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【出家、インドをゆく】 ブッダ静寂の旅路


ブッダ静寂の旅路

 車は、煤煙を噴き散らす大型ダンプに挟まれて、ガンジスが小さく見えるほど高くを走る陸橋の上にあった。

 私は、パトナを越えて、ブッダが死期を予感したというヴァイシャーリーという町に向かっていた。

 できることなら、舟でガンジスを渡りたかった。かつてブッダは、マガダ国の商業都市パータリプトラ(現パトナ)の外縁をなぞるガンジス河を、舟で再三渡ったとされる。
 
 原始仏典の中に、八〇歳になったブッダが、今生の最後と自覚して旅した記録が残っている(ブッダ最後の旅=マハーパリニッバーナ・スッタ)。

 ガンジスを越えるときに、ブッダがふと漏らした言葉が伝わっている。

 水に身を浸すことなく橋をかけて、海や湖を渡る人びともある。

 木切れや蔓草を結えた筏をつくって渡る人びともいる。

 智慧ある人が、その智慧をもって渡る河(≒人生)もある。

 今もガンジスは、波なみと水を湛えて、穏やかに豊潤に流れ続ける。岸辺で水を呑む鳥もいれば、飛翔して足を洗う鳥たちもいる。その流れの上を、ブッダは人々に交じって、アーナンダとともに舟で渡った。

 その頃ブッダが使った船着き場は、昔は、ゴータマ・ガート(ゴータマ渡し)と呼ばれていたという。

 だが、異教に酷薄なインドである。そのような名の船着き場は今はどこにもなく、私が知る小さな渡しは、ガンジー・ガートと呼ばれている。高い確率で、この数十年の間にすり替えられたはずである。

 岸に降りたブッダとアーナンダは、再び砂の原を北に向かって歩いて行った。

 ヴァイシャ―リーに延びるこの渋滞の道は、二千五百年の昔も、人々が往来する幹線道路だったと思われる。

 私は、ブッダが見ていた風景が、道中垣間見えることはないかと心働かせながら、車窓の外を眺めていた。

 ふと心が反応するポイントがあった。私は急いで、ドライバーに車を止めさせた。

 道の両脇を、背の高い砂地の土手が遮っている。その斜面を上がった。すると、広々とした緑の地平が見えた。

 棕櫚[しゅろ]の木やマンゴーの林、インド独特の背の低い灌木――だだっ広い砂の原に、緑の木々が点在しながら広がっていた。

 ブッダが近い――私のなかで、そんな感興が湧いてきた。長くインドを旅してきて、はじめて抱いた感慨だった。




 ブッダは、どのような空気を呼吸し、どのような大地を踏みしめて、歩いていたのか。私はその感覚に近づきたくて、しばし緑の灌木の合間をひとり歩いた。

 茅葺[かやぶき]の小屋が、林の合間に点在している。水牛がいる。私の姿を見つけた婦人や子供が、静かに声をかけてくる。



 旅人には食や床の施しをするというのが、インド古来の文化である。おそらく私が訊ねれば、なにかしらの供養を自然に図ってくれるやもしれない。この地で精神修行者が旅することは、難しいことではない。

 ブッダとアーナンダは、ときにひとの厚意を受けながら、ときに樹木の影に憩いながら、この平坦な砂の原を、ひたすら歩き続けたに違いない。

 二人の旅路に、無駄な会話はなかった。ともに心の清浄を基本とする道の者である。互いに距離をとりつつ、サティ(気づき)に務め、ひとの姿や風景に遭遇した時には善き言葉を交わしあった。

 その二人の旅の姿が、仏典に残っている。

 ブッダはアーナンダに告げた。「アーナンダよ、では、お前は随意にすごすがよいYou may spend you own time」

「かしこまりました」と答えて、座から起って敬礼し、右肩を向けてめぐって、近くにある一本の樹の根もとに坐った。


 二人がいかに静寂を、そしてそれぞれの務めを大事にしていたかが、伝わるエピソードである。

 日が落ちれば、木の下にそのまま留まる。座っている時も、横になっている時も、気づきを保つ。外の世界が明るくてもたそがれても、心を観るという務めに影響することはない。


