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世にも不思議な、かなり恐い物語~ブッダガヤ追想



今回、お話するのは、私が体験した、世にも不思議な、そしてかなり恐い体験です。

ある日、私は、ブッダガヤといわれる、仏教徒にとって聖地とされる場所を訪ねました。

なにしろ、お釈迦さまが悟りを開いたとされる神聖な場所です。きっとありがたい、貴重な経験ができるものとたいへん期待していました。

ホテルのフロントで、観光ガイドを呼んであげますと言われました。

やってきたガイドは、若い男性でした。日本語と英語がペラペラです。ドコ二行キタイデスカ?と聞いてくるので、この地の定番である、ブッダガヤの大塔ほかの場所を伝えました。

バイクでいろんな場所を回っているうちに、ある場所に連れて行かれました。「ココニ学校ガアリマス、見テミマセンカ」といいます。インドの学校を見学できるとは素晴らしい、と喜んで中をのぞきました。

中には子どもたちがいました。先生がうながすと、みな大声でハローと挨拶してくれました。子供たちは、近隣の村のとても貧しい家庭から来ているといいます。親は貧しい農民か、物乞いくらいしか仕事がない人たち。「自分タチハ、子供タチノタメニ完全無償デ授業ヲシテイマス」と、先生は言いました。

授業料も、教科書代も、食べ物も、全部無料だそうです。「ソーシャルワーク」「チャリティ」でやっていると言います。

外国人である私は、インドに貧しい人たちがたくさんいることは聞いていましたので、なんてかわいそうな、と思いました。「経営ガトテモ苦シイデス」とも言います。

学校の壁には、日頃の学校の活動の様子や、スポンサーを務めているという外国人たちの写真、そして先生や子供たちが笑顔で勉強している写真が、たくさん貼ってあります。この場所は、貧しい子供たちのために貴重な活動をしているのだといたく感銘を受けました。

自分も協力してあげたいと思って、さっそく寄付しました。海外から送金してくれる篤志家もいるそうです。


――数日が経ちました。私は、他の仏教遺跡地を旅行して、駅から次の場所に移動するために、再びブッダガヤに立ち寄りました。


朝、駅に向かう途中、「あの学校の子供たちにひとめ会ってから帰ろう。今日は平日だし、学校は9時半から始まると言っていた。ちょうど学校が始まる頃だ」と思って、学校に向かいました。

そして、学校に行くと――、

誰もいませんでした。教室は、もぬけの殻でした。子供も、先生も、ひとりもいませんでした。

いや、ここは本当に教室なのでしょうか。廃屋のように見えなくもありません。数日前に私が訪ねたのは、別の場所だったのでしょうか。いえ、この場所に間違いありません。

私は、なんだかキツネにつままれたような気分になりました。

これはいったいどうしたことだろう、私は夢を見ていたのだろうか、なんとか答えを見つけたい思いで、周りをフラフラと歩いてみました。

すると、レンガの小屋が並ぶ部落を見かけました。そこに時間を持て余すかのように立ってこちらを見ている、4,5歳から10歳くらいまでの子供が何人かいました。私のほうを黙って見つめています。

その中に……数日前に、あの教室で見かけた子供がいることに気づきました。

学校はどうしたの、と聞きたかったのですが、言葉が通じません。ただ、その瞳はどこか濁っていて、無気力そうに見えました。数日前にあの「学校」でも感じたことですが、妙に生気が乏しいのです。

すると、そのときです――ピーッと笛が鳴る音がしました。その音を聞きつけるや否や、子供たちが走って行きました。学校があった場所のほうです。
 
私は、子供たちの後を追いました。ただ、何か妙な違和感があって、学校が見える近くまで行って、道の端の物陰で学校のほうを眺めていました。

すると、大人たちの大声が聞こえてきます。どうやら、数日前に学校のことを説明してくれた「校長」や「先生たち」のようでした。

私が見つめる先を、遅れて走って来た子供たちが「学校」へと入っていきます。

しばらくして、「学校」の雰囲気が少し落ち着きました。さて、中で何をしているのだろう、とおそるおそる近づいて行きました。

ちょうどそのときに、西洋人の男がひとり、バイクに乗せられてやってくるのが見えました。そのバイクを運転しているのは、数日前に私をガイドした男でした。

まるで、数日前の私自身を見ているかのようでした。

西洋人が学校の中に案内されていくのを遠くに見ながら、少しずつ学校に近づいて行きました。

そこで私が見たものは――

花輪を首にかけた西洋人の男が、授業を見守っている様子でした。ちょうど数日前に、私がしてもらったように。

さっきまでいなかった「先生」が、子供たちに威勢よく声をかけると、子供たちが元気に答えます。いつの間にか「学校」が始まっていました。

そして、さっきまでなかった「WE WELCOME YOU!」の文字が、花の模様と一緒に、チョークで地面に描かれているのでした――。


この人たちの目を見てください。なにか変だと思いませんか?

●今回お伝えした「世にも不思議な、そして恐い物語」は、今回私が、自分で体験したことと、現地で聞いた話とを組み合わせて、物語に仕上げたものです。

なので、このお話どおりの体験をすべて私がしたというわけではありません。しかし物語に盛り込んだすべての描写は、実際に現地で起きた出来事を元にしています。

そして、今回私自身が出会った青年は、スジャータ村のフェイク・スクール――まさか、フェイクという言葉をこの地で使うことになるとは^^;)――の元スタッフで、そのうち分裂して、みずから「校長」に収まり、政府公認の財団であることを示す立派な看板まで道に立ててあるものの、

実は、公認など受けておらず、つまりは完全にデタラメだったということが、わかってしまいました……(なんて、哀しい結末か)。

フェイクだと感づいたのは、私自身が訪れて見た光景の、妙な違和感が残った断片を後でつなぎ合わせ、さらに彼らが語る言葉を注意深く観察して、また現地の他の人たちの話などを総合したあとのこと。
真相が見えてきた時は、不思議なデジャヴを感じました。というのは、12年前にブッダガヤに来た時に、仏教僧の姿をした男が、実は仏教徒ではなく、バラモンの「なりすまし」だったと分かった時の「心の底が抜けた」感じを思い出したからです。

自分の目の前にいる「人間」は、実は中身はエイリアン(宇宙人)だった――みたいな印象です(笑)

見れば見るほど、妙な違和感が……

はっきりお伝えしておきます。この看板もフェイクです(笑)

多くの外国人観光客は「フェイク」ということにまったく気づかずに、大きなお金を寄付して帰国していく様子です。

なぜ、観光客が連れていかれる学校が「フリースクール」ばかりなのかといえば、この地のフリースクールのほとんど――ほぼ百パーセントに近いといっていい――が、寄付名目でお金を集めるビジネスの一環だからです。

ホテル、ガイド、そしてフリースクールの「校長」や「先生」、さらには子供やその親たちまでが、「外国人からお金をとる」ためのビジネスに加わってしまっているらしいのです(子供たちも実情を知っているらしいことは、実際に子供たちに会ってみて気づいたこと)。

そもそもインドには、完全無償の公立学校があります。制服もカバンも靴も支給されるのだとか。難点は教師の質があまりに低いこと(ほとんど何も教えずに時間ばかり潰して高給取りという噂がもっぱら)。

ただ、だからといってフリースクールで、まともな授業がされているかというと、それはなさそうです。村人も学校に通わせるという意識があまりなくて、子供たちは昼間から村の周りをぶらついている。そういう子供たちを集めて、「学校」を開いてみせているようなのです。

お金のある家庭の子供は、私立学校に行きます。こっちは教育の質がけっこう高い。

この地に来ると、「百人の生徒がいるフリースクール」がいっぱいあります。しかし、「教科書、授業料、ランチ、カバン、靴その他を完全無償で、百人もあずかれるフリースクール」なんて、冷静に考えるとかなり不自然。だから「外国人観光客ノ寄付ガ必要ナンデス」と言ってくるのですが、
しかし現実には、外国人が見学に来る時だけ、蜃気楼のように出現する学校ということになれば、その寄付は結局、無駄金ということになります。というか、「フリースクール・ビジネス」を展開する人間たちの懐に行くのです。

