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インドに来て見えてくること(ある青年の自殺)

1月19日

インドでまた哀しい事件が起きた。ある大学の博士課程にいた青年が自殺した。

(※ハイデラバード中央大学のロヒットという名の青年。アンドラプラデシュ州出身)。

彼はダリット(不可触民カースト)の出身だった。寮の部屋に、ダリットたちのヒーローであるアンベドカル博士のポスターを貼っていた。

(※知らない人のために伝えておくと、アンベドカルはカースト差別禁止を掲げる今のインド共和国憲法を書き上げた人で、マハーラシュトラ州の不可触民たちを仏教に改宗させた人。いわば、現代インド建国の父であり、インド仏教復興を成し遂げた人でもある)

寮を管理する教官が見つけて、ポスターを「はがせ」と言った。青年は拒んだ。すると教官は難癖をつけて青年を寮から追い出し、大学総長に告げて退学処分にしてしまった。青年に味方したダリットの学生たち5人も大学にいられなくなった

もちろん「ポスター」騒動は、青年が体験した数ある騒動のほんの一角である。

事態の根が深いのは、彼の自殺の背景に、インド特有のカースト差別や、カーストに由来する政治的対立があることだ。

青年は、ダリット学生をまとめる学生組織のリーダーだった。実はこの大学では、過去10年で9人ものダリット学生が自殺している。青年がアンベドカル博士のポスターを剥がせと言われたのは、差別の序の口だ。講義を受講させてもらえなかったり、奨学金を打ち切られたり、寮から追い出されたりという差別が、ひんぱんに起こっていたらしい。

学内には、もう一つ、インドの超極右組織(インドをヒンズー教だけの国にしようともくろむバラモン・カーストの学生組織)もあって、青年たちのダリット組織と激しく対立していた。
この対立は政治的見解の対立というより、自分たちの絶対的優越性と、下位カーストへの差別の正当性を信じきっているバラモン・カーストと、自己防衛を余儀なくされる下位カーストたちの、きわめて人為的な対立である。

人為的というのは、もともとなくていい対立を、無理やり作り出しているという意味だ。結局、カーストによって一部の人間の優位性を守ろうという「病的な貪欲」が作り出している対立である。

青年にさまざまな理不尽を強いた大学教官も、大学の総長も、バラモンたちだ。青年は、中央政府の大臣(人材開発省Ministry of Human Resourceの大臣)に、窮状を訴える請願書を送った。ところが、その大臣もバラモンであり、超極右組織をバックに持つ人間だった。大臣は、青年の訴えを無視した。結局、青年は大学にはいられなくなった。そして、自殺した。

青年は、「科学ライターになる」という夢を持っていた。あのカール・セーガンのように、科学を解説することで人類の問題を解決していく前向きなメッセージを発信していくことを、希望していたらしい。

(※カール・セーガンはアメリカ・コーネル大学の教授で80年代に科学啓蒙書や小説を発表。自ら企画し出演したTV番組『COSMOS』は、全世界4億人が見たといわれる。私もそのひとりで、カール・セーガンのファンだった)。

青年は、夢の途中で、非合理な人間たちに道を塞がれてしまった。顔写真を見るかぎり、心優しくかなり繊細な青年にみえる。家庭に恵まれず、読書による想像の世界で心を癒していた様子である。その夢を伸ばして、入った名門大学が、バラモンに牛耳られた超保守的な場所だった。

日本人の中に、「きっと大丈夫」(3idiots)というインド映画を見た人がいるだろう。名門工科大学に新入生として入った3人の学生たちの日常を描いた作品だ。その中に、ラジコンヘリの作製に夢中だった学生を、高圧的な大学総長が退学処分にした話が出てくる。映画の中の学生は、夢を奪われて寮で首つり自殺をした。
あれは映画の中だけの話かと言えば、そうではないのである。ただ現実は、もっと殺伐としている。大学そのものが、そして中央政府までもが、カー ストを奉じるバラモン・カーストたちに支配されている現実がある。

正しく憲法・法律、あるいは人間としての良心に沿って対処されれば、このような事件は起こらずにすむ話である。しかし現実には、執拗に同じような事件が、この地では起こる。


20日にナグプール大学の学生たちに講演させてもらう予定だったが、ロヒットの追悼と、政府への異議申し立て集会を開くことになり、中止になった。学生たちが問うているのは、大学総長と中央政府大臣の責任であるが、今のところ回答は返ってきていない。

