仏教講座スケジュール

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大きなもの

今回は、とても私的な内容です……。ただ自分のなかで、忘れてはいけない、覚えておきたいという思いがとても強く残りましたので、なるべく詳細に、当日の日の思いを言葉に残すことに致しました――。
 

10月22日(日)

午後、サラちゃんを置いて愛知へ出発。サラは私が家をまた離れることを知っているのか、机の下のモフモフボックスに入ったきり。台風前夜ですでに風雨が増している。中を覗いて「言ってくるよ」というと、スネているのか細い声でニャァと奥で鳴く。

豊橋から岡崎、愛知環状鉄道で新豊田へ。あの伝説の?トヨタシティにいよいよ入ったのである。

ほんとは明日入る予定だったが、超大型台風21号が接近しているとのことで、前夜入りを手配してくださったのであった。夜も宿で「予習」した(笑)。トヨタ(さま)の歴史を知れば知るほど、仏教と重なるところを感じ、また今の日本の文化や経済にどれほど大事な位置を占めておられるのかがわかってきて、自然と熱が入るのである。

夜、窓の外は激しい風雨。ちょこっとテレビをつけると、衆院選の速報をやっている。

風雨増し始めた夜の新豊田駅周辺


10月23日(月)


朝9時に迎えに来てくださる。トヨタの車に乗っていよいよ三河豊田の本社がある一角へ。今回の話をいただいてから、街を走るトヨタの車に気づくようになった(笑)。

まるで大きな寺社仏閣にお参りする気分である。午前と午後に、講演の機会をいただいた。


●今回は、トヨタ自動車の歴史や思想を、自分なりに学ばせていただきつつ、準備した。トヨタ・グループの創始者である豊田佐吉翁は、大正時代に十代をすごし、地元の木造りの集会所「観音堂」でいろんな本を読んで勉強したこと、寺に通って胆力を養ったこと、

二宮尊徳の思想を学んで「至誠・勤労・分度・推譲」に「報徳」――今の言葉でいえば、心を尽くし勤勉に働き、華美を戒め、謙虚に、自らの働きを果たすことで恩に報いる――という心がまえのもとに自動織機の改善・開発に取り組んだこと等を知った。

この大企業の方々がことあるごとに、「お客様のため」「社会・地域への貢献」を語ることには、たしかな背景があるのだ。トヨタという大企業に一貫して流れているものは、利欲ではなく、世のため・人のためという貢献と報徳(恩に報いるために勤勉に働く)という思想なのだと、学ぶにつれて感じ入った。

世の中、万単位の企業が存在するが、自由市場経済において勝ち抜く力と、人間への思いやり=倫理の両輪を兼ね備えた組織は多くないように思う。

特に、欧米系の、貪欲をモチベーションとしているように映らなくもない企業文化と、トヨタに代表される、奉仕、貢献、国・社会・人間のためという日本的な企業文化とは、その根本に流れる思想からして違う気がしてくる。

今回、自分なりに学ばせていただいて興味深かったのは、過去、さまざまな仏教者の生きざま・思想を調べているときに感じた感銘と昂奮を、奇しくもトヨタグループの歴史にも同じように感じたことだった。率直にいうなら、魅力があるのである。人間として惹かれるものを大いに感じてしまったのだ(笑)。


●意外と仏教と接点が多いらしいと気づき、はて私なぞにお役に立てることって何だろうと思った時に出てきたのが、「心のムダを防ぐ」という視点だった。仏教的に言うなら「妨げ」であり、「蓋(心の働きを覆うもの)」である。貪欲、怒り、妄想その他の、「妨げ」を理解して、そこから抜ける。その練習をする。

その練習法としてマインドフルネスを紹介させていただいた。


●さらに、私が日ごろインドの現状を見て感じていること――滅ぼしてはいけない、勝たねばいけない、守らねばいけない、でなければ、子々孫々、多くの新しい命が苦しみ続けるということも、お話した。

インドでは12世紀に仏教は滅びてしまった。なぜか? ひとつは、仏教に生きる僧侶たちが、バラモン教とは異なる「人間を幸せにする可能性」をアピールできなかったこと。要は、怠慢であり傲慢だったのである。

彼らは、自分たちの地位・権益を守ることを第一としつつ、輪廻を説き、バラモン教に似た神々――如来だの菩薩だの――を「発明」して、バラモン教類似の価値観のなかで、表面的な人気取りに走った。

