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【出家、インドをゆく】最高の快哉


 2017年2月9日、午後3時45分、ラケシュとその奥さんシタールの間に、子供が生まれた。

 2500グラムの小さな赤ちゃん。

 その日の午後に、シタールが、うんうんと苦しみ始めた。予定日は28日と聞いていたので、まさか今日出生するとは思っていなかった。

 ラケシュが車に病院に運んで――その午後、電話があった。

 その電話を受けたのは、車の中。後ろに乗っていた、私たちの学校の校長先生(ラワン)だった。

 That is a good news!(それはよい知らせだ)と、寡黙なラワンが珍しく英語で叫んだ。Second Rakesh is coming! (ラケシュ2世が来た)とも。

 実は、私はそのとき、ナグプール空港に向かう車の中だった。12日までにブッダガヤに入るため、移動中だったのである。

 私は、そのまま空港に送ってもらって、飛行機に乗った。しかし……機内で、どうにも静まらない気持ちを感じ始めた。

 90分ほどで、デリーに到着。ここから8時間待って、カルカッタに行き、そこからガヤへと乗り継ぐ予定だった。

 だが、空港内を移動しながら、よくよく考えた。私は何をしているのだろうと。

 今日、新しい命が生まれた。それだけで劇的な瞬間である。新しい歴史の最初の日である。

 しかも、その赤ちゃんは、あのラケシュの子どもなのだ。

 このままガヤに行ってしまえば、その子に会えるのは、ほぼ間違いなく、一年後の一月になる。

 一年もの間、ラケシュの子に会う時間を見過ごすのか? 新しい世界の始まりに、今一番近い位置にいながら、離れていってしまうのか。

 ――そう考えると、今自分が取り返しのつかないミスを犯しつつあるような、落ち着かない気持ちになってきた。

 12日までにガヤに着かねばならぬ理由はあった。だが、ナグプールで今起きていることの只中へと戻ること以上に、大事なことは、おそらく全生涯にわたっても、ふたつと無いような気がしてきた。

