仏教講座スケジュール

●古い仏教のイメージから自由になりましょう。心の苦悩・現実の課題を越えてゆくことが、最も大事なこと。思い込みを捨てた時に、ブッダの教えの真髄がみえてきます。
●全国行脚、まもなくスタート! 講座、個人相談、法事など、ご希望者はご連絡下さい(クリック)
●仏教講座のスケジュールはこちらをクリック。 
●メール通信、配信中。
①お名前、②都道府県、③近況(本の感想・知ったきっかけ等も可)をひとこと 書いて koudounosato@gmail.com まで。※フリーメール着信拒否の設定になっていないか、ご確認ください。
●廃寺・空き寺・日本家屋を募集中! 生き方と教育と仏教をひとつの場所で――ご提供くださる方、ぜひご連絡ください。

インド再訪 あれから十年・・・

1月19日
こんにちは、草薙龍瞬です。

今、インドにいます。

昨年と同じく、みなさんに出立の挨拶をできずに、慌ただしく日本を出ました。ギリギリまで作業して、時刻が出発の日に入ったところで旅の準備を始めて、時間になったら家を出るというやり方が定着したような(絶対に飛行機に乗り遅れられないという切迫感があるので、逆に安心してギリギリまで作業できるのです(笑))。

特に今回は、本の原稿を書くことに追われて、アタマが完全に「日本バージョン」になっていました。ご理解いただけるでしょうか^^;。ふだんの生活でしていること、アタマの中で考えること、お付き合いする相手などが、全部日本のモノ・ひと、の状態。その上、旅支度しつつアタマを切り替える時間は、ほとんどなし。

飛行機の中でも、考えることは今進んでいる仕事のことばかりだったので、インド・ムンバイに降りてもあまりインドを感じず、どこかリアリティがないまま、ナグプールに向かったのでした。

ナグプールに早朝降り立って、空港の外へ。日本からは、慌ただしく事前にインド到着と出発の日時をメールで一本送っただけだったので、もしかしたら今日私が着くことを忘れているかもしれないとも思いつつ・・・。

ですが、実際には――ラケシュらNGOのメンバーたちだけでなく、寺用の土地を寄進してくれた男性たちや、現地の坊さんや、その他新 しい人たちが、花束を持って総出して迎えてくれたのでした。村をみなで出たのは、朝6時半だったとか。起きたのはもっと前だったでしょう。ありがたい話で した。

お店で朝食を食べつつ、現地の話を聞く。考えてみたら、ここ数年は、日本から誰かを連れてきて、数日滞在しただけで去るという状態だった気が。でもこうしてひとりで来ると、肌で感じる空気が違う。もともと同化することが得意な性分からか、再会して三〇分で、もう「半インド人モード」である。今度は日本が遠くなってきた(笑)。

ちょうど十年前の2006年に、初めてこの地にやってきた。そのときは、日本に帰るつもりは、もうなかった。師に受け容れてもらった日以降は、一生この地で生きていくのだろうと思っていた。

「ここで生きていく」つもりでいるのと、「旅のつもり」でいるのとでは、その土地と自分の関係性がまったく違ってくる。旅のつもりなら、「視点」はどこか上か ら眺めているように遠くなるが、その土地で生きていくつもりなら、視点は急に低く、地べたに近くなって、目の前の風景しか見えなくなる。「この地で生きていく」ことが心の前提になってしまう。

つい数時間前までは、完全に日本モードだったのが、今度は完全に「インドの出家僧」モードになってきた。

日本で出会った人たち、みんないい人たちだったな、本当にお世話になりました、ありがとう、またいつか逢いましょう、それまでお幸せに、お元気で――なんちゃって(笑)。

●ウダサ村に入ると、いつもと変わらぬ人たちがいた。近所のご婦人たちも、隣の家の犬サンディも、ラケシュの家の緑のオウム(名はミトゥという)も。サンディは、私の顔をよく覚えてくれていて、見つけるとしっぽをふって近寄り、僧衣に顔をうずめてくる。

子供たちは確実に大きくなっている。2009年に幼稚園を作ったときに3歳半で入園してきた子たちが、今は9、10歳に。現在170名。

幼稚園は、今年中に新しい教室を立てて、次のステップでは「小学校」の認可を受ける予定とのこと。資金不足で、まだ校舎はレンガ地むきだし。ほんとは漆喰で固めてカラフルに色を塗るのだが、そこまで行ってない。授業料も月400円のまま。経営が苦しい状況は変わらない。あと3年くらいは逼迫状態が続くだろうという。ここは、日本チームが出番になるかもしれ ない(というか、頑張ってそうしよう。まずは私が働かないと(笑))。

22日には、寺建立中の土地で大会がある。5000人以上の人々が、仏教の話を聞きに来る。さてどんな話をしようか。まずは現地で起こった痛ましい事件の報告を聞いて、「悲の心」に立って話を組み立てていくことにしよう。

十年前、インドに来たときは、何も知らず、何ひとつ未来が見えなかった。あれから十年――その歳月はけして長いとはいえないが、今自分が立っている場所も、担っている役割も、この地や日本での関わりも、あの頃に比べて大きく変わったし、明確になってきた。どの場所においても伝えるべきは、仏教の本質。その点は同じである。わかりやすい言葉で、苦しみを溜めない「心の使い方」を伝えていく必要がある。それが今の時点では日本語、やがては英語でやっていくことになる。

ラケシュ一家が私財を投じて作っていた「インターナショナル・ゲストハウス」が、7割がた出来上がってきた。話が立ち上がって、もう4年は経っているだろうか。ひとまとまりの農業収入が入ったら、そのぶんで資材などを購入して、私や日本の訪問客が滞在できるようにと、コツコツと建設を進めてきた。

その中の、「昨日仕上げた」という一室を与えてもらった。水洗トイレや温水シャワーなど、自分たちのためなら絶対に作らないだろう設備がある。インドに来るたびに、「与える」ことへの彼らの自然さに、どこか胸が痛くなるくらいの感銘を受ける。さりげなく心が広いのである。

「帰ってきた」という感のある再訪だった。
インドにも、日本にも、いろんな「家」がある今は幸せでございます(笑)。

ウダサ村のお寺にて

2014年に撮った幼稚園の写真