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心の自由を取り戻すレッスン


さて、前回(メール通信)の「見る景色を変えてみる」の続き。

とある方の感想は、

働き始めると、忙しくて瞑想の時間がとれず(いい訳ですね)、その代わり、職場の近辺で仕事前や昼休みに、歩く瞑想をしようとしましたが、やり方をどうしたらよいのか?

足の裏の感覚に集中…でも、電車の音、料理店からのいい匂い、木々の緑がきれいだなぁとか。それは雑念? 感覚だからいい? ラベリングする?
…どうなのかなぁと思っていました。

雑念がないとは「小さな子供がポカンとしている状態」と講座で言われていましたよね。

うつろいゆく関係性、私なりに感じ取ってリフレッシュしたいです。


二人めは、
>​
「今見ているのは、モノではない。うつろいゆく関係性を見ている」
------------ん    う------------------------ん 観念ではない、因縁。。。関係性・つながり。。。う-------
 
仏教を知る以前の私は、もっと飲みたい、買いたい、欲しいって言う絵の中に、完全に溺れ濡れてどっぷりと、そして疲れて どんより どぼーん としていました。

絵(≒目の前にあるモノへの衝動・反応)こそ私の全てでした。

でも仏教を知れば、その絵に「気づきの額縁」をハメてしまって「欲しがる絵」「怒る絵」「妄想する絵」みたいに、

簡単に額装して括りさえすれば、後はその額縁を簡単に外してしまえば何もない、反応すら短く消え去る無常さ!

って、今では以前と比べて嘘みたいにほとんど溺れず濡れずに楽々爆流の河を渡っちゃっています。。。ホントこんなに楽に渡っちゃって、いいの?っていうぐらいに。。

ただ、ただ、額を外した先に何があるのでしょうか?

ただの白壁? それを見つめる私? それも「白壁」「私」っていう「観念」の額縁を外したら、そこに何が在るの?いや「在る」も「観念」か、じゃぁ??「何?」 「何」、「?」・・・・・・・・

----------------------------------------------------------------------------------------

怖くなってきた!だめだ!寝よう!


 
はい、お答えします(笑)。

額(≒認識の枠組)を外してしまえば、何もありません。すっからかんの空っぽです。

「自分」を作っている煩悩――欲も妄想も怒りも――ナシ。

そのための、ラベリングであり、前回お届けした「関係性を見る」練習です。

うつろいゆく街の景色を、反応せず、判断せず、

「自分が移動すると、どう見えるかな? これは関係性を見ているんだな……」と、

自分を忘れて、光景をありのままに見つめるだけ。

そのときは、自分は消えて、関係性だけが見えてます。外の光景に完全に「自分」が溶けいった状態だといっていいかもしれません。

日の光は、日の光として。うつろいゆく街の景色も、そのままに、ただそこに在る。

でもふだんの「自分」は、もう存在しない。

このとき見えているのは、自分でも、外の何かでもなく、見られているモノと、見ている心との関係性が織りなす、ひとつの現象。

禅の世界では、「無」とか「空」とか「大我」とか「悟り」なる表現で語られます(これらの言葉は、他にいろんな解釈が可能なので、忘れてもらったほうがよいですが)。

「なんにもない。ただ因縁=関係性があるのみ」というのが、正解といえるかも。


でも、それは恐いものではなく。

だって、「自分」から解放されたら、その次にどこに進むかは、完全に自由になります。

過去の自分に戻るもよし。新しい自分をスタートするのもよし。

「さて、どんな働き・役割が可能かな」と思って、やってみる。

自由自在です。自由に自分を創り直せばいい。

つながりの中で、自由にこの命を使う。融通無碍、自由自在、縦横無尽。

過去の苦しい自分は、すでにリセット。

でも、かつての自分のよい部分、経験値、モチベーション、働き、スキルなんかは、そのまま使えばいい。

自由であることをベースにして、その都度、新しい「自分」を創る。

とらわれなし。こだわりなし。自我への執着なし。

そういう心境です。


恐くない。むしろ楽しい。素直。創造的。毎日が新しい――。

こういう自由な心境が、その先にあります。

この心境を、ただの観念(理屈)ととらえてほしくないし、「そんなのムリ」とも片づけてほしくない。

「我」を解体して自由になれる方法というのは、たしかにある。

その方法を活かしてみれば、着実に自由になれる。

自由になれる度合いは、ひとさまざま。でも、「自我」と「自由」の合間を、これまで以上に「自由」のほうへと近づけるのは、たしかでs。

だから、練習すると確実にプラス。

その意味で、「きょとん」とした目で歩きつつ、目の前の光景を、因縁=つながり=関係性として、じっくり見つめる時間は、とても有意義。

やってみてください。自分をリセットする時間。

今が、いい季節です――。