もしみなさんが、ブッダガヤの地を訪れることがあって、次のような体験をしたら、そこは「フェイク・スクール」だと考えて間違いありません――


○頼んでもいないのに、ガイドに連れて行かれる。

○「先生」が呼びかけた後で、子供たちが元気にあいさつしてくる(向こうから駆け寄ってきたり、興味津々で遠巻きに見ていたりといった動きではなく)。

○ただ座っているだけらしい子どもたちがいる。

○子供たちから話しかけてこない(あいさつしなさいと「先生」に言われて何か言ってくる)。

○子供たちの年齢がバラバラ。

○壁に、外国人観光客や、外国人サポーターの写真が並んでいる。

○「子供たちにランチをふるまいたいので寄付してほしい」とか「教科書代を寄付してほしい」といわれる(一冊200ルピーとかけっこう高額な教科書のセットで生徒一人あたり千円近くする)

○「いつ来ますか?」「何時頃来ますか?」と聞いてくる(こちらがふらりと立ち寄るという形ではなく)。

○他の外国人観光客に遭遇する。

○「先生」が教室で遊んでいる(外国人が教室に入ってから、なぜか授業らしいものを始める)。

○教室の外にパラパラと子供たちが遊んでいる。

○政府の認証を示す証明書がない

(※これは外国人が確認するのは難しい。ただ、「政府に登録してない(no registration)と、運営が大変じゃないですか?」と、こちらから聞きいてみると「ソウナンデス」と否定しない――この場合は、未登録のフェイク・スクール。

「登録しています」というなら、政府から支援を受けているはずなので、「どんな支援を受けていますか?」と確認してみる。言葉が詰まったり、説明が早口になったりする場合は、ニセモノ。

というか、外国人が連れていかれるフリースクールは、間違いなくフェイクだと思ってもらってよいです。それくらいの実情なのだと今回見えてしまいました。


――そもそも、「チャリティ」で数十人の子供を教育するということは、


公立校という受け皿がまがりなりにもある(子供の側にあえて「運営が厳しい」フリースクールに通う理由がない)こと、

よほど運営する側が、学校以外のビジネスで成功していないと不可能であること、

そもそもインド人のメンタリティからして、「与える」ということは、発想として限りなく持ちにくいこと(この点は後日説明)、


などの理由から、冷静に考えてみると「そうとう不自然」であることが見えてきます。


最近のインドの新聞にも、ブッダガヤ近辺には、「家よりも学校のほうが多い」という記事が載っていました(笑)。実体のある学校ならば、そんなに建てられるはずもありません。

外国人の印象として、「インドは貧しい人たちが多い=気の毒」という思い込み、

「慈善事業は尊い」という、キリスト教または仏教の慈悲の精神にもとづく前提があります。


だから、「チャリティ」「ソーシャルワーク」と聞くと、額面通りにとらえて「立派」と思い込んでしまいます。


そして多額の寄付をする人も出てくるのですが、

これこそが、現地の狡猾な――というか、これはインド文化そのものともいえるので、個人の気質として断罪することは難しいのだが――人間たちにとっての、格好のエサになるのです。

このフェイク・スクール、フェイク慈善事業のはじまりは、カルカッタだといいます。キリスト教会が海外から大きな寄付を受け取って運営している様子をみて、

現地のインド人が真似し始めた(どれも、Charitable Trustを称する)。


そして、デリーにも広がり、やがてブッダガヤにたどり着いたのだとか。何しろここは、全世界から観光客や巡礼者が集まる場所です。


そして、篤実な仏教徒が多い台湾やタイなどくる観光客は、気前よく巨額の「布施」をしてくれます。海外からも送金してくれる。海外からお金は湯水のように流れてきます。


インドの側としては、窮状を訴えて「恵んでください」と訴えるだけでいい。


その結果のブッダガヤの現状です。「この地は、至るところに地雷が埋まっていると言われています。細心の注意を払って足元を見ないと、すぐに騙されます」とは、とある信頼できる人の話。



――ただ、だからといって、私は、「フェイク=けしからん!」という気分には、なりませんでした。なんとも気の毒な……という思いが残ったのです。今回、現地の学校を案内してもらった自称「校長」の若い青年と、野球帽をかぶった「先生」役の青年に――。

最後の日、彼ら二人と話す時間がありました。私はこう伝えました。

「君たちの人生を、私は気にかけている。今は、君たちの心も仕事も安定していない。このままだとゆきづまりはしないか」と伝えた(フェイクだとすでに見えていましたが、そのことには触れませんでした)。

「まずは、自分の仕事を通じて、ひとに貢献すること。与えること。それで成功して得たものを、ソーシャル・ワークに使えばいい。君たちの動機が本物ならば」

そして、仏教書の現地語訳バージョンを一冊渡した。「これで勉強してみてほしい。そして、来年会った時に、何を感じたか聞かせてほしい。もっと深いところに、人生の軸を持ってほしい」。

だが、青年たちは、

「先生たちが給料の支払いを待っている」「教科書にこれだけかかる」――その額なんと12万円(笑)。もう学期が終わって、全インドの学校は休みに入っているというのに。
「もし私たちが旅行代理店を作る時には、地代とかいろいろかかる。それは助けてくれるかの」と言ってきます。

「くれ、くれ、くれ」が、彼らの最初の言葉。だが、実体のある活動をしていないから、空疎にしか聞こえない。説得力がないのです。

「キミたちが生きている社会が大変なのは知っている。だがこれは、君たちの人生だ。なにかが欲しいと言う前に、まずは自分たちでなんとかしようと頑張ってほしい。今のところ、君たちからは『言葉』しか聞こえてこない。何かが欠けているように感じてしまうのだ Something is missing.」と伝えました。

青年はなおも粘って、「将来建てたい学校の設計図」を、スマホで見せてきます。だがそんなものは、絵空事。今、現時点でやっていることに中身がない。
小さくてもいいから、ちゃんと自分たちの意志と力で中味を作ればいいのに、それをせずに「これだけの金が必要だ」とか「将来こうしたい」ということばかり。

語る言葉は立派でも、客観的にやっていることに中身がないから、ウソだとばれてしまう。

ちなみに、ウダサの学校は、ラケシュたちが自腹を切ってどんどん進めていくプロジェクトに、私が乗せてもらった感じ。彼らはけっして「おねだり」から入らない。「まずは自分たちで」というところに立って、けっして外の助けを期待しない。

「それでも、私は友だちでいるつもりだ、また来年会おう、時間はかかるかもしれないが、徐々にわかっていってくれればいい」。そう伝えました。

この二日間、時間をくれたことへの御礼として、若干の額を渡しました。だがあくまで、彼のガイドとしての仕事への対価です。彼が語った「フリー・スクール」には何も託しませんでした。
ホテルに戻ると、フロントの男性が、「アノ男ハニセモノデスヨ。昨日モココマデ入ッテコナカッタデショ」と言ってきました。「マンゴー村ノ学校ハ日本人ガ運営シテイマスヨ、唯一ノホンモノ」と言います。

だが、そのマンゴー村の学校さえ、最近ニセモノだったと判明して、日本にいる二百人のサポーターが引き上げたということを、私はすでに別の場所で聞いていました。

フェイクを作り出すのは、この地の人間たちの際限のない貪欲――どこを見ても、ニセモノ、ニセモノ、ニセモノに見えてしまって、もう語れる言葉もありませんでした。

ただ、今回偶然訊ねた日本の寺――仏心寺 ブッシンジ――が運営している小さな学校(というか私塾に近い)には、たしかな希望を感じました。

ちゃんと運営されているところは、わざわざ外国人に見学させたり、窮状を訴えてお金をくれとねだったりはしないのでしょう。

●この地を訪れる日本人や海外の観光客は、「なにかしてあげたい」と思うかもしれません。

だったら、外国語に堪能な現地ガイドを信用せずに、むしろ自分ひとりで村落を回って、病気の人がいるところを見つけて、薬やビタミンや食料を提供したりするほうが確実かもしれません。

慈善を働こうと真剣に思うなら、それくらいの労力を払わなければ、本当に慈善を受け取るにふさわしい人たちの姿は見えてこないということなのでしょう。

思えば、わずか数日滞在して、車だのバイクだのに乗って、言われるままにホイホイと見学しにいって、言われるままにお金を与えるというのは、自己満足以外の何物でもないのかもしれません。

そんなことをしても、現地の問題は解決できません。あまりに複雑で根が深いのです。


ブッダガヤを訪れるみなさんへ――


この場所は、インドで一番やっかいな、はっきりいえば「危険な場所」なのだそうです。


生老病死の苦しみっぽい光景を、この地で見かけることは簡単です。しかしその苦しみさえ、演じられたもの――フェイク――である可能性が高いようなのです。


現地を知る人から聞いた「何もしないのが最善」という言葉にも、一理あるのかもしれません。結局、外国人の自己満足程度で救えるような、底の浅い問題ではないのでしょう。


結局、この地の人々たちが変わっていくしか、変えていくしか、ないのです。

なんて腐敗した社会 What a corrupted society ――それが、今回抱くに至ったブッダガヤについての感想です。

哀しく、寂しい結末でした。


その頃日本のサラちゃんは――これこそウソのない瞳です(笑)



