カーストによる優位性や、どの宗教を信じるかで人間をふるい分けようとする思想――これらは人間の妄想が作り出した非合理な発想だ。 
こうした病的な発想が、東アジアでも、中東でも、このインドの地においても、克服されるどころか、今日ますます頑なに、病的に激しくなってきている気がする。

コレが正しいとこだわることで、本来なかった対立を生み出すような思想」は、もういい加減、卒業したいものである。それがいかに神聖な外見を装った「神」や「宗教」であっても、人と人との間に対立を作り出すものなら、それはただの妄想にすぎない。要らぬではないか。

いったいなんのために、宗教や思想は存在するのか。 結局、人間の我欲・優越欲を満たしたいがための、物語にすぎないではないか。

蛇足の域に入るが、仏教そのものに も、一部の人間の我欲に都合のいい物語や伝統というものがある。それはチベットであれ、スリランカであれ、タイであれ、ミャンマーであれ、どこにおいても同じである。

どの国にも、本来なくていい歪み、作り出された差別というのがある。そしてその差別を、「ブッダの教え」として正当化しようとする僧侶・長老たちがいるのである。彼らは「輪廻転生」や「来世への功徳」や、「比丘・長老たちへの帰依」を説くが、それは背後において、自分たちの特権・利益・地位の 確保ときっちり整合している。

「〝仏教〟を最初においてはいけない。自分自身の幸福を、そして社会の改善こそを、最初の目的にすえるべきだ」と、私が伝えているのは、こうした「狡猾な歪曲」が、どの土地の仏教にも存在するからである。

本質だけに立つなら、「仏教」はいらないし、「宗教」もいらない。総じて、「我欲に簡単に囚われてしまう〝人間〟が作り出す妄想」は、いらないのである。むしろ、妄想を抜けること。そして、宗教ではなく「現実の苦悩」を最初にすえること。苦悩をこれ以上増やさぬために、何をすればいいか。苦悩を解決するために、どんな可能性・方法があるかを考えること。

そこから出発して、効果的な方法を見出して、実践する。
そうした発想の先には、もちろん苦悩の解消・現実の改善しか出てこない。

そうした合理的な筋道において、役立つ〝智慧〟――理解の仕方・考え方・関わり方――となるものを〝ダンマ〟と呼ぶ。
ダンマとは、本来、そのようなものである。「仏教」と呼ぶことさえふさわしくない、人間の欲や妄想を超えた普遍的な「方法」のことである。その方法ならば、さまざまな宗教と両立しうる。

いつになれば、人間は、正しい目的にめざめるのか。言葉を尽くして、ダンマとは何かを伝えねばなるまい。

↓フェイスブックから(下の英文は青年ロヒットの遺書)

His suicide note (as shared by Dalel Benbabaali):
"I always wanted to be a writer. A writer of science, like Carl Sagan. At last, this is the only letter I am getting to write.
I loved Science, Stars, Nature, but then I loved people without knowing that people have long since divorced from nature. Our feelings are second handed. Our love is constructed. Our beliefs colored. Our originality valid through artificial art. It has become truly difficult to love without getting hurt.
The value of a man was reduced to his immediate identity and nearest possibility. To a vote. To a number. To a thing. Never was a man treated as a mind. As a glorious thing made up of star dust. In every field, in studies, in streets, in politics, and in dying and living.
I am writing this kind of letter for the first time. My first time of a final letter. Forgive me if I fail to make sense.
May be I was wrong, all the while, in understanding world. In understanding love, pain, life, death. There was no urgency. But I always was rushing. Desperate to start a life. All the while, some people, for them, life itself is curse. My birth is my fatal accident. I can never recover from my childhood loneliness. The unappreciated child from my past.
I am not hurt at this moment. I am not sad. I am just empty. Unconcerned about myself. That's pathetic. And that's why I am doing this.
People may dub me as a coward. And selfish, or stupid once I am gone. I am not bothered about what I am called. I don't believe in after-death stories, ghosts, or spirits. If there is anything at all I believe, I believe that I can travel to the stars. And know about the other worlds. (...).
Do not shed tears for me. Know that I am happy dead than being alive."
via Ameen Hassan and Fahad Mohammed
Rohith Vemula, one of the Dalit research scholars who was expelled by the administration of University of Hyderabad committed suicide.