仏教講座スケジュール

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Q&A【子育て編】 子どもの承認欲との向き合い方

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おしらせ

●7月31日(日)午後2時から、仙台で茶話会
参加ご希望の方は、①お名前と②携帯(臨時連絡用)をご連絡下さい。場所は公共施設。個別に連絡します。

朝日カルチャー大阪『ブッダの教えから学ぶ 人生をより快適に生きる方法』
8月 22日 (月), 16:00 ~ 17:30
朝日カルチャーセンター中之島教室(大阪市北区中之​島フェスティバルタワー18階) 06-6222-5222


名古屋・栄中日文化センター 「座禅エクササイズと仏教こばなし」
8月 25日 (木), 10:30 ~ 12:00
〒460-0008 名古屋市中区栄4丁目1番1号 中日ビル4F 0120-53-8164

 


●8月28日から四国・九州行脚。9月3日は熊本市で法話会。お声かけていただいたところに立ち寄ります。

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Q&A 子どもの承認欲との向き合い方

ロンドン在住で、kindleで『反応しない練習』を読んでいるママさんから。
Q「5歳の娘のことで相談です。

「(お友だちの)○○は、良いものをもっている(羨ましい)。エミリーは可愛いスカートをはいていて、フェアじゃない。私は○○ができるけど、ジェイコブには○○ができない。わたしは難しい本をよむが、ミヒャエルは読めない――

などと、子供のレベルですがジャッジメンタルな(判断を含む・批判的な)表現で自慢したがったり、タイミングを見計らって、そのお友達と張り合うような会話をしようとします。

「くらべるのではない You are you, we are all different」という風に伝えますが、この資本主義社会、激しい情報化社会の中で、子供に心の持ちようを伝えたら良いでしょうか? 娘がいう自慢や 他人と比較する表現に、どのように対応したら良いのでしょうか?」


A 
子どもらしい様子が伝わってきますね(ほほえましい(笑))。

ひとことで言うなら、「まだあんまり気にしないでいいのでは」ということでしょうか。

ひとと比べてモノをいうというのは、たしかに承認欲から来ています。この承認欲が子ども時代に顕著に出てくるのは、おそらく2回――5歳から9歳くらいと、 14歳前後、じゃないだろうか(このあたりあくまで個人的な経験・印象で語っているので、適当に受け取ってください)。


●一番用心しないといけないのは、十四歳前後のいわゆる思春期の承認欲。この頃は「自意識」が急激に肥大し始める時期です。

この時期に、「妄想」(ボク・わたしはすごい・優秀といった自己イメージ)や、周囲への「怒り」があると、「承認欲」と結びついて、自意識のモンスターみたいな人格が育っていくこともある。たとえば、極度のナルシシズムや、傲慢・独善や、怒り型の性格など……。

※ちなみに「新型うつ」と呼ばれている現象は、すべてそうだとはいえないけど、けして病気ではなく、承認欲で周囲に怒りの反応をして、その怒りが蓄積されてヤル気が失せてしまう状態、と理解できなくもない。プライド・優越欲は高い、でも現実の自分は追いついていない、なので不都合な現実の前ではウツになり、 それ以外の娯楽などではヤル気復活、という姿も、なかにはあるみたい(もちろん全部じゃないよ)。プライド、は結局、自分を苦しめる。さっさと捨てて、素直になりましょう。


●その一方、5歳前後の「自意識」というのは、もっとシンプルで、親が肯定してくれれば、それで満足できたりする。学校が始まって、新しい友だちも増えて、多くの子どもは、それなりに元気にやっているが、やっぱり環境にどう 適応すればいいか(どうふるまえばいいか)は、子どもながらによく考えている。

もっと幼い頃なら、親の懐に飛び込んで、ひと安心。でもそれだけじゃ足りなくなった年頃の子どもは、それ以外の安心をなんとか得ようとする。そういう心情からの「比較」である可能性がある。

この「比較」が、クセになっちゃうと、本人のためにならない。「認められるためには、努力すること。貢献すること」が基本だから――ただ、それを理解してもらうのは、もう少し先のこと。そのときまでに親自身が、そういう価値観に立つ必要がある。

(準備して下さいね、ということ(笑)。下手な比較や、ご近所・周囲の視線・評価を気にしちゃうという発想に流れないように――親がそういう発想から自由でい れば、子どもは比較という発想をしなくなる。結局、親がどう返すか(対応するか)で、子どもが(家か外かで)学習してきた「比較」という発想がつづくかどうかが、決まる。)

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●積極的に話を逸らすなら、承認欲のライフサイクルって、以下のようなものかも――

①承認欲(親に見られたい・愛されたい・褒められたい)
   ↓
②単純にかわいがってもらって満足(乳幼児期)
   ↓
③頑張ること・ガマンすることを褒められて満足
   ↓
④社会的に価値あること(勉強・活動・仕事)を評価されて満足
   ↓
(それで生涯生ききる人もいれば、途中で限界を感じる人もいる)
   ↓
⑤お役に立てればよし(貢献)という思いで満足
   ↓
⑥(それすらも超越して)自分自身の価値観をもって満足
   ↓
⑦(さらには悟って?)いっさいの判断・期待をもたない状態で、〝事実上〟満足(ただ生きている・ただ活動している。それで十分という実感がある)