哀しい結末 ~ブッダガヤ再訪その2

『自分を許せば、ラクになる。 ブッダが教えてくれた心の守り方』宝島社
心をこめて書きました。広く届きますように。お役に立てれば幸いです。

2月19日

ブッダガヤ2日目は、近郊をバイクで回った。いつもこの地に来ると、正直、懐疑的な感想が先立ってしまうのだが、今回もそうなってしまった。というか、今回、いっそう懐疑を抱かざるを得ない新しい真実を教わったような気がしている。

スジャータ村の学校は、世間ではよく知られている。ネランジャラ河を渡ってすぐ近くにある、自称フリースクール。ここには、スジャータ・ストゥーパという、最近作られた仏塔――スジャータという女性は、シッダルタが苦行で死にかけた時に乳がゆを供養したと伝わっている――がある。その真向かいにある学校である。

ただ――(今回、ちょっとネガティブな話題が先行してたいへん申しわけありませんが)――この学校は、黒い噂がけっこう広がってしまっている。

この地には、フリースクールといわれる場所が、ものすごくたくさんある。スジャータ村の学校がさきがけらしいが、他にも、ブッダガヤの大塔からそう遠くないところに、私設の学校がいくつも建てられている。

今回私が訪れたフリースクールにも、私たちが到着して間もなく、他のバイクに乗せられた日本人観光客がやってきた。他のフリースクールでも、連れてこられた外国人観光客の姿をよく見かける。

観光客が、この地のホテルに泊まる。するとホテルのオーナーと顔見知りの現地ガイドを紹介される。ガイドたちはバイクや車に乗っけて、近郊にあるフリースクールに連れていく。

そこには、貧しそうな子供たちが集まっている(集められている)。「私たちは、子供たちに無償で学校を開いているんです」という。

すると、観光客は感じ入って、寄付してくれる。特に、仏教国からやってきた観光客――台湾、タイ、ミャンマーなど――は、慈悲の心を触発されて、けっこう大きな額の寄付を提供するらしい。それが学校を運営する大人たちに回る。

このビジネスモデルが――

こうした言い方や指摘は、本当に、ほんとうに、心苦しいのだが、現地で垣間見た現実を記憶にとどめておくために、痛む気持ちをおさえて、あえて言葉にしておきたい――

かなりお金になると知った地元の人たちは、

真似してフリースクールを作り始めた。その結果、今は至るところに学校が建てられている(Charitable Trustという名の財団名が多い)。


●今回見た現実というのは、切ないものだった。この地の人々は、決して互いのことを良くは言わない。「信じてはいけないよ」「騙されているよ」みたいなことを、親切なのか悪意なのか、聞いてもいないのに語って来る人が多い。それが本当かどうかを確かめるすべはない。

「インドでは、人間を信頼することが難しいんだ」とラケシュは言う。

とても哀しいことだけれど、前回訪ねた時に「政府公認のチャリティ財団」として(認証の番号までつけて)看板を掲げてあった場所が、実は全然公認されていなくて(笑)、認証の番号もどうやらでたらめだったということも見えてしまった(嘘の看板を作っていたということらしい^□^;)。


●さらには、「前正覚山」――苦行時代のシッダルタが滞在していた岩山――の例がある。ここでは、シッダルタが骨と皮になるまで断食瞑想を行ったとされる洞窟までの石の道の両脇に、物乞いの人たちが並んでいる。

今回は午後遅く行ったのだが、昨年よりも物乞いがかなり少なかった。どうしたんだろう?と思っていたが、地元の人たちから聞こえてきたのは、

この道で物乞いをしている人たちは、近郊の村人たちで、観光客が来るときに合わせて派遣されてくるということだった。

たとえば、大型の観光バスで台湾やタイやミャンマーの仏教徒たちが、前正覚山に向かう。その出発時に、観光ガイドのほうから、現地の手配師に連絡がいく。

手配師が村人に声をかける。村人たちは急いで山に向かう。

そして石の道の両脇に座って、観光客が来るのを待つ。そして物悲しそうな表情で、なかには幼い子供を抱えて、物乞いの手を伸ばす。

すると、観光客はかわいそうだと思ってお金を落とす。

観光客が去った後に、手配師がお金を回収する――という図式ができあがっているというのである。

この部分は、私自身が目撃したわけではないので、真偽は定かではない。ただ、ありそうな話ではある……。

それでも、現地にお金が落ちるというのは、ないよりはマシ(功徳)にはなっているのかもしれない。いちがいに問題とは言い切れないのかもしれない。

ただ、物乞いや、外国人観光客目当てのいろんな形態の活動(仕事といっていいのか)の背後には、この地の病的な複雑さと非合理が確実に存在する。

教育も、労働の機会も、状況を改善しようという意欲さえ、持つことの難しい人たちが、この地には多すぎるのだ。


●(ここからは真実の話) ある村で、とても貧しい低カーストの家族の家を訪ねた。母親は骨の病気で歩けない状態だという。その母は、ブッダガヤの大塔のところで物乞いをしているのだそうだ。少しでも施しを受けられれば、それを持ち帰って(家まで運んでもらって)家計の足しにするのだそうだ。

ポリオ(?と人々は言っていた)に罹患しているらしい子どもにも出会った。母親の膝の上でずっと泣いている。足が曲がらないのか、母親が立たせてみせると痛そうに泣く。地元の人たちは、食べ物のせいだという。 【写真】


医者にかかれば多少は良くなるものなのか。だが、医療費を払えないから、こうしてじっとしているしかないのだそうだ。

こうした子供たちに何かをしてあげるのなら、それは確実に善いことになるだろう。

思うに、最も困窮している当事者というのは、観光客に見える景色の裏側にいる。こうした人たちは、外国人観光客に真相を訴える言葉を持っていない。必然的に、ホテルの人やガイドたちから伝わる情報しか、観光客は知りえない。結果的に、お金が流れる先は限られてくる。情報も偏ってくる。外国人観光客もまた「啓発」されねばならぬようだ。


生まれた時からずっと泣いているという
村の様子。マンジという低カーストの村
村の子供たち
赤ちゃんをマッサージ中のお母さん
村の人たち

●前正覚山のふもとに、ババサブの像を立てている家があった。訪問して聞いてみると、20年ほど前に、家の主【あるじ】がナグプールの大改宗式に出かけて触発されて、仏教に改宗したのだそうだ。

ラケシュが「ババサブの像がある」と、すごく嬉しそうなのが印象的だった。さっそく電話番号を交換。ラケシュは、ババサブの本をこの家に送って、毎年ここに来て世話したいと言っている。 【写真】

仏教に改宗した家族。近辺は貧しい部落が並ぶ。


その前正覚山を登って、シッダルタが苦行した洞窟の中に入ると、ちゃっかりとバラモン僧がいて、人々からの布施を求めている。外国人観光客には、仏教僧とバラモンの関係がまったくわからないので、そんなものだろうとお布施を落とす。それがバラモンたちの懐に入る(ああ、なんて哀しい話題だろう)。

前正覚山の道。この時間は物乞いは少ないらしい。


●ブッダガヤのとある日本のお寺を訪問。午前9時半から子供たちを集めて学校をやっていた。学校といっても教室はなくて、敷地の地べたに敷物を敷いて、そこに子供たちは這いつくばってノートを使っている。黒板と先生用の机が一番前に。日に晒されて暑いのだが、まだ午前だし、地元の子供たちは平気らしい。

和尚さんのはからいでのインド人の先生と少し話したのだが、とにかく楽しそうによくしゃべる。細かいところを飛ばしてとか、かいつまんでとか、そういう工夫を一切せず、時系列に沿ってしゃべるので、とにかく長い。だが温厚そうで、楽しげなのである。

その先生の授業ぶりを見学させてもらったが、一人ひとりの名前を呼んで前に来させて、ノートを見てコメントして席に返す、という形でとても熱心に授業していた。教えることが本当に好きなことが伝わってきた。

これが下手な先生なら、子供たちは手持ち無沙汰になって遊び始めるのだが、先生の指導が上手なものだから、子供たち一人ひとりが自分の課題にしっかり取り組んでいる。授業前には五分間座って目を閉じてじっとしているという瞑想もやらせているのだという。