その結果、ご利益(りやく)があるのは、バラモンの神々も仏教の仏たちも、大して変わらないという認識に、人々は落ち着いた。

そんな人々に、仏教僧たちが説いたのは、「自分たちに布施をすれば功徳を積めて、よき来世に生まれ変わる」という安易な輪廻信仰だった。

また、一部の僧たちは、教義を複雑化し、儀礼に走り、瞑想に逃げた。

人々にとって、バラモン教と何が違うのかよくわからない、ただ複雑難解な教義と瞑想とを取り混ぜた世界に生きる出家者たち。

そんな彼らへの弾圧は、7世紀以降、バラモン教徒たちの手によって本格化した。彼らは、仏教寺院を破壊し、仏像などのアイコンを壊し、バラモンの祠へと片端から作り変えていった。これに対抗するべく立ち上がる仏教徒は、あまり多くなかったに違いない。

12世紀にムスリム教徒の侵攻を受けたことが、決定的な破壊になった。

そして……仏教はインドで滅びてしまった。現ビハール州の「ビハール」とは、もともと「寺」の意味だが、今現地に仏教寺院はほとんど残っていない。

仏教が滅びたのち、インドに何が起きたかと言えば、カーストの増大だった。今日、2400近くのメイン・カーストの下それぞれに、一ダースほどの下位カーストがついて、総計4万を超すカーストの網の目に、インドの人々は絡めとられている。

私が、ナグプールの地でめぐりあった、不可触民(カーストにも入れないアウトカーストの人々)は、こうした「仏教が滅びた後」のインドで、差別を強いられるに至った人々である。


もし、インドで、仏教が滅びていなければ――。


それが、私に強く残る思いである。仏教が滅びさえしなければ、インドはもっと人間に優しい国になっていたかもしれない。

だが仏教は、あの地で、弱かった、守り切れなかった、生き残れなかった。そして、現実に対して無知・無防備であった。

負ければ、滅びる。その結果、多くの人たちが苦しむ。

それが、私が仏教の歴史を通して得た教訓である。


●私が今回、トヨタの皆さまと共有したかったのは、「危機感」だった。

私が今回学んで感じたのは、トヨタという日本の産業を代表する大企業の源流には、先代の方々の――私たち門外漢のふつうの日本人にとっては伝説上の偉人に見えてしまう豊田佐吉翁とか、その御子息の喜一郎氏(トヨタ自動車の実質的創立者)の――

智慧と根性と思いやりという〝心の遺伝子〟 があるということだった。

智慧とは、改善・工夫のことであり、根性というのは、失敗にめげない・反応しない、試練を当たり前のように受け止める心がまえのことである。

そしてトヨタという企業に一素人である私が感銘を受けるのは、従業員のため、ディーラーや関連企業の人々、さらに何よりもお客様のため、という経営者以外の人々への誠実さと思いやりの深さだ。仏教でいうなら慈悲の心。

それを創立以来、守り抜き、なおかつ熾烈な開発競争に打ち勝ってきたところが、瞠目的にすごいところなのである。

この日本独自の文化ともいうべき勤勉さと誠実さと社会への貢献という志を体現してきたトヨタという稀有な企業に、一素人としてじつに僭越な感想ながらも、是が非でも勝ち続けてほしい、そして〝心の遺伝子〟を守り抜いてほしい、というエールに似た思いを感じざるを得なかった。その部分が、人間として伝えたい部分だった。


今の時代、日本の製造業は、素人の私にさえ危機を感じさせる状況にある。いいモノを作っても売れるとは限らない。人口も急激に減りつつあるし、人々の需要も急変しつつある。政治に翻弄されるのはいつの時代も同じだが、今や自由主義経済さえ軽視される、危なっかしい時代である。

「車」という概念そのものさえ、変わりつつある未曽有の時代である。

さらには、ネット・スマホ・ゲームといったヴァーチャルな空間に人の心をいざなう新種の産業がある。外に活動すること・肉体の感覚を楽しむことさえ、なんだか一種の「文化」としてとらえ直さねばならぬかのような、社会の激変ぶりである。


(今日聞いた話だが、刈谷市では午後9時以降の小中学生のスマホ利用を禁止したという。これは正しいことだ。「反応したいだけの心」の赴くままに任せていたら、どんどんヴァーチャル依存が進んでいく。

