仏教講座スケジュール

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こんにちは、草薙龍瞬です。

光ほころぶ春――がやってきたようです。

今日は外に出ると、神楽坂はひとでいっぱい。外堀通りの桜もいっきに開いてもう3、4分咲き。靖国通りの桜並木もいっせいに白く輝いていました。

今は次の本の原稿書きで忙しくやっています。テーマは「反応しないでいい」といったものになりそう。

「反応」というのは、心動かすこと。とくに、欲や怒りや妄想や慢などの不幸な心の状態を作ってしまうこと。

外の見るもの、聞くものに反応して、こういう不健康な心の状態に陥らないようにする。そういう「発想」(心がけ)を持っておこうという話。

ひとは、身だしなみにはかなり気を使っている。今日の服はヘンじゃないかとか、体臭はどうかとか。

それと同じように「心の状態を見る」という習慣も身につけようという話。

昨日の座禅会で、「反応しない境地に達したとして、その先には何があるのですか?」という質問があった。

「それはその人次第。自由自在」とわたしは答えた。

古い仏教の世界には、「悟り・涅槃に到達すれば、いっさいの苦しみは解消される」みたいな神話があるけど、それは正確じゃない。

「いっさい反応が止まった精神状態」はたしかにある。それは言える。でもそれは、山のてっぺんに一度上ることができた、というだけで、その状態がずっと続くわけじゃない。やっぱり、それぞれの場所での生活・人生が待っている。それを生きるには「反応」するしかない。

反応は避けられないし、避ける必要もないと思う。そして、その反応には個性や価値観が出る。結局戻ってくるのは、この反応=自分だったりする。

ならば、仏教の修行や勉強はしなくていいのかといえば、それは明らかに違う。

結局、人間は「反応」を避けては通れない以上、その「反応の仕方」を学ぶのである。無駄な反応をなるべく防いで、またもし反応が湧いてしまったらそれをなるべく早くリセットする能力を身につけるのである。

そういう、反応を消す、あやつる、育てることが上手になったときに、反応の集積である「人生」そのものが好転していく。それは真実。

仏教というのは、心の状態を見る、反応を見る、反応をコントロールできるようになるための基本ツールだと思ってはいかがだろう。

そのツールをちゃんと使いこなせることを目標に、日々学び、実践していく道を生きる。それは正しい生き方に違いない。

昨日は、「反応しない心の先には、またこの生活がある」という話をしたけど、ひとつだけ言い忘れたようが気がする。

それは、反応を仮に乗り越えられるようになったとして(つまり、苦しまなくなったとして)、その先には、「ではこの命をどう活かすか」という大きな問いが待っているということ。

自分自身を乗り越えることは、最終ゴールじゃない。やっぱり、この命をどう使うか、だれに何を残すか、という貢献・働きがテーマになってくる。

そういう部分をも考えて生きられるようになったら、そのときひとは「成熟」を見るのではないだろうか。きっと「納得」も深まるに違いない。

ともあれ、よい季節がめぐってきました。よき反応^^を楽しみましょう。