 私が今目の当たりにしている風景は、おそらくブッダが歩いていた頃の景色とそれほど変わらないはずである。だが唯一違っているとすれば、それは音である。

 街道を走る烈しい車のホーンやエンジンの音。気兼ねするという発想のないインド人らしい、ドラムの効いた大音量の音楽。その無秩序にして無節操な音の鳴動が、私の頭上を通り越して、白くかすむ大空となだらかな平地へと浸透していく。

 だが――二五〇〇年の歳月をさかのぼっていくにつれ、これらの音は消えていく。

 もしこの大地から、現代的な音を消去したとすれば、何が現出するだろうか。

 それは、無音の世界である。この果てしなく広く平坦な大地には、音を響かせる渓谷や巌はない。むしろ一切の音を静かに吸い込む、砂と木々があるばかりである。

 音も、風もない。その静寂の世界を歩き続ける二つの命には、俗な人間が作り出す無駄な言葉も動きも、いっさいない。

 さながら大地の一部であるかのように、あたかも樹木のひとつであるかのように、無の心で、遠くから見ればひとか自然か判然とさえしない、小さく二つの影が、音もなく歩いていく――そういう姿であっただろう。

 今私の目に映る、あの遠方の木々の下で、夕暮れに腰を下ろし、気づきを保ち、夜の静寂の帳[とばり]のなかで体を休め、深く心を見つめて、やがて白々と明けてゆく朝もやの中で、新しい一日の始まりを知る――そんな旅路を重ね続けたら、ひとは、どんな心境になりうるであろうか。

 おそらくブッダも、アーナンダも、現代人が想像つかないほどの静寂と澄明の心境のなかで、旅していたのではなかったか。



「道に立つ者」にとって、旅することと、一所に止まることとは、一抹の違いもない。

 命つづくかぎり気づきを保って、心の清浄を心がける。歩く。人に出会う。生き物と遭遇する。そのときは、慈しみと悲と喜の心で交流する。

 その心に、なにひとつ患うことは、ない。



 ヴァイシャ―リーへと一目散に疾走する車でさえ、相当な距離を感じさせる遠い道のりである。

 この道のりを歩いて旅したブッダの末期の眼には、過去の月日は、どのように見えたのであろうか。

 激しい苦行に身を投じた森のこと。悟りをひらいた樹の下のこと。ビンビサーラたち心通い合う友のこと。最初に教えを説いた鹿の園。弟子たちが修行に励んだ竹の林のこと――

 いっさいの思い出が、旅人がふりかえる青々しい山なみのように、はるか遠く霞むように見えていたことであろう。

 ブッダは、自身の肉体の死を予感したとき、住み慣れたラジギールに留まることではなく、旅することを選んだ。おそらく彼は、どこにたどり着こうとも、たどり着けるとも、思っていなかったのではなかったか。 

 人生の最後に彼が選んだのは、この風も音もなく、ただどこまでも穏やかでなだからな大地を、ひたすら歩き続けることであった。

 どこまで歩けるか定かではないが、それは目的ではない。

 過去たしかに生きたという感慨はあっても、記憶の中のいかなる風景にも、執着はしない。

 ただ今ここに生きている命という名の現象を、ひたすら気づきをもって見つめて、いっさいの濁りを心つくらない。

 まるで空を飛ぶ鳥の軌跡のように、何も後に引いて残さない。

 そういうかぎりなく透き通った心境における旅である。

 アーナンダよ、心の向上に努めた者が、一切の思い(こだわり)を留めず、

 苦しみの感情を抱かず、とらわれのない心境にあるとき、

 その者は最上の瞬間にいるのだ。

 これ以上の人生のゴールはない、ということである。

​ いくら想いを馳せても、旅するブッダの澄んだ心は、この世界の、もうどこにも存在しない。

 届きようのない宙[そら]を仰ぎ見ているような気がして、不意にせつなくなった。