だがそうしたあり方から、勤勉、創造、相互信頼は、どれくらい生まれるのだろうか。悪意や妄想の垂れ流しをコントロールできない空間というのは、利用するにはあまりに危険であり、発展途上といわざるをえない。

こうした空間への「依存」が進めば、社会の活力・生産力は、必ず低下していく。中国・韓国などではすでにゲームなどの規制を国策として実施しているという。日本も真剣に考えないといけない。

心は放っておけばよい方向に向かうというものではない。むしろ堕落・停滞することもある。心、文化、社会は、意志をもって育てるべきものである。どんな方向性をめざすかは、人間の側で選択すべきものである。)


●こうした時代において、クルマという産業が持続・発展していくことは、易しいことではないだろうう。ましてトヨタ自動車の社会・地域への貢献、人々への思いやりといった〝心の遺伝子〟を守り、なおかつ勝ち続けることは、本当に難しいことではないかと、素人ながらに感じる。


もうひとつ今回感じたのは、トヨタに関連する本はたくさん出ているが、それらはどうしても「トヨタはこうして成功した」という模範化された物語や分析だったり、過去の驚異的な成功を支えた伝説上の人物群像だったりしてしまう。いずれも、きれいに加工された語りなのである。

だが、実際の車づくりの現場というのは、本当に地道で緻密な、数千、数万を超す試行錯誤と改善と創意工夫の連続らしい様子である。

その積み重ねの上澄みの一番きれいな部分が、「自動車」として、私たちの目に触れているらしいのである。

堅実という言葉さえはるかに超えるその努力の万分の一が、ちらりと垣間見えたような気もした。こういう誠実な人々の働きのおかげで、トヨタの車は世界中を走り、日本の経済は回っている。ただ感じ入るほかなかった。


●午後、レクサスという高級車に乗せていただいて、名古屋まで送っていただいた。出家として、一生に一度かもしれない?貴重な体験だった(笑)。

世界に五百台しかないというレクサスLFAなんて、「匠」と呼ばれるプロフェッショナルが総力を結集して作り上げたもので、そのプロセスも完成品も、至高の芸術作品みたいなものである。


すごい世界を垣間見てしまった(笑)。技術と産業とココロザシの最先端を走る世界。


帰り路に遭遇した、台風一過の空に落ち始める日の金色[こんじき]が美しかった。




●なんか、終わっちゃった――という感じ。今回は、事前の打ち合わせも重ねていただいて、自分なりに微力ながらも勉強させていただいて、何がお役に立てるのかな、と考え続けた果てのあっという間のいっときだった。お祭りが終わった後の淋しい感じに似ている(笑)。美しい郷[さと]を後にしたような寂寥が残った。

伝えきれなかった思いのほうがもちろん強く残ったが、それでも日本経済を牽引し、また日本固有の尊い精神性、思いやりと技の卓越さを象徴する素晴らしい大企業の方々に、お会いできたことが光栄であり、ありがたかった。

もしいつかまたお会いできる機会があれば、そのときは今日以上にお役に立てるように、自分も心と技を磨こうと思った。ご一緒くださったトヨタ自動車の方々、本当にありがとうございました。


私もまた読者の方の幸福にお役に立てるような良質の本を送りだしてゆきたい。人間の営みはすべて、ひとを苦しませる方角ではなく、ひとを幸福へといざなってゆく方向にあるはずである。そうでなければいけないのである。

その方向を、読者の方々が共有してくれるような、私もまた「匠」をめざしたいと願うものである。


とても大きな体験だった。謙虚さと感謝と覚悟を与えられた一日だった。


※個人的な体験を語ることは、ためらう性分――あくまでひとさまと共有しうる仏教をお伝えすることが、この身の務め――ですが、いろんな感銘と学びをさずかった貴重な体験でしたので、あえて言葉にさせていただきました。ご理解いただければ、たいへん幸いです。


※そんな23日、トヨタ自動車から新車の発表がありました。十人単位のエンジニアの方が、タクシー会社を訪れて意見を聞き、乗客への「思いやり」を細部に、そして起業当時からお世話になっているタクシー業界への「報恩」を込めた新車なのだそうです(このあたりの心遣いが、私にはせつないほど響くのです)。街なかで見つける日が楽しみです。










出家、日本をゆく(日記2017年9月第5週)


こんにちは、草薙龍瞬です。

いよいよ10月入り。肌寒くなってきました。2017年もあとわずか三カ月!