饒舌で人が良くて、教えるのが上手で――という、なんだか映画に出てくるインドの田舎の学校の先生を見ているかのようだった。見学させていただいてありがたかった。


美しい場所を見つけた思い


●今回のブッダガヤ訪問では、次につながるいくつかの出会いがあり、その一方で、あまりに複雑で、歪んでしまったこの地の現実というものも、再認識させられた感がある。

私の場合は、ナグプールに誠実かつ熱心な仏教徒の友人たちがいて、ウダサの村には、しっかり育っている学校がある。信頼という言葉さえ心の辞書から省いていいほどに(≒不要ということ)、確固たるあたたかい関係がある。幸運だと思う。


●ブッダガヤからナーランダに向かう途中で、超渋滞に巻き込まれた。そもそも信号がない。車は確実に増えているのに、この地の行政は、道を拡幅することもなく、放ったらかしの二車線のみ。

対向車線であることもお構いなしに、スキを見つけて割り込んで先を行こうとするバイクと車とオートリクシャーと自転車と歩行者と、ときどき牛と犬とヤギと……。

この地の人たちは、退がるとか、待つとか、交通整理とか、そういう発想がまったくないらしく、周囲におかまいなしに、自分の行きたい道に突き進もうとする。まったくの無法・無秩序状態で、車が前に進まない。ホーンを鳴らし続けるしかない。 【写真】


まちがい探し:道路上で本来ありえない光景は、さていくつあるでしょう?
答え:バイクの人がヘルメットをつけてない・交差点なのに信号がない・普通に走っている車の間を人が歩いている・二車線しかないのに対向車線をこちらに向かって走ってくる車(正面トラック)があるetc……この混沌ぶりは写真では到底伝わりません(笑)。


この地には下水道もなく、汚水が側溝に溢れている。ゴミも散乱している。放ったらかしで平気でいる。


超渋滞の中で、車の中にうずくまって、外の狂騒を眺めていると、人間て……こんなに自分勝手に生きてしまえる生き物だったのか、とさえ思えてくる。

貪欲と慢と妄想と――人間たちが、みずからの心に歯止めを利かせることなく、思うがままに生きてきた結末が、この地の現状であるような気がする。

仏教だけでなく、他にも滅びつつあるものがたくさんある気がする……。

そんな哀しい感想をラケシュと分かち合いながら、ブッダガヤを後にした。

(これから先は、ポジティブにいきます(笑))


苦行を捨てたシッダルタは山を下りて、ネランジャラ河に向かった。その当時と景色はあまり変わってないはず。だが世界は大きく変わってしまったのかもしれない。









ブッダはどこに消えた? ~ブッダガヤ再訪

2月17日
●朝6時すぎにウダサ村を出発して、午前7時半初の特急でブッダガヤへ向かった。到着は翌朝の8時15分――

というのが当初の予定だったが、遅れるのがインドの列車の常である。

今回は、ビハール州に入ったところで、政治運動をしている学生たちが鉄道にバリゲードを作ったとかで、とある駅に数時間停車。

なんと、ガヤ駅に着いたのは、午後4時だった。つまり、最初は25時間かかる行程だったのが、32時間以上かかってしまった。まあ、インドではよくある話……である(笑)。


朝のナグプール駅
プラットフォーム
列車の中はこんな感じ
列車内の食事(思ったより豪勢。みんな車窓から外にポイ捨て)


●ラケシュがブッダガヤに来たのは、7年ぶり。当時と今とでは、この地は様変わりしている。

今は、観光客が溢れている。町中を、チベット、タイ、ミャンマー、インド、バングラデシュその他の仏教僧が闊歩し、台湾や中国やタイなどからの観光客が大きな観光バスでやってくる。雑踏の騒音、随所から響き渡るマントラ、物乞いする人々、そして現地の商人たち――近年、ブッダガヤは、インド有数の大観光地と化した。寺もホテルも雨後の筍のように、どんどん建っている。

先月には、ダラムサラから来たダライ・ラマが、ひと月以上この地に滞在した。そのダライ・ラマの暗殺を謀って、一個10キロの爆弾が二発、チベット寺院の近くで発見された。だから、この日も、ブッダガヤに入るのに厳重なチェックがあった。

●ひとまず宿に入って、ラヴィとラケシュと夕食。ラヴィは、この地で観光ガイドなどの仕事で生計を立てていて、奥さんと子供二人がいる。


韓国やタイやミャンマーなど、いろんな国からくる僧侶たちにも、この地で出会うという。

だが、みな、いうこともやることも違うので、「混乱している」とのこと。

そこで、夕食をとりながら、テーラワーダ、マハーヤーナ(大乗)、ヴァジラヤーナ(密教)の違いを解説。

(中略)

――つまりは、それぞれの伝統に、めざすものと、たどり着くための方法・実践がある。みな「仏教」というが、その中身は、はっきり言って、違う宗教と言っていいほどに違うう。

それが、ブッダの最初の教えだったかというと、明らかに違う。そういう話をした。

最初は、輪廻とか再生Rebirthとかを信じている、この地の人々はみんなブディストだよ、と言っていたラヴィも、私が「本当?」「その根拠は?」「誰がそれを信じることで得しているの?」と懐疑の言葉を向けると、「いや……実は、僕もよくわからないんだ」と言い出した。

輪廻、カルマ――そんなものを信じることで、誰が得するのか? Who gains profit?

(中略)

現実の問題の多くは、人間の心が作り出している。

ならば、心を変えてしまえばいい。心を変えれば――たとえば、輪廻やカルマといった妄想から目を醒ませば――この世界の現状は、明らかに間違っている・非合理である、と目が覚めるはずだ。 「変えなければいけない」と思えるはずである。

心が変われば、世界を変えることは容易になる。

他方、もし心が変わらなければ――特権を享受する一部の者たちが適当に語る、宗教という名の妄想を信じてしまえば――世の中は、いっこうに変わらないまま、続く。

だからこそ、ブッダが亡くなった後、あっという間に、一部の人間たちが語る妄想に人々は取り込まれて、歪められ、真実を見失って、今に至っているのだ――。

という話をした。


●ラケシュは、ひとり、ブッダガヤの大塔を見に行った。私は、あの大塔の境内に入っても、各国の坊さんたちの、非合理極まりない儀式を見るだけと知っているので、あえて中に入らなかった。

外から見る大塔は、それなりに荘厳に見える。だが、ここにあるのは、もはや形骸だけだ。いや、形骸ですらないのかもしれない。ブッダの教えの微塵も、この地で語られていないからだ。みごとにこの地に、ダンマは存在しないのである。

もし私が境内を歩いて、たとえばチベットやタイやミャンマーの僧たちが、自分の国に伝わる伝承や修行体験を語って、人々の質問に答えたり、議論したり、という面白い話が聞けるなら、私も喜んで中に入るだろう。

だが、中に入っても、僧たちは実に適当な自己満足を繰り広げているだけだ。人々に智慧を授けようとか、幸せへのメッセージを分かち合おうとか、そういう「まともな」坊さんは、正直一人としていない観がある。

境内をグルグルと早足で右回りで歩き続けるチベット僧たち。お経だけ読んで何かやった気になっている僧たち。大塔を見上げてなんとなく満足して帰っていく観光客たち――。

誰も、何も考えてないし、求めてもいないのではないか。そう思ってしまう。

申しわけない物言いになるが、この場所はもはや、「子供たちの仏教ごっこの場所」と化してしまった気がしてくる。

「一度はブッダガヤに行ってみたい」という人たちに水を差すようで恐縮だが、この地に来たって、ブッダの智慧を聞けるわけじゃない。僧たちは何も語らない。人々も疑問すら抱かない。

こうしたあり方が「当たり前」「そんなもの」と思ってほしくない。今のブッダガヤは、末期症状だ。「人々に道を語ろうとせぬ坊主たち」が、いかに異常か。まともでないか。目を醒まさないといけない。

この地にくると、人々はただの酔狂に耽っているような印象をどうしてもぬぐえない。宗教という名の酒に酔っぱらってしまっているかのような。

いったいこの地に何があるというのか――私には、もはやわからない。

境内を回って戻ってきたラケシュも、思慮深い面持ちで「ブッダはいなくなったね The Buddha is lost there」と語っていた。

そう――ブッダの教えは、本当に、もうどこにも存在しないのかもしれない。

いったいどこに、

妄想を突き抜けて、
宗教さえ人間を苦しみに閉じ込める妄想のひとつにすぎないと喝破して、
人々を正しい理解と正しい思考とに導いて、
人生を変え、世界を変える可能性を訴える、

ブッダの言葉が存在するのか????