 国内線の乗り継ぎへと向かう途中で、気持ちは固まった――「戻ろう」。

 で、エアインディアのカウンターに行き、ガヤへのチケットをキャンセルし、新しいチケットを買った。不慮の出費だが、今していることの意義に値段はつけられまい。

 そして10日の午前5時15分の飛行機で、ナグプールに戻った。

 そして、ウダサ村から10分ほどの、ウムレッドという区域にある、産婦人科へ。

 部屋に入ると、母親になりたてのシタールがベッドに座っていた。まだ脱力状態のようで、表情に乏しい。出産に際して手術をしたらしく、痛みがあり、高い熱も発していた。

 その反対側の入り口手前のベッドに、毛布がたたんであった。

 付き添いの女性がその毛布を開いた中に、赤ちゃんがいた。恐ろしいほど、小さかった。

 まったく動くことなく、呼吸している気配さえほとんどない姿で、眠っていた。

 私はシタールの額に手のひらをあて、彼女の苦労と、この偉業に、ねぎらいと敬意とを送った。

 そして、生まれたての小さな命にも、手のひらを当て、生まれてきたことへの祝福と、これからの3人の幸福で善き日々を、心の底から祈念した。

「バンテジーに会いたくて、予定より早く生まれてきたんだと思う」と、ラケシュがいった。

 ふだんは合理のみを伝える私も、その説に同意したくなった。よく生まれてくれたものである。

 この子が急いで生まれ出てくれなかったら、私はこの子に会うチャンスを逸して、次の場所に移っていただろう。ギリギリ間に合っての、生涯最初の対面だった。

はじめまして


 ラケシュとは、2006年に、佐々井師の一団がブッダガヤへと向かう途中の、数ある車の中の一台に、本当に偶然に隣り合わせに座ったことが、縁である。

 そのとき、ラケシュは、はじめて髪を剃り、坊主の恰好をしていた。正式な出家ではなく、佐々井師の活動を演出するための「数日出家」団(笑)のひとりとして同行していた。

 私には、彼が「生まれ変わっても、僕は農民たちのために生きたい」と語った言葉が、深く印象に残った。

 今になって彼がいうのは、当時の彼は、まだ何をすべきか見えておらず、恰好だけ坊主にしてもらったものの、疑問も感じていた最中だったそうである。

 その彼は、私と出会って、ようやく道が見えて今に至っていると、言ってくれている。

 だが、私にしてみれば、彼との出会いがなければ、まず確実にインドには戻ってきていない。戻る理由は、ほぼないといっていい。

 仏教が本来持っていたはずの意味に、私が近づいてこられたのも、つまり――

 輪廻もカーストも、人間が我欲と妄想を持ってつくりだした物語でしかない。

 それは「正しい理解」に目を醒ましたときに、すべてわかる。そのとき人間は解放される――

 という理解が見えてきたのも、

 また、ブッダの教えの破格の合理性と、そこに秘められた社会を変えていく潜在的な力とを、私がつかみとることができたのも、

 ラケシュたちが、インドの現状を熱心に教えてくれて、私自身が啓蒙を受けたことが大きい。

(※なお、ブディズムというのは、非合理が蔓延していた古代インドにあって、人間が苦しみから解放されるための新しい思想・方法であったと思われる。

 この理解におそらく間違いは少ないと、私は感じている。これは、仏教以前のインドと、仏教滅亡後のインドを見渡したときに、そして現代における宗教の実態を見た時に抱く、私自身の確信である。)

 そして、人間的には、俗な言い方だが、かなわんなぁと思うところが、彼の中にはたくさんある。

 おそらく百年インドを旅し続けても、彼のような、聡明さと人徳と社会的な動機を持ちあわせた人間に出会うことは、ほぼ不可能であろう。

 それくらいの、すごい人である。

 その彼が、この十年、さまざまなつらい思いをしてきたこと、今も少なからぬ苦悩と孤独を抱えていることを、私はよく知っている。

 あの物静かな、尊敬という念を持つしかない、無二の友人であるラケシュが、これまでの私たちの出会いの物語のはてに、ついに父親になったのである。

 これほどの快哉があろうか。

 ちょうど、ゴータマが生まれ落ちたときに、アシタ仙人がわざわざカピラバストゥの城を訪れたように(笑)、私もまた、この歴史的な子供の誕生を、この目で確かめるために、龍の街(ナグプール)に戻ってきたのであった。

 私にとって、これほどの因縁を重ねた上で、その命のまさに始まりを目撃したという体験は、かつてない。

 私もまた、幸せな命のひとつなのであろうという、静かな感慨が湧いてきた。

 戻ってよかった。

新しい父と母

 産院のお医者さん夫婦に食事をいただき、その帰りに、学校への追加の寄付として、飲料水タンクを買った(50リットル用と、壺タイプ)。そろそろ猛暑の夏季である。 8人の女先生と176名の子供たちのために。

 さらに、翌朝5時半に、再び産院に行って、この旅最後の面会をした。

 母親のシタールが、朦朧とした顔で横になっていた。唇が白く渇き、額と手のひらに触れると、火傷をするかと思うくらいの高熱だった。

 泊まり込みで産後の手伝いをしていたのは、ウダサ村のディパックとミリンという名の青年たちの母親だった(看護師ではなく。インドではこうした互助の文化が、今も自然に生きている)。

 その二人に、水をたくさん飲ませるようにと伝えた。死んでしまうのでは、と思った。

 新しい命の、細く小さな指に触れると、握り返してきた。

 そして、なんと目を開いて、こちらを見た。大きくて黒い瞳であった。

 もちろんまだ、人の姿が映っているわけではないだろう。だが、まるでぎこちない動きのアニメかパペット人形のように、一所懸命、眼(まなこ)を動かして、外の世界に視線を送ろうとしていた。その先に、私の姿があった。

 そして、あむあむと口をも動かすのである。

 私は再び、その額を手のひらで包み、そして新しい父親と母親のために、念を送った。

「毎年、僕らは年を取る。Every year, we are getting old」と、この旅中のとある夜の村の道で、ラケシュと二人で立ち話をした。

 出会いから十年経って、確かに、着実に、私も、ラケシュも、村の人々も、動物たちも、年を取っている。

 そう遠くない未来に、きっとひとり、またひとりと、この世界から旅立っていくことになる。

 歳月は無常である。いつか、私も含めて、今生きている、この地の親しい人たちの、誰ひとりとして残っていないときが来る。

 それでも、そうした歳月の中に、こうした喜ばしい瞬間も、ときに起こる。無常だからこそ生まれる、新しい可能性の瞬間である。

 実に喜ばしいことであった。実に、歓ぶべきことであった。



 君の未来が、喜びと幸せに包まれるように――。


私も一緒に見守りますよ