やりきれぬまま残っている宿題がたくさんあります(; ;)。もうしわけありません……。


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金 10月 13日 18:30 ~ 20:30
朝日カルチャー新宿 自由な心にたどり着くための仏教・原始仏教編 第1回(全3回)

土 10月 14日 10:00 ~ 12:00
東武カルチュア 仏教は「上手な生き方&心の使い方」 - 東武カルチュア池袋校

月 10月 16日 18:30 ~ 21:00
座禅と法話のひととき 解説ガイドブックつき 神楽坂・赤城生涯学習館 和室

火 10月 17日 10:30 ~ 12:00
名古屋「仏教は暮らしに役立つ「心の使いかた」 その6・最後はやすらぎに帰る 栄中日文化センター

水 10月 18日 10:30 ~ 12:00東急BE二子玉川/13:30 ~ 15:00 東急BEたまプラーザ
座禅エクササイズと「心がラクになる」仏教こばなし

木 10月 19日 18:30 ~ 21:00
生き方としての仏教講座 神楽坂・赤城生涯学習館 教養A室 
特別編「苦しみの繰り返しを抜ける道」種田山頭火と原始仏教(解脱への道)

金 10月 20日 焼津講演会
★静岡・浜松・焼津近辺でご相談がある方、ご連絡下さい。
木 2017年 10月 26日 14:00 ~ 16:00
駒込・仏教のすべてを学べる講座 駒込地域文化創造館 JR駒込駅北口駅前すぐ

金 2017年 10月 27日 13:00 ~ 15:00
金曜午後のまったり座禅会 法話&茶話会つき  神楽坂・赤城生涯学習館 和室

土 2017年 10月 28日 10:00 ~ 12:00
東武カルチュア 仏教は「上手な生き方&心の使い方」 東武カルチュア池袋校

月 2017年 10月 30日 18:30 ~ 21:00
座禅と法話のひととき 解説ガイドブックつき 神楽坂・赤城生涯学習館 和室

金祝 2017年 11月 3日 10:00 ~ 12:00
生き方としての仏教講座 神楽坂・赤城生涯学習館 教養A室 「心を洗う修行法」

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出家、日本をゆく 2017年9月5週

9月26日(火)東武カルチュア

○心の苦しみを作っている最大のものは執着――その執着をもたらすのは、反応(漏れ)と業。

人間はたいてい、執着したまま生きていく。その執着がどこから来ているのか、どこにたどり着くのかも知らない(無明)のまま。 そこを抜けて、解放をめざすのがブディズム。

○午後、リクルート・Worksご取材。


9月28(木)駒込

○種田山頭火の続き。永平寺参籠(結局、元の木阿弥)まで。

○業は遺伝する。業が世代につれて減っていくのが、人間の進化。

○業を遺伝させないためには? ひとつは「親にはこんな業がある」と笑っていえるようになること。


9月29日(金)朝日カルチャー新宿

○教材「清浄行」(輪廻+流れる丸太)の続き。自分は蓮の花だと思って、にっくき家族づきあいを修行と思って頑張ろう(笑)。

○104歳の禅師・宮崎奕保老師(曹洞宗第78代管主)の映像。

※私はこの番組を深夜に見て、仏道の世界に関心を持つようになった。

居場所を求めて旅に出た。徳島の山深くの禅寺を訪問。無職の20代・30代の青年たち5人をあずかり、托鉢して食わせていた(ちょうどインスタントラーメンを茹でていた(笑))。

この寺で5年修行すれば、永平寺に世話してあげると言っていた。

日本昔話に出てくるような山奥の簡素な寺。働かない青年たちとお堂に起居している不思議な禅僧。「ここに5年……」というのが不安だった。大丈夫かな???という感じ。

結局その後、東北に向かい、さらにインドにゆき――。良かったのだと思う。

インドで仏教の現実を知り、ミャンマーの大学で仏教を体系的に学び、瞑想法を学び、あとは特技である独学で突っ走って、めざしたものを得た。

私の人生はこういうものである。誰かに仕えて忠実に学んでいくという道は取れない。どの人間の言葉も、度の合わない眼鏡をかけさせられている気になってしまう。

本質をつかむこと。慈悲にもとづいて、方法へと昇華すること。かつての独学時代は、こうした学び方の洗練・熟成のためにあった気がしてくる。今は、お役に立てればそれでよしである。


夜