――①から④は、外(他者)の承認や、成果を必要とする。でも⑤から先は、自分自身が納得できていればそれでいい。前半は、まだ子どもの発想が残っているのに対し、後半は、完全に「自立」している。おとな(?)の境地。

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●本題に戻ると、5歳前後の「比較」というのは、まずは安心したい・親に認めてもらいたいという素朴な承認欲から来ている。だから、親としては、「比較」そのものにとらわれない(考えすぎない)で、子どもそのものを認めてあげることだろうと思う。 たとえば、

「○○(自分の子供のこと)は、こんなことができるんだね、すごいね」

「よくがんばったね」 (努力・辛抱をほめる)

「(子どもの友だち関係をよく聞いて)○○ちゃんにそう言ってあげたの?してあげたの? エライね」

――要は、子ども自身のこと・子供の言葉・ふるまい〝そのものだけ〟を褒める(そのためには、よく見て、よく聞いてあげる必要がある。親の最初の務めはやはり「正しい理解」Right Understandingである)。

とにかく、子どもというのは、褒めるときには、条件をつけず、百パーセント褒めてあげること。大事なのは、「親というひとりの人間が、完全に自分を認めてくれた・受け止めてもらえた」と子どもが実感できること。「褒める練習」もしないといけない。親に雑念・煩悩・我欲・期待があると、純粋に褒めることはできない。褒めるのも修行がいるのである。

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●これが基本。そのうえで「比較」という発想――子どもが学習しはじめた「判断」への受け止め方を、確立しよう。

子どもが示す「比較」の部分には、けっして反応しないこと。親自身も絶対に「比較」しないこと。

よ く「近所の○○ちゃんは、こんなことができるんだって(すごいね)」と、よその子を引き合いに出してしまう親がいる。これは厳禁。子どもからすれば「自分 を一番みてもらいたい」時期に、親が他の子どものことを語りだすというのは、あまりに不条理(笑)。なんでよその子の話をしているの???(⇒わたしのこ とはどうでもいいの?)ということになってしまう。

ここでも、子ども自身のふるまい・言葉・考え方そのものを、よく理解して褒めてあげることが、絶対の基本になる。まずはその練習。

そのうえで、子どもが、他の子を引き合いに出してきたら(はて、その比較は誰から学習したのか?気をつけたいものですが(笑))、

「比べなくていいのよ。あなたのことは、お母さん・お父さんが一番よくわかっているから」と言ってあげること。

もし、もう少し大きくなって、比べることでひとを見下したり、プライド・虚栄心を見せるようになったりしたら、

「そんなことを考えても、自分にプラスにならないからやめなさい(少なくとも親は聞かないし、ゼンゼンいいとは思わない)」と、はっきり伝えることかと思う。

比べたって、なんの足しにもならない――ということ。これは、十歳くらいから先、分別(思考)が身につきはじめて以降に、親が伝えるべきこと。

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●こう考えていくと、見えてくることがある。それは、親自身が、誰よりも一番、成熟・成長を求められている、ということ。

比べない。世間の価値観を真に受けない。自立する。

子どもの思い・言葉・ふるまい(だけ)を、正しく見つめて、正しく聞いて、褒めるべきところを大いに褒め、「子ども自身にとってマイナス」なことについては、人間として厳しく叱る――「わたしは、あなたにとってそれが正しい・プラスだとは思わない」とはっきり伝える。

これらは、なかなかできることじゃない。親といっても、まずは自分自身の修行・勉強が必要だということ。


●さいごにもうひとつ質問――

Q「お友だちから嫌なことを言われてしまった場合は、どのようにアドバイスすべきでしょうか?」

A「気にしないでいいよ」かな。

「○○ちゃんは、きっとイヤなことがあったのかもしれないね」(向こうへの理解と思いやり)

「(子どもに向けて)○○はどう? 心当たりあるかな? ないなら、気にしないでいいよ」

「○○が、いい子なのは、わたしがよく知っているから(笑)」と、サラリと流す。

ここでも、まずは「子供を肯定する」から入ることかもしれません。

他人・世間は「ひとさまの領域」。コントロールできないし、追いかけるだけ自分を消耗していく。他人の言葉・視線は「気にしない」が基本では。

だから、親が自分自身を肯定し、自立し、「ひとさま」を追いかけない。

それゆえ自然に、親は子供を肯定し、けして「ひとさま」の目で子供を判断しない。
(判断は不要です。理解すること。そして肯定すること。)

●つまりは、親としての心がけを確立すること――生きているかぎり、発見・学びの余地はあるということ。それって希望ですよね。

精進してまいりましょう。