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親をあきらめる。虚しさが残る。でもそこで終わりじゃない【Q&A】

3月23日
今回は、あるお便り(質問)を受けて、考えてみたもの――

親に対する執着――たとえば受容されたい・愛されたいという願い――が、
「かなわぬ夢(妄想)」であり「無意味」だったとわかったとき、
人はどんな気持ちになるだろうか?

●ある人はいう――
> 身も心も空っぽでどこにも生き場が無い思いも同時に抱いてしまっているのが正直な感覚かもしれないと感じています。これは妄想でしょうか。


ストレートにお答えすると、「空っぽ」というのは、執着を手放し始めたときに起こる感慨。

それまで長年抱え続けてきた親への執着が、自分の胸の「外」に出始めてしまった。

あるいは長年苦しみ続けてきた「原因」がはっきりと見えてしまった。

そのときは、胸を占めていた苦悩は、外に放出しはじめる。心は自由になっていく。

「病巣」を取り除いた時に、肉体に「空洞」が確実に生まれるように、心もまた執着・苦悩の理由が抜け始めたときに、すこしスキマができる。

そのスキマは、最初は居心地が悪いもの。初めての体験だから。

●同じ人はこう訊ねる――
> 「今生きていられているということは、生きていてよい(私の言葉を引いて)」

何故生きるのでしょうか。

生きている意味が虚しく、母の自己満足の為に生きてきたような今までの人生にも意味も見出せ無い思いに、

ただただ感覚を体得する訓練が今世のテーマ。とは言え、あまりに虚しく感じてしまっております。


率直に答えよう――その「虚しさ」もまた、執着が作り出しているものだということ。

正確には、執着の「残滓」――残りかす――だ。それまで、しがみついてきた、心向け続けてきたモノが幻だったと気づき始めたのだ。となると、戸惑うし、すべてが虚しく感じられるはず。それが自然な反応だと思う。

「感覚から心を作り直す」というのが、『大丈夫、あのブッダも家族に悩んだ』の第六章で明かした仏教的な「生まれ変わる」「新しい人生に踏み出す」方法。

これは、「執着」を手放しきれない人にとっては、「虚しい」ことに見えるのかもしれない^^。

しかし、まったくそうじゃない。「感覚」から心を蘇生していくのだ。その先に、新しい喜び・幸福が入ってくる。

たしかなのは、肉体の感覚をクリアに感じ取れずして、本当の喜びの感情は持つことはできないし、人生の充実感や納得というのもまた、本当の意味ではつかみきれないということ。

執着し続ける限り、感覚を意識すること――サティの練習――は、今一つ意味を感じられないかもしれない。ただ、その思いこそが、執着が作り出しているものだということを、ぜひ覚えておいてほしい。

●さらに、同じ人はこう訊ねる――
> 一人で生きる孤独。に耐えながら生きながらえるしかないのでしょうか。


「孤独」というのは、命の基本形だ。別にそれは恐れることでも、虚しいものと否定すべきものでもない。命はみな孤独なものだ。家族と一緒にいようと、親や子とともにいようと、本当は、ひとは「孤独」なのだと考えてみよう。

「孤独」とは、「心の自由」の別名でもある。人はみな孤独だから、「心の自由」をもっている。

しかし、その心に執着や、怒りや、妄想を詰め込んでいるから、「孤独」であることに気づかないとともに、「心の自由」にも気づけないままでいる。

もしそうした「詰め込んだ」状態をずっと生きてきたのなら、「孤独」という名の「心の自由」は、うろたえ、恐れ、できれば遠ざけたい対象になるだろう。

ただ、その恐れは、引き受けていいものだ。ひとはみな、孤独を知って、その期間を「待つ」ことで、徐々に、その「孤独」の本当の正体――「心の自由」――を知っていく。これは「慣れ」の問題である。

そして、あるとき、心が自由になるときがくる。そのとき、なぜかわけもなく、嬉しく、ほほえましく、心温かに感じられて、不思議に思えることだろうと思う。


●今「虚しさ」にとらわれているとしたら、あなたの前に二つの道があると思ってほしい。

ひとつは、これまでと同じように、執着に心を使い続けて、生きていく道――そこには「さみしさ」がずっとつきまとうことだろうと思う。

もうひとつは、執着を手放して――最初は戸惑うかもしれないが、徐々に慣れていって――新しい人生・幸福を少しずつ体験していく道である。

あなたが今感じている「虚しさ」は、多くの人が、くぐってきた「通過儀礼」である。その先を歩いてごらん、というのが、ブディズムからのメッセージだろうと思う。

あなたが今感じている以上に、新しい道は、わるくない道である。


※この点についての最上の答えは、『大丈夫、あのブッダも家族に悩んだ』海竜社、特に第六章に書いてあります。率直に、本の言葉が最も洗練されているので、このテーマに興味がある方はぜひ一度読んでみてください。今後、家族・恋愛・男女関係で悩むことがあったら、「相手の業を理解する」という発想を持ってみていただければと思います。質問&感想もお待ちしています。