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質問コーナー 悟りの状態と赤ちゃんの状態は同じ?ちがう?

こんにちは、草薙龍瞬です。
今日は、ご質問へのお答えです。

ご質問 (よいご質問、ありがとうございます。まとめてお答えしてみますね)

1)心が読めることについて
三年ほど前に神楽坂にて開催された2555年仏教講座に参加させていただいたときに
草薙先生は、心が読めるのだなと私は勝手ながら感じました。
講座中に何度か確認してみたのですが、やはり心が読めているようでした。
心が読めてしまう事実(だと思っている)は、瞑想により自我(エゴ)を取り除いていくと
わたしがわたしである感覚が薄れる・・・ということに関係しているのでしょうか?

2)悟りの状態と赤ちゃんの状態
瞑想により自我(エゴ)を取り除いていくとわたしがわたしである感覚が薄れる・・・
ということがYESである場合、
悟りの境地というものは、自我が芽生える前の赤ちゃんの状態ということになるのでしょうか?

最近出版された
勉強の仕方の本も大変参考になりました。
これからも俗っぽくない本を楽しみにしております。


面白い(視点がユニークな)質問ですね(笑)。仏教的に考えてみましょう。

1.
「心が読める」というのは、仏教=私の立場でいえば、「理解できる」状態だと言えるかもしれません。2つは、微妙にちがうんです。(以下の話は、私について持っていただいたご印象とは関係なく、ということで^^)

「読む」というのは、「読む主体=わたし」がいますが、
「理解する」というのは、「主体=わたし」はいません。

ただ「見ている・感じ取っている」だけです。自分は「透明」……反応してない状態のような気がします。

私の場合、もちろんひとと向き合っているときには、その場を作るために適度に反応しながら聞いていますが、それでも、心には、「ただ理解している(しようとしている)」状態だけがあるような気がします。

そういう状態を意識しながら(現実にはひとがいるので、完全にそういう状態にはなれませんが)向き合おうとしています。

喩えるに、もしかしたら、お寺のお堂に、その相手がひとりでいて、自身の心を語っている――そういう状況が理想なのかもしれません(こちらはただの「空間」)。あ、でも、やっぱり適度に反応して、反応してもらって、その中でそのひとの心を理解していかないといけない部分もあるので、やっぱり「あなたとわたし」の二人が、必要なのかも……そんなことを考えます。

「わたし」にも、感覚とか、感情とか、記憶(体験)とか、期待とか、想像とか、判断とか、いろんな要素があるので……たぶん仏教的な関わり方(教室での私?ということでいいのかな)では、自分の心の動き、相手の心の動きが、どういう心の動きなのかを、(たぶん普通には想像できないくらい、細かく、ち密に、しかも迅速に)理解しつつ、応答していく――その結果「正しい理解」にたどりつくということなのかもしれません。

(私が大事にしたいと思っているのは、上に書いた、感覚、感情、記憶――といった心の反応=思いをなるべくリアルに、深く、意識化する=覚えておきたいし、耳を澄ませたい、ということです。一つ一つの思いが、深くなればなるほど、ひととも通じ合えるし、それは本に書く言葉や、だれかに伝える言葉にもつながってくると思うので。)

そして「正しい理解」(それはかなり遠大な目標――たどり着くべき境地――であって、ほとんどの現実は、その一歩も、二歩も、数百歩、数千歩も前に留まっているわけですが)のあとに、

「正しい思考」というのが出てくると思います。つまり、どう返せばいいのか、関わればよいのか(相談ごとであれば、どう提案すれば一番よいのか)をそこで考える。

正しい理解の上に、正しい思考が成り立つ――その2つがそろった状態を、「智慧」と呼んでるのだと、私は理解しています。

たぶん、仕事でも、人間関係でも、相談事でも、こうした心の使い方(理解プラス思考)は、必要なのではないでしょうか。「理解」に「わたし」は、ほんとはいらないのです。

私も、そういう大きな心の働かせ方を意識して、関わらせていただこうと努力しています(でも教室での私は「ザル」です。かなり力抜いてやらせてもらっています^^)。

という意味でご質問(1)のご理解は、正しいと思いますよ(私についてのご印象はノーコメントで^^)




(つづく)