そう言葉を語ってくれる「目覚めた者」に、私は、どこかでめぐり逢いたい。
この地にくると、切にそう思う――。
 

夜のブッダガヤ。人々はこの場所に何を見ている?
物乞いの前を通り過ぎるチベット僧たち
ミャンマーの僧が物乞いの群れにたかられる様子

この世界が人類の終着地点だと思うかい?


2月10・11日と、ウダサ村から車で3時間半ほどの、チャンドラプールという街に出かけた。

この街は、私がインドを初めて訪れて、その頃求めていた日本人僧に最初に出会った場所である。ナグプールからここに来るまでの道のりは、初めて出会うインドの人々に助けてもらった。

今回改めて向かってみると、かなりの道のりだ。最初の道中は、ブッダという名の痩せた老人と、画家青年に連れられて、バスを乗り継ぎ、最初の日は画家青年の家に泊めてもらって、翌朝5時間ほどローカルバスに揺られて、この街に入ったことを覚えている。

(※その旅の話は、5月に出る新刊に書く予定です。)

その頃の私は、完全に心が渇いていた。そして道を得ることに必死で、ここまではるばるやって来た。道が見えなかったあの頃と、道を得た今の自分は、やはりあきらかに違う。平たく言えば、今の私は「大人になった」(笑)。私は自身の道を知っている。

道中、ラケシュが運転。奥さんのシタルと、1歳の誕生日を迎えたばかりのノブが同伴。

このノブという子は、人間も動物もまったく恐れないし、車の長旅にもぐずついたりしない。途中に寄った食堂で、両親が離れて、私が抱えている間も、泣き出しもせず、平然と周囲を観察しているし、車の中では助手席の私のヒザの上に立って、前方を嬉々として注視している。聡明なラケシュとシタルの子である。将来が楽しみである(半分親バカ気分だが(笑))。

道中見かけた野ブタ(でかい)。野生のトラが獲物にするそうな。だからトラもデカいそうな。

一夜めは簡単な法事を一緒に

●チャンドラプール内のビハール(寺)へ入る。そこで簡単な法事――みんなでブッダとババサブに献花して経を唱える――をやる。翌日午後は、同じビハールで仏教講座・インド版。

この地の人々は、なかなかの勉強家。仏教をよく学んでいる。

私の話について「異論」を出してきた人たちがいた――

ひとりめは、「バラモン教が出現したのは、仏教より後のはずだ」という点。そう本に書いてあったという。

私が語ったのは、ブディズムは、バラモンたちの教え――そこには輪廻やカーストも含まれる――に人々が従わざるを得なかった時代に、バラモン教とは一線を画する思想として出てきたものということ。これは、私独自の見解ではなく、仏教書を読めばよく書いてあること。定説に近いといっていい。

そう話したときに、ひとりの中年男が「私が読んだ本では、バラモンが出てきたのは、ブッダが現われて千年もあとだ!」と言い出したのだ。

だが、「バラモン」と呼ばれる存在は、原始仏典のなかにふつうに出てくるし、バラモン教が、仏教より以前に存在していたことは、学術的にはほぼ争いなく定着している事実だ。

そもそも、ここでのポイントは、ブディズムという方法以前に、ブディズムに類似する、心の苦しみから解放されるための方法はなかった、という点だ。


そう伝えたのだが、「私が読んだ本とは違う!」と必死で言い張る。「違っていいじゃない(笑)」と私はいうのだが、納得しない。

会場にいた他のインド人たちが、男を諫めようとするのだが、男は憤って、出て行ってしまった(笑)。


本に書いてあることが真実だとなぜいえる? 
なぜ一冊の本を読んだ程度で、自らが知ったことが唯一の真実だと思えてしまう?


心の苦しみから自らを解放し、
その心を、自身の幸福と、人々・社会の幸福のために使う――

その心境に立った時にこそ、その人は「道の者」、つまり「生き方を知った者」ということになる。

あの男は、生き方を見出すよりも、知識に執着して、そこに留まってしまっているのではなかろうか。みなさんの場合はどうか?――そんな話をした。

こうした観念的議論は、人間はとても好きらしい。だが、ほとんど意味がない。



●二つめの「異論」は、「縁起論」の説明についてだった。


この地には、サオ先生という、私も会ったことがある厳格な先生がいる。彼は「テーラワーダ仏教こそが、ブッダの教えなのだ」と、初対面のときに語っていた。今回集った人たちの中には、そのサオ先生の教え子たちがいるらしい。みんなよく勉強している。


彼らが反応したのは、テーラワーダ仏教の中にある「十二支縁起論」と、私の今回の説明が違ったからだった。vinnnana とは、cetanaとは――と一生けんめい説明してくれる。私はまずは聞いて受け止める。

●そのうえで、こんな話をした。


「縁起論」とは、

(中略)


もし、あなたが前者の意味でとらえたいなら、そうればいい。ただ、その場合の「縁起論」は、輪廻を体系的に説いたものということになる。


だが、よく考えてみよう―― 

あなたは、その内容を、自らの実践によって、その人生において、本当に確かなもの・実在するものとして確かめうるか? 

 それを信じ込むことで、あなた自身が、苦しみから解放されると思うか?


あなたの苦しみは、精神的なものばかりではない。あなたが知っている、カースト差別も、この国の貧困も、すべて含まれる。あなたは、そうした苦しみの現実を最初に見すえて、そこから抜けるための道=方法をこそ、つかまねばならないのだ。


「現実を見すえること。現実を解決する智慧を求めること。

真剣に、何が目的であり、何が本当の真実――ダンマ――なのかを、必死で考え抜くこと。

最終的には、「おのれの命の使い方」に、答えを出すこと。

その答えを出すことがはじめて、道に立ったといえるのだ。

――と、人差し指で私自身の頭をつつきながら、拳で胸を叩きながら、力強く伝えた。

その勉強家の男性は、目を大きく開いて、黙って聞いていた。


彼は、講座が終わった後、私たちが車で離れるときも、そばでしっかり合掌してくれた。何かしら届いたものがあったのだろう。


婦人たちも熱心に質問。「過去にも未来にも永久に続くブッダたち(諸仏)に帰依します」というダンマパダの言葉は、正しいのか?というような質問。


これには「ブッダという言葉には、三つの意味がある」という答え方をした(※その中身はいつか講座の中で説明します(笑))。


左の列は女性で、右列が男性たち。最前列12歳の男子は有望。おじさんは、自らの慢に負けて学べなくなる人が多い。これは世界共通か(笑)。

実に熱心で、よく学んでいる人たちだった。彼らがどれだけ素直な、曇りなき心の眼で聞いてくれるかが、勝負どころだったが、最初に出て行ったひとりの男を除いては、みな納得したようだった。

つまりは「ブディズム」の一端に彼らが触れたことで、この地に、ブッダが伝えた真実がほんの少し共有されたということである。ほんの少しの種が蒔かれた状態といってよいかもしれない。


ただ、この種はすぐに枯れてしまうだろう(笑)。ひとの心は移ろいやすいものだし、「アヴィッジャー」――妄想ゆえの心の曇り・「見えていない」精神状態――に、すぐ戻ってしまうものだろうから。




最後に、みんながお布施を寄せてくれた。ただ、私は、人々の布施を自らのために受け取りはしない。私は、自分の働きで自らの身を養う。自らの命をつなぐことに、他者の善意を使ってはいけない。

(※布施だの功徳だのと言いくるめて、ひとさまの善意の上にあぐらをかいてきた仏教のあり方も、仏教の停滞・頽廃の理由のひとつでもあろう)

だから、もしこの寺でなにか社会活動をしているのなら、それに丸ごと使ってほしいと伝えた。だが「バンテジーのここまでのガソリン代とか滞在費用とか、いろいろかかるだろうから」と婦人たちは言い張る。


「ならば、ウダサの学校に使うことにしよう」ということで、ありがたく受け取る。【写真】
お気持ちいただきました。次に託します。


●近所のご自宅で夕食をいただく。家のお母さん――弁護士をやっているそう――が、今回の訪問をとても喜んでくれた。


今回、この地に、これほど熱心で教育のある仏教徒たちがいるということがわかったことは、幸いだった。

来年の目標は、もう一度この地に戻って、日本でやっている仏教講座 Dhamma Discourse のテキストを、英語とヒンディーに直して、彼らに提供することだ(毎回、これを痛感しつつ、この一線を越えきれていないのであるが)。


「仏教」を信じ込んでいたって、何も解決はされない。もちろん信じたい人間は、信じるがよい。わかった気になって、すごすがよい。


だが、インドは問題だらけだし、伝統仏教を信じ込むアジアの国々でも、仏教は機能しなくなりつつある。ロヒンギャの民が虐殺されているミャンマーの現状を見ば、伝統仏教は人々に決して、本物の智慧も慈悲も教えていなかったことは見えてくる。


そして、今日の世界に蔓延する、宗教という名の妄想が作り出す対立・苦悩と、

人間の心が作り出す傲慢と悪意と残酷さと貪欲とを見てみるがよい――。


これが、人類の終着地点だと思うか? 

