2015)

こんにちは、草薙龍瞬です。
本日29日早朝に日本に戻ってきました。今回のツアー参加者と一緒です。

今回も烈しい旅になりました……^^)。
インドという地は、毎回感じることですが、とにかく「濃い」のです。

街の喧騒、人間の熱さ、貧しさや汚さ、差別といった社会の現実が、いたるところから目に飛び込んでくるので、そのたびに日本での快適さや、いつの間にか固まってしまった自己意識が揺さぶられてしまうのです。

今回は、デリー夜の街のキャブでの道路逆走に始まって(笑)、ウダサ村や龍樹連峰遺跡地、佐々井師の寺院(龍樹菩薩大寺)見学、沐浴で有名なベナレス、ブッダが最初に教えを説いたサルナート、悟りの地ブッダガヤ、伝道の拠点となったラージギル、そしてあの玄奘三蔵も学んだ仏教大学跡ナーランダと回って、ブッダが最後の旅路で渡ったパトナを流れるガンジス河を舟で渡り、最後は走って飛行機のドアクローズ5分前というギリギリセーフの状態で日本への帰路についたのでした(笑)。

今回参加した方は、本当によく頑張ってくれたと思います。どんな感想が教室で聞けるか、楽しみです^^。

今回感じたことの一つは、「旅先での流儀」というもの。

旅というのは、本来、従来の自分をただ持ち込むことじゃないのですね。

むしろなるべくこれまでの自分を少なくして、アタマを空っぽにして、謙虚に、「新しい現実の世界をただ理解しよう」と心がけて移動する。

ありのままを見る。よく聞く。尋ねる――そこに徹する。

自分を持ち込むことではない。過去の体験と比較することではない。自分の意見や判断を語ることではない。

旅先で言葉が増えれば増えるほど、目の前の新しい現実を見る心の眼は曇ってゆく。

また豪華なホテルに泊まって、おいしい料理を食べて、有名な観光スポットを回って……というのは、日ごろの快楽の延長でしかない。

そういう旅行ももちろんありだけど、でもそれは日ごろの自分の延長であって、旅(トリップ)じゃない。

トリップというのは、日常からの脱出。自分という、小さな、ちっぽけな、閉ざされた世界からの脱出。

インドというのは、まじめに向き合うならば、この「脱出」をかなえてくれる最良の土地になりうる。何もかもが違うから。異質の星だから。

特に私が知っているインドというのは、ただの喧騒や混沌ではなく、貧困や差別やいさかいという生々しい社会的現実と、それを乗り越えようという強靭な社会変革の意志とによってできている。

もし今後このツアーに参加する人がいたら、その人たちは、インドの過酷な現実と、それに負けない果敢な意志との両方を見ることができるだろうと思う。

現実に負けない意志。現実を変えてゆこうとする意志――これは人間が持ちうるもっとも美しい資質だ。そして、この資質はめったに見られるものではない。

ツアーに参加する人たちがラッキーだと感じるのは、こういう稀有な資質、社会変革への美しい意志を目の当たりにできること。

今回の日本からの参加者は、あのウダサ村の幼稚園創立記念式典、そして寺院起工式の会場にひしめく人たちの、明るさ、熱というものを垣間見た。これは人生に一度あるかないかというくらいの稀有な体験ではないか。

ウダサ村近くの寺院起工式にて宗教にとらわれない社会変革の前線基地にする予定。
私は今回、日本の人たちをあの熱の中に案内できたことをもって、このツアーの最上の意義としたい。それくらいに貴重な光景だった。

本当の旅というのは、未知の現実・体験に、自分の心を揺さぶられ、おのれの反応を問われ、その反応のパターンを破壊し覆していくことが魅力なのではないか。

もし自身の反応に囚われてしまえば、旅は苦しくなるだろう。目の前には、圧倒的な、自分の力ではなんともできない巨大な現実・他者がある。

それを前にしてなおこれまでの自分を貫こう(守ろう)とすれば、すればするだけ、外に反応して心は力を失い弱っていくか、あるいは自分に見えるもの・聞こえるものだけを都合よく取り込んで終わりになってしまうだろう。

前者であれば、訪れた世界とは断絶されてしまうし、後者であれば、自己満足だけが残ることになる。いずれも旅の成果の一つだろうが(旅は正直に自分を映し出す)、本来の旅というのは、上手に過去の自分をリセットして、ほんのちょっと新しい自分に目覚めることなのだろうと私は思う。

新しい自分に目覚めるというのは、しんどいものだ。もちろん言葉なんて出てこなくなる。宿に泊まるとき、帰国の途についたとき、アタマの中には、旅先で目の当たりにした現実の記憶だけが、音として、映像として漂っている。その映像をなんども反芻して、ちょっとずつ過去の小さな自分を忘却して、抜け出して、ちょっと大きな自分になっていくのである。そういうものではないか。

私は、インドに行くたびに圧倒されている。車で移動するときには、心で田園のあぜ道を歩き、土壁の家の中にもぐりこみ、マンチャ(インド式のベッド)に横たわる老婆となり、砂埃まみれのワンピースをまとった少女になってみる。もし自分があの老女であれば、もしあの少女であれば、もしあの農夫であれば、どんな生活が、時間が、この身を包むのであろうと思いを巡らせる。

あの道を歩む人生を想え
もちろん私は出家だから、地べたに座り込んでいるあの物乞いの一人となり、極限の貧しさや絶望をいつ引き受けるやもしれないという思い、心の準備というものもある。

毎回毎回、「自分」を捨てるリハーサルを、車中で、訪れる場所でやっている。

だから疲れるし、圧倒される。その分、心が引き締まって帰ってくる。

今回も、いく先々で、出会う人たちの苦しみを見た。インドの人たちの日常を垣間見た。私はどの土地を訪れても、「この場所で生きるとしたらどんな人生が待っているか」と考える。そして「一体この土地に何をもたらせるか(作り出せるか)」という宿題をもらう。今回もたくさんの体験をもらった。ありがとうである。

このインド仏教を知る旅、もうひとつの現実・人生を体験するツアーは、これから育てていきたいと思う。工夫・改善できるところはつつしんで行おう。だが、ただの観光ツアーにはしない。これは目の前の現実を見すえる旅であり、自身の生き方を見つめる旅、ふだんの自分の心の使い方(反応のしかた)を知る旅である。社会見学とか研修旅行といった言葉では片付かない、もっともっと大きくて深い体験ができる旅。

今回の旅は、初めての日本人にはタイヘンだったと思う。でもだからこそ、9日にも及ぶ旅を完遂してくれた人たちには感謝と敬意を表したい。

このツアーは、ふだん仏教を学んでいる人たちには、最高の実践、テストになる旅だ。

圧倒的な現実の前に、どう反応するか、どう向き合うか。やっぱり、つつしみ・慈悲の心を大切にすることが、一番旅を実りあるものとするための心がまえのようである。

来年以降も続けたい。仏教を続けて学ぶ、志ある人たちと一緒に、ひとまわり大きくなるための旅に出ようと思う。