仏教講座スケジュール

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気合い入れて何が悪いか

3月6日(近況報告)
さて、いよいよ、3月の新刊『大丈夫、あのブッダも家族に悩んだ』(海竜社)と、

4月発売の『これも修行のうち。』(KADOKAWA) の校正作業が、佳境に入ってきた。

「佳境」といっても、まだ終わりそうな感じはしない(笑)。

毎回のことだけど、いちど原稿を書き上げた後の詰め&直しの時間が長いのである。連日の徹夜状態が続いている。規則正しい生活というのが、この時期には崩壊する(笑)。これはもはや「行」【ぎょう】である。

私自身の本作りは、かなり「緻密」だと自分でも思う。緻密を超えて、緻密。具体的にどう緻密か説明する気力も今はないけど(笑)、とにかく一字一句にまでこだわる(それでも漏れが出てくる(笑))。小数点何桁までの計算間違いがないように、的な神経の使い方。俗な譬えで申し訳ないけど、受験勉強を今回思い出した(笑)。とにかくギチギチに、スキなく計算や知識や答案の書き方を詰めていく。それくらいに精魂込める、という感じがする。

もちろんそういう取り組み方が、出てくる言葉を良くしてくれるとは限らない。むしろもっと気軽に書き連ねていく方が、読みやすい文章になるのかもしれない……いや、やっぱりそれはナイ。読みやすさ・届きやすさを目標に、できるかぎりの工夫・努力をするというのが、私なりの本の作り方である。

今、それができている状況、めぐり逢わせ(縁)に感謝したい。

なぜこんなに精魂込めてしまうかといえば、あえてひとことでいえば――

命かかってる

という思い。誰の命か?――わかりません(笑)。ただ自分自身の心の持ち方として、この作業に命がかかっている、という、なんだかずいぶんと(笑)思い詰めた感じがあるのは確か。これは性分かもしれない。

私の本に出てくる物語というのは、実際に、仏教によって少し救われた・癒されたと言ってくれる実在の人たちを反映している。そういう人たちに向けて、本だからこそ伝えられる深みや広がりというのがある。かつて出会った人たちのことを思い出しながら、できれば再会して直接語り合っているような、そういう息づかいを感じられる言葉をめざしている。

それに、こうして現代的なテーマに沿ってブッダの思想を組み立て直して、人のもとに届けることで、誰かがそれを受け取り、自分なりに感じて、考えて、人生にほんの少し、ラクになるヒントや、前に進むためのきっかけ、智慧みたいなものを得てくれることもある――というのは、事実としてつねに覚えているつもりである。

ストレートに言えば、私は、自身が真心・魂魄をこめた言葉を、ブディズムという明快にして深遠なる思想を、きちんと、必要とする人たちに届けたい。そして、役に立ててもらいたいのである。

そのための言葉ならば、それは自身の心の一番深いところから出てくるものでなければいけない。

その言葉を掘り起こすことに毎回全力を尽くして、自身でも、想像しなかった一冊分のストーリーが生み出される。これは、自分の心からの語りかけであり、いわば「出家からの恋文」なのである。

「道求める人たちに、届いてください」という思いなのである(笑)。

この言葉が、きちんと相手に届いたときに、それまで存在しなかった〝つながり〟がこの世に生まれる。これは、本という形でしか、作り出せないつながりである。

届く。響く。広がる。つながる。もしかしたら、何かが変わるかもしれない。誰かの日常が、今よりほんの少しラクに、幸福になってくれるかもしれない。

としたら、これほど、かけがえのない、貴重な機会があろうか――。

命を尽くすことは当たり前である。

私は、仏教という道で励んだ「精進」を、今は、授かった本づくりの機会においてやっているのである。だから「行」【ぎょう】なのである。

ただ、仏教独自の修行と違う点がある。

修行そのものは、正直、広がりを持たぬ自分のための行いである。(それを、人々のためと語る言葉――「この功徳を回向する」とか――もあるが、現実と合致していない)

他方、本の言葉を紡ぐというのは、誰かひとさまの役にきっと立つ。というか、役に立つような言葉を紡ぐことが、本として成り立つ最初の条件である。そういう、ごまかしの利かぬ条件と、自分以外の誰かの役に立つことを存在意義とする点が、閉ざされた仏道修行との一番の違いであろう。

誰かの役に立つ可能性があるからこそ、その可能性を最大限にしたいと思う。「本」というのはかけがえのないものだ。著者にとっては魂の現われであり、受けとる人にとっては、ひとときを共にする友である。本は、恋文であり、新しいつながりのきっかけであり、ほんの少しよき将来への希望でもある。「たかが本」というな(笑)。送り手は、一冊一冊、夢をもって、情熱込めて、ていねいに作るべきだと思う。

そのために、自身にできうる限りのことをやる。しかも、密度濃く、効果的に、掘り下げられるかぎり掘り下げて――である。身を削って何が悪いか(笑)。

必要としている人に、届いてほしいと願っています。※こんな本でございます↓