終着地点ではない・あるべきではないと願うなら、人類は一体どこに進めばいいというのか? その方向性は? 方法は? いったい、どこに答えがあるというのか???


方向性と方法という「道」が、見えなくなっている危機的な状況が、今この時代である。


仏教は……歴史的な失敗を犯しつつあるのである。目を醒まさねばならぬ。


お寺の前で。12歳の少年の目の輝きが印象的だった。こういう出会いが増えるといい。

インドの奇跡――ババサブ夫妻のこと


2月7日は、ラマ・バイ(アンベドカル博士の妻)の誕生日。

アンベドカル博士は、この地の人々を仏教にいざない、カーストや輪廻を説く宗教と訣別させた神様的な人。その人を支えた奥さん――ラマ・バイと人は呼ぶ――もまた聖人ということで、この日は、仏教徒にとって大切な日なのである。

学校でも、記念式典をやった。ラケシュたちが、この日がどんな歴史的な意義を持つかを話した。

私もあいさつ。ラマバイが亡くなってから75年、アンベドカル博士が亡くなってから62年、さらにブッダが亡くなってから2500年以上――

それだけの歳月が流れても、人々はこうして彼らに感謝して、語り継いでいる。これはすごいこと。

みんなのことを、あと百年とか千年とか先の未来の人たちが、語り継いでいる――そんなことを想像できる???

なぜ彼らが亡くなってもなお、人々に語り継がれているかと言えば、彼らが、社会に役立つことをしたから。人々のために人生を使えば、人々の記憶の中に残ったり、世の中に自分が生きた証が残るかもしれない。そうしたら、実際の人生以上に「長生き」できるかもしれない。

みんな、長生きしたい? ――イエス! 
百年生きたい? ――イエス!
千年生きたい? ――イエス!(笑)

だったら、人生を楽しんで、そして互いを気づかって、社会がよくなるために何か役立つことをしよう。

●そして、大きなゴミ箱――青色の本体に、白のフタがついていて、ドラえもんに見えなくもない――を持ってくる。そのフタを私がアタマからかぶって、「ぼく、ドラえもん」とやってみせる(ケラケラ)。

「このゴミ箱を、ドラえもんと呼ぼう。今日から、ゴミはドラえもんに入れること。わかった?」(はーい)


さっそく「ドラえもん」にゴミ入れ(十年目でようやく設置とは(笑))

●そしてもうひとつ――

「まだ、学校の壁におしっこしている子がいる。大きな○○○も落ちている(牛が落したもの)――誰の??? キミのか???」 (ノー!!!!)

「いいかい、人生は長いんだ。(女先生たちに向かって)結婚に失敗したら、二回でも、三回でもチャレンジしてみればいい、ダンナさんが嫌いなら if you don't like your husband」

(幼稚園児はきょとんとしているが、英語が分かる小学校高学年の生徒たちは笑っている。学校教育の成果である(笑))

「そして、世界も広いんだ。見てごらん! こんなに広い空き地があるんだ! なんで学校の壁なんていう、狭いところにおしっこしているんだ!!!!」(子供たちケラケラ)

「もっと外に行ってやんなさい。世界は広いよ。もっと気持ちいいよ! あ~~~爽快!」(と実演してみせる。ケラケラ)


●そのあと、生徒たちに水筒&筆箱のプレゼント。さらに、アイスクリームのおまけつき。これは日本から持ってきたご声援の賜物。


筆箱&水筒のプレゼント
アイスクリームの差し入れ

教室で食べてます

おいしいと言ってます

顔を写したいのかピースサインを写したいのか


●夜は、村の寺で、大人たちと、ラマ・バイの誕生日を祝う式典。ここでも、アイスクリームをふるまう。

村のお寺の中。毎晩7時過ぎに村人が集まってお経を唱える。

外から見た寺の様子。灯しているのはババサブの像。

●この寺に来た時には、大きな川を思い出そう。仏教という大きな川。ババサブやラマバイもまた、川の滴。私たちもまた川の滴。


川の滴は、きれいでなくてはいけない。そして流れ続けなければいけない。今よりも幸せな世の中に向かって、流れ続けよう。


自分という命は、どこに向かっているのか――苦しみからの解放と、今よりも幸福な社会だ。


方向性だけ覚えていよう。あとは、一日一日を、きれいな心でい続けることを意識して生きていくだけでいい。

そのことで、自分という滴が、他の滴と一緒になって、川となり、川はひとつの方角に向かって流れ続けることになる。

●この村を流れている「川」は、とても小さな流れだが、ここに来ると、私もまたひとつの滴となって、みなと一緒に流れることができる。

ラマ・バイも、ババサブも、ブッダも、村人たちも、みんな一つの川のなかに生きる滴である。

子供たちへの贈り物をラケシュの家で包む。偉いのはラケシュ。
20年近く前、青年たちが村で最初の図書室を作った。これが今を流れる「川」の始まり
互いにいたわり合って生きている村人たち(ラケシュとノブ)




広く届きますように・・・

近況報告
●『自分を許せば、ラクになる。 ブッダが教えてくれた心の守り方』宝島社

「インドで徹夜」というシュールな期間を経て、2018年2月6日、日本時間午後10時、ようやく校了、印刷所へ――。

これから、印刷所の方が夜通し作業して、輪転機を回すのです。

今の時代、本を届けるのが、難しくなっている時代です。

本だけでなく、CDとか映画とか、コンテンツそのものが、「売れない」趨勢が続いています。

(みんなネット・スマホで適当に反応することで、時間を消費してしまっている?)

そうした状況に輪をかけて、バッシングや、嫌がらせに近い批判や難クセをつけて、確実に表現者たち――歌手や作家やクリエイターなど――を傷つけて、せっかくのモチベーションと才能を潰していく、というとんでもない、まさに許してはならないことが平然となされている時代でもあります。


ひとも、モノも、叩かれるために生まれたわけではありませんよね。


みんな、一生懸命、生きています。頑張って、モノを作っています。表現しています。

そうした姿に、いいとか悪いとか、どこが気に入らないとか、

ただスルーすればいいことなのに、

つい反応、つい判断、つい口出ししたくなるという心の弱さに駆られて、つい言葉を発してしまう。

発する側にとっては、独り言のレベルかもしれません(眺めているのはパソコンかスマホの画面だもの)。

しかし、受け取る側にとっては、刃を刺されるに等しいのです。

今の時代、多くの人たちが、傷つけられて、悲しい思いをしています。

その一方で、傷つけること、悲しませることに、時間・心・人生を消費したがる人たちもたくさんいるというのが、現実のようです。

ひと昔前なら、そうした現実――心の内なる思い――は、個人の心の領域に閉ざされていたもの。しかし今の時代は、簡単にパブリックにしてしまえるようになりました。

そうした心無き言葉に、同調する人、信じ込む人――それは、結局、「毒妄想」によって自らの心を奪われたことを意味するのですが――も、確実に出てくるようになりました。

しかし、そんなことのために、この世界は、そのひとの人生は、存在するのでしょうか????

