仏教講座スケジュール

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思いをこめて言葉をつむぐ

☆アマゾンから『反応しない練習』朗読CDが発売になりました。著者・草薙龍瞬のメッセージを試聴できます(司馬遼太郎氏の下です)。ぜひ聞いてみてください⇒アマゾンAudible

11月10日(火)
こんにちは、草薙龍瞬です。

今、自室に「缶詰め」状態です(引きこもりとも言う?)。来年三月刊行予定の「家族」をテーマとする本の執筆が、本格化してきたからです。
全国から、いろんな方々からおたよりをいただいています。ご遠慮はいりません。思いつくままに言葉を書き連ねて、そのまま「えいや!」と投函してくださいね。

長く大量の、錯綜した記憶や感情や願いの「溜まり場」が、出てくると思います。

ご本人にとっては、「こんなの送っては失礼では?」と思う方もおられる様子です。でも私たちの関係には「ブッダの智慧」があります。複雑で混乱した想いの世界を、きれいに整理整頓して、解決の糸口を見つけだしていく。うけとる私のほうには、けして混乱はなく、ただクリアな心の眼で、どうしたらこの苦しみを「抜けて」いけるのだろう?というところを、誠心誠意考えていっております。

ほんとは、もっとお電話とか直接会って、お話しうかがいたいところですが、ここから先、かなり時間的にむずかしくなってまいります。まずは、おたよりという形で、お話しを聞かせてください。よい本にしたいと思います^^。

●最近のおたよりから

>「反応をしない練習」を拝読し、本当に救われました。暗いトンネルの先に明かりをみつけた心境でした。それは、草薙様の本を心から「ホンモノの本」だと感じ、そして「この教えに従って頑張ってみよう」と思えたからだと思います。

行間から草薙様の生き様を感じ、深い愛情を受け取りました。本当にありがとうございました。

また草薙様の他の本「ブッタの思考法でアタマすっきり! 消したくても消えない「雑念」がスーッと消える本」「悩んで動けない人が一歩踏み出せる方法」も是非、拝読したいと思ったのですが、ネット書店では在庫切れ、10件以上、大型書店にも電話で問い合わせしてみたのですが「在庫がない」と言われてしまいました。

今、お手元に売っていただける上記の本はありますか?もし、お持ちでしたら、お譲りいただけますか。

――ありがとうございます。(今缶詰状態なので、おたよりは、とりわけ励みになります(笑))

最初の2冊は、私も持っていません(笑)。そのうち、タイトルなど若干変更して、リライトしたものを再刊できるかもしれません。そのときをお待ちください(私も待ちます(笑))。

●別のおたより(前回のメール通信について)

>あまりに真摯な内容で、私のチャラさをいさめておられるのかと、きゃあって、驚きました。サマネンちゃんの作者とはギャップがあって・・。

先生のご本は、やさしく、万人向きに書かれていますが、「言葉のブレがない」というのは、私も大昔は国語の先生でしたので、よく感じておりました。

それは、よほど勉強なさって、自分の論を練られて、生き方と重ねられて、深く落とし込んだ部分から発せられているためだろうと。

先生は35歳から今まで、どれほど苦労されたのだろう? どうやって生活されたのだろう?とかも、思いました。

――ありがとうございます。(今回は、著者寄りの話題となってしまい、多少恐縮を感じていますが)こうした著者の「人間」に向いて下さる感想も、個人的にはとてもありがたいです。理解してもらえる、というのはありがたいこと。

たまに、とっても厳しめのメール通信をお送りすることがあります(最近登録された方々は、びっくりするんじゃないかな~と案じつつ)。

ただその厳しさというのは、(いうまでもなく慢による言葉ではなく)透徹たる「正しい理解の眼」に立ったときにおのずと立ち上がってくる厳しさだろう(そう受け止めてくれたら幸い)と、思っています。

特に〝禅の言葉〟というのは、本来は、人間の心の曇り(煩悩と呼ばれることもあります)を一掃、一刀一断する強さ、鋭利さを持っています。自然と威儀(≒心の折り目)を正して、心が洗われていくような――。

だから、禅の言葉を扱った本というのは、それこそ読み進めるにつれて、心が凛とひきしまって、無色澄明になっていく、そういう妙力(≒不思議な力)を持っているものと思っています(本来は、です)。

仏教が目的とする「さとり(正しい理解)」というのは、不思議な境地です。相手・状況に応じて、かぎりなく優しくなることもあれば、切れ味するどい名刀のような鋭利さ・明快さを持つこともある。前回お届けした禅的言葉は、後者の例。仏教には、さまざまな文化・スタイルがあります。

面白いのは、原始仏典にみえるブッダの言葉もまた、ときにやさしく、あたたかく、ときに熱く激しく、ときにあまりに厳密・厳格に聞こえることがある点。ブッダという人は、(私以上に(笑))、妥協・迎合なく、「正しい理解」に立っていた破格の知性の持ち主だったようです。だから、その言葉にも、いろんな内容・姿が現われる。心とは、面白いものです。関わりによって、さまざまに姿を変える。生きている。

●「道を生きる」というのは、ときに辛く、寂しく、孤独なものです。私も人間として、長い間実感して生きてきたから、そう思います。

ただ、長い歳月を迷い・苦しみの中で生きてきて、「もうこれ以上、この生き方をつづけていてはいけない」という思いが募って、あるラインを越えたときに、「私はこの道を生きていかねば」という覚悟みたいなものができるような気がします。そのときに真実の道=生き方が見える。「出家する」とはそういう覚悟に立った上での儀式なのかもしれません。

と言っては、世俗から離れた特殊な生き方に聞こえてしまうかもしれないけれど、でも「心という聖域」に、きちんと自分なりの価値・考え方・心がけを置く、というのは、誰にとっても意味あることではないでしょうか。

「気づき」をもって心を見ること。慈しみを念じること。「苦しみは正しい方法――道――によって越えられる」という信頼を持つこと。こうしたことは、今生きているこの日常において、可能なはず。それぞれが心の中に「道」を持てるように、学んでいこうではありませんか。

(おたよりの続き)
>怠け者な私ですが、「雨天の友」で、ずっと応援いたしますから、ひきこもりの大将として、どうかめげないでください。

とことん嫌になったら、インドの幼稚園やお寺に行って、帰ってこないという手もあります。自由でいらっしゃってください。

――ありがとうございます。どこで生きていくことになるかは、因縁によることになるのでしょうね。正直、いつこの人生が終わるかもしれない(つまり、今回の本がみんなにお届けできる最後の本になるかもしれない)、いつインドのほうに命尽くすことになるかもしれない、という思いはいつもあります。せめて、人々にベストの誠実さを保って参りたい。苦労性といわれようと(笑)、もっとラクに生きたら?と突っ込まれようと(笑)、これが出家の生きる道、この命からかの命に向けて、次の本、わかりやすく、あたたかく、情感のかぎりをこめて、お贈りしたいと思います。ひきこもり大将としてがんばります(笑)。

そろそろ、お気楽りゅーしゅんに、戻ります(笑)。