●こうした時代が続いていいはずはないし、許されてよいはずもない。

ひとの心は守らなければいけない。

一生懸命作っている人たちの真心やモチベーションをも、守らなければいけない。

これからは、守るべきものを守るために、闘ってゆかねばならぬ時代です。見過ごしてはいけない。守るべきものを守る努力をしなければいけない。

でないと、この世界は、人間の心の汚物と闇――貪欲と怒りと傲慢と独りよがりの妄想――によって、どんどん汚れ、壊れていってしまいます。

●そんな時代背景をふまえて、今回の本を書きました。

主人公は、IT企業に勤める青年です。そして、得体のしれない怒りを抱えて、ずっと苦しんできました。

その怒りの原因はいったい何なのか――それが、この本のひとつのテーマなのですが、今の時代特有の「心の病」、いや、スマホやネットという新しい空間が人為的に作り出す「残酷さ」も、原因のひとつとして書いてあります。

今の社会が、今の暮らし方が、このままでいいのか、いけないのか。

どこが、どうおかしくなってしまっているのか――をしっかり言語化できることは、ひとが、自分の心を「守る」ために重要なことです。

もしあなたが、

自分の心を守りたいなら、

これ以上、みずからの内なる怒りに、

そして、この時代の風潮に、この殺伐とした世界に、

振り回されたくないと思うなら、

「自分の心を守る方法」が必要です。

その「方法」の部分をしっかり伝えることが、この本のねらいです。



●今回も、過去作と同様、かなりリキ=魂魄【こんぱく】入れて、書き上げました。私は、細部の細部までこだわるタイプの物書きです。ハイフン(――)の長さまで、「前後の文字にくっつかない、若干スキマの出る短めのものを(そのほうが見た目やさしいから)、とお願いするほどの細かさです(笑)。

同じ言葉でも、漢字続きのところは、あえてひらがなにしたり、
ひらがな続きのところはあえて漢字にしたり、と細かく工夫して、

みずから朗読して、言葉の響きのなめらかさを確かめ、

さらには、脳に一度に入る情報量は、なるべく少ないほうが良いだろうし、

時間軸に沿って論理や展開をたどっていける――つまり、頭で考えないとわからないという複雑さではなく、順にたどっていけば、ふんふんと頭に入って来る――表現が望ましいだろう、ということで、

細心の工夫を凝らして書いています。

意味が伝わるなら、難しい言葉ではなくシンプルな言葉を選ぶし、「なくても通じる」修飾や脚色は、バッサリ斬り落としてしまいます。

その細かさ、隅々までの心づくしというのは、おそらく読んでいる人にはわからないかもしれません。

ただ、そういう細かい努力の積み重ねで、ほんのすこし「読みやすさ」が変わってくるように思います。


●私の場合は、「売れる」ことよりも、「必要としている人たちに、残さず届くこと」が願いです。だから最善を尽くしたい。いつもそんな思いで言葉を紡いでいます。

一冊の本が、人生を変えることもある。

つまりは、本を送り出すというのは、ある意味、ひとの人生がかかっていたりもする。

だから、疎かにはしない。かけがえのない作品であり、自身の命の結晶であり、読む人の喜びや幸せの一部になる可能性でもある、というこだわりを持って、作っています。性分というよりは、もはや、生き方です。

モノづくりが難しい時代だからこそ、誠意を尽くさねば、始まらない。そう思っています。


最後まで同伴してくださった担当の編集者さんはじめ、お力添えくださった方々には、いつものことながら、頭が上がりません。ありがたいかぎりです。


●今日は、赤入れ校正した大量のゲラを、ラケシュと一緒に燃やしました。
「たくさんの人の幸せの一部となりますように、広く届きますように」

と、天に昇る炎を見つめて、祈りつつ(笑)。

一冊の本――命――が生まれるのに、出版界の百人以上の人間が関わるといいます。それくらいの人たちが一生懸命作っているのです。

本は大切にせねばなりません。私も大切にします。

あとわずか2週間ほどで全国へ――久々の新作です。

物語ですから、「映画を観るつもりで」ページを開いてください。

読み終わった後には、ぬくもりが残ることでしょう。

校正したものを写メして日本に送って、ようやく完成
多くの人に広く届きますように

生きられるかぎりは、生きてごらん


【出家、インドをゆく】
生きられるかぎりは、生きてごらん

●1月27・28日は、私たちの学校の創立記念祭。メインは、生徒たちのダンスである。インドが世界に誇れる――正直そんなに多くないかもしれない(笑)――もののひとつに、音楽があると思う。

インドポップス(ボリウッド・ミュージックと呼ばれるが)の、ビートの烈しさとメロディの豊かさと、男女合わせて集団で踊るダンスは、インドが世界に誇れる芸能の一つだと思う。

毎年、この二日間は、3歳半から11歳までの子供たちが、ステージに立って、踊ったり、お芝居したりする。みんな生き生きしている。それを大人たちが見物に来る。出店もやってくる。ちょっとしたお祭りである。

オープニングはウェルカム・ダンス【坐っているのはブッダで、衣を提供したのは私(笑)】

子供たちのダンス
楽しそうに見つめる大人たち

ノブも来てます

ランチは学校からふるまいます

出店もきます
大人たちが奉仕します(世代の断絶が少ないのがイイところ)
終了後は舞台の上で遊んでます
後片づけと食事のお布施(葬儀に来た人たちのために)。みんなよく働きます

●2日目の午後、その事件は起きた――近所の家で、少女が首を吊って自殺したという。ちょうど4日前に私も昼食をごちそうになった家。ラケシュは両親とともに病院へ。記念祭は、さすがに盛り上がり続けることができず自然閉幕してしまった。

なんとも痛ましい出来事が起きてしまった。この村ではじめての自殺だった。

夜、その家を訪れた。地元の人、聞いてかけつけた縁者たちが、外の道にも、部屋の中にもひしめいている。今宵一晩、彼らは寝ずに過ごすのである。

床に座り込んだ婦人たちの合間を縫って、部屋の奥に横になった少女と再会した。細い体を、ドラえもんをあしらったブランケットで包んでいる。そばに、悄然とした母親が座り込んでいる。

私は、その少女の額に手を当てた――目を閉じて、息をひそめて、何かを感じとろうとする。

すると、伝わってきたのは……「後悔している」という思いだった。

そうだねえ、愚かなことをしてしまったものだねえ、と話しかける。

(あとで聞いた話だが、少女は、聡明で快活で、自殺するような人間ではまったくないとみんなが言う。いったい何が起きたのか、みんなまったく理解できないという。)

私に伝わってきたものは――それはもちろん私が勝手に感じているだけで、決して正しい理解というわけではないのだが――、

少女は決して、死を望んだというわけではなく、また死を選びたくなるような苦しみがあったわけでもなかったらしいのである。

ただ、何かが少女の心の中に起きた。自ら死を招くような危険なふるまいをやってみようと思ってしまった。だがそれは、決して苦悩の果てに追い詰められて……というものではなかった。

よくわからぬのだが、そんな印象が伝わってきた。少女のうすく開いた目は、もちろん光を失っていて、何も語らないのだが。

愚かなことをしてしまったねえ。一度起きてしまうと、もう二度と戻って来られないんだよ。

(戻ってこられないの?)――という声が聞こえる気がする。

そう。戻って来られない。絶対に――。死というのは、そういうものなんだよ。本当に、本当に、残念だけれど……。

少女は、決して何かに苦しんで、追い詰められていたわけではなかった。ならば、なぜそんなことを自ら招いてしまったのか……。

若い人というのは、死というのがどういう現象なのか――「不可逆」、つまり一度起きたら二度と後戻りできないということを、いまひとつ理解できない様子である。

なにかしら、死に特別な意味があると思うのか。死んだ後にどこかに行けると思うのか、何かが見られると思うのか、そしてふたたび戻って来れると思うのか……。

生きている年数がわずかだからか、未来がたくさんありすぎるからなのか、死というものが、絶対に戻って来られない「絶対」であるということが、どういうことか、わからないらしいのである。

死を招く行いに踏み入ってしまって、間もない瞬間に(その瞬間は踏み出してすぐにやってくる。そんなに時間はない)、「しまった」と思う。

だが、そう思った時点では、もう絶対的に遅い。

どんなに後悔しても……けっして元には戻れない。

少女は、どうやらそのことを理解してなかったらしい。そして後悔が残った――そんな印象を持った。

母親は、表情を止めたまま、座り込んでいる。今ここに来ている生きている者たちは、誰も、少女が選んでしまった死というものを、理解していない。大人たちは、死が不可逆であることを知っている。だから、みずから死を選ぶということは、大半の大人たちにとってはあまり考えられないことである。

だから、身近な人間が死を選んだ時には、「なぜ?」と思うしかない。もちろん、その理由はまったくわからない。だから「なぜ?」で心は止まってしまう。そこで動けなくなってしまうのである。父、母、そして11歳の弟は、全く理解できない出来事を、まったく不慮の内にぶつけられて、止まるしかない。「なぜ?」という問いの中だけにうずくまらざるをえない。

私は、少女の額に手を置いたまま、語りかけた。

「阿呆なことをしたものだ……。キミは本当に、阿呆なことをしてしまった。間違いを犯してしまった」

(もう遅いですか?)

「残念だけれど、遅い。一度そっちに行ってしまったら、二度と戻って来れない。やり直せないんだよ。本当に残念だけど」

(……)

「仕方がない……。心はね、ときどき、とんでもない過ちを犯すことがある。それは自分の意志ですらない。だけれど、人間は、ときどき、間違いを犯すんだ」

「お父さん、お母さんに、ありがとうと伝えてあげなさい。いい人生だったと。いい時間をさずかったと。楽しかったと。君が伝えるべきは、生きていた間にめぐり逢った人たちへのありがとうだ」

「犯してしまったあやまちは仕方がない。悔やんでも、責めても、それはもう、しようがないんだ」

「だから、これから先、もう一度、どこか新しい場所を見つけなさい。そして新しい人生を始めなさい。いいかい? 新しい場所を見つけるんだよ」

――そう伝えた。その部屋に集った人たちにはまったくわからないはずである。


●翌日の真昼に、少女は、人々に担がれて、街道を運ばれ、村はずれの火葬場に到着した。

薪と枯草の上に、細い少女の亡骸を置いて、さらに太い木枝や枯れ草を載せる。両親や親戚たちは号泣している。火をつける。渇いたインドの空気である。あっという間に焔を挙げて、黒煙が吹きあがる。

何メートルも離れたところにいる我々でさえ、熱さが苦しくなるほどの灼熱である。そんな炎の中に、17歳の少女の亡骸はある。これほどの灼熱さえなんとも感じないところに、少女は行ってしまった。

死という絶対的事実に直面すると、過去の思い出というのは、現在の生があって初めて、輝き生きるものだと実感する。父と母には、子供が生まれる前からの記憶があり、生まれた瞬間からの、子供に向けての思いと、一緒に生きた時間の記憶がある。

その思いと記憶は、今日もまたともに生きているという現在の中でこそ初めて生きる。過去が生き続けるのは、生きている現在があるからこそなのである。

だが、現在が、死という絶対によって奪われてしまった瞬間、過去もまた命を失ってしまう。生きているからこそ、過去を振り返ることもできるが、生が絶対的に失われしまえば、過去も絶対的に失われてしまう。

死は、未来だけでなく、過去をも奪う。心が、時間を失う。

そういう絶対的な「止」が「死」である。すべてが止まってしまう。生者は、その現実の中で立ち止まるしかない。どうやって生きていけばいいというのだろう。

激しい焔を、縁者たちと村人が囲む。そこで私はお経を唱える。人々も復唱する。

「○○○であった生命よ、もう一度、どこか場所を見つけて、よき人生を生きてゆかれんことを」

そう言葉を捧げる。

――私は、人間が信じているような輪廻や再生というものは、けして考えないし、語らない。そもそも生命というのは、天地に存在するすべての存在との因縁によって成り立つ、ひとつの現象である。

その現象が、肉体が潰え、この世界から切り離されてなお、そのままの形で存続するというのは、現実的ではない。肉体が影響を受ければ、心は変わる。肉体を失ってなおそのまま続く心なるものがあると考えることのほうが、正直、あまりに非現実的ではないか。

だから、少女であった心が、そのまま次の人生へ――ということは、私は見ていない。

むしろ、少女であった心がもし残っているとしたら、この世界に残された人間が、その心に語りうる言葉があるとすれば、向けうる思いがあるとしたら、どんなものか――というその一点において、

言葉を選び、思いを向ける。

それくらいしか、生きて残された者たちにできることはない。


●その日の夕方、ラケシュの家の前に、生後2か月くらいの子犬が二匹置かれていた。捨てられたのか。

すると、ラケシュの家にいついていた大型の犬が、二匹の子犬に近づいた。どうなることか、と見ていたら、なんと犬が、子犬の片方をガブリと噛んで、ぶるんぶるんと振り回した。子犬の断末魔の絶叫が響き渡った。

急いで駆け寄ったが、子犬は虫の息だった。血を流し、白目を向いて、動かない。力が抜けた小さな体から、残留していたものが排泄されてきた。

なんとも……。可哀そうに。せっかくこの世界に生まれて、まだわずかしか生きていないというのに。なんの罪もないというのに……。

動かなくなった首の下に手のひらを入れて、しばらくそのままにしていた。

ラケシュになんとかならないかと尋ねたが、「あとわずかな時間しか残されてないよ」と悲しそうに言う。

哀れな君よ――生きてごらん。生きていれば、いろんな楽しいこと、素晴らしいことがあるよ。そう語りかけた。

命というのは、死ぬまでは、命である。生きているかぎりは、あきらめることはない。もう一匹の子犬は、哀しそうに、横たわった兄弟犬の腹にあごをのせて這いつくばっている。

ラケシュがミルクを持ってきた。元気なほうの仔犬が、よほど腹を空かせていたのか、夢中でかぷかぷと呑み始める。私は、ハンカチにミルクを含ませて、傷んだ仔犬の口元に運んだ。もう動かない。

時間は過ぎていった。日が落ちて、徐々に暗くなっていく。ラケシュも家に戻ってしまった。私は、どうしてもあきらめることができず――というより、あまりに哀れだったので、ただ悲の心で、この生まれたての命がほんとうに止まるまで、そばにいてあげようと思った。それくらいしかできない。ただ、これがきっとこの幼い命とのつながり方なのであろうと思った。

小さく力を失った頭を手のひらで支え、左手で血に濡れた腹をさすってやった。生きていれば、いいことがいっぱいある。これからじゃないか。生きてごらん――そう語りかけ続けた。

もう一度、ミルクにひたしたハンカチを口元に運んだ。すると、舌を出して、ぺろぺろと舐めた。

おお、おいしいかい。そうかい。もっと飲んでごらん。ミルクをたっぷり含ませて、人差し指を包んで口元に持っていくと、舐めだした。生きてごらん。生きてごらん。と、日本語で語りかけた。

しゃがんだ膝の上に抱えると、くう、くうとかすかな声で鳴いている。頭の真下に手のひらを置いて、顔をこちらに向けると、つぶらな瞳で私のほうを見た……。

私がひとつあきらめきれなかった理由は、子犬の体に噛まれて残る穴が見当たらなかったからである。もしかしたら、生き延びられるのではないか。生まれたての生命は、そんなに弱いものじゃないだろう。死ぬその瞬間まで、可能性は残されているだろう。ならば、その可能性だけを感じとって、ともにいてあげればよいではないか――という思いだった。

あきらめが悪いとか、往生際が悪いとか、執着ということではなく、その命が風前の灯であったとしても、それは命の「弱さ」であって、命が「存在しない」ということではない。命が存在しつづけるかぎりは、感じることは可能である。寄り添うことは可能である。ならば、寄り添い、感じ続けることが、命が命に向けて、できることであろう――。そんな思いであった。別に執着するわけではなく、ただ命あるかぎり、命つづくかぎり、その命を感じるところにこの命を使えばいい――そういう思いである。命あるかぎりは、命は続いているのである。なぜ「あきらめる」という発想が出てこようか。そんな思いはない。

――次の瞬間である。仔犬は急に息を吹き返して、首を起こした。足が動く。そして、大地に降ろしてあげると、血に濡れたまま大地をよろよろと歩き出した。

「ラケシュ! 仔犬が動いた。生きていけるぞ!」と私は叫んだ。

満身創痍で、一晩持つかわからない。私が一晩看病しようかと思ったが、居候先のご家族が歓迎してくれるわけでもなさそうだ。

結局、友人のひとりが、二匹を預かってくれることになった。私が伝えたのは、とにかく一晩、話しかけて、触れてあげること。語りかければ、心は反応して応えようとする。そのことが大事なんだ、と伝える。

今日、仔犬が蘇生したのも、一生懸命語りかけ続けたからのはずである。もし死ぬものとあきらめて放置していたら、心は動く機会を失って、そのまま活動を止めていたことであろう。

HONDAのバイクに、友人二人が乗って、その間に子犬二匹を乗せる。さらには、1歳のノブまでバイクに乗っかる(笑)。本気?と聞くと、「ノブはバイクで出かけるのが好きなんだ」とラケシュ。このへんがインド的だ(笑)。

私の懐に首をつっこんで、くうくう鳴いていた仔犬は、私のほうを見つめた。「生きなさいよ。生きていくんだよ。生きていれば、いっぱいいいことがあるからね」。 

その夜、仔犬は病院に運ばれて処置を受けて、友人の家に飼われることになった。

数日して、もう歩けるようになって、兄弟で喧嘩もしているという。

生きているということは、可能性だ。
可能性こそは、最高の希望であり、喜びだ。

生きていくんだよ。

息も絶え絶えだった仔犬と兄弟
生きていると楽しいことがいっぱいあるよ
数日後の仔犬。手前が噛まれた犬。命はそんなに弱いもんじゃない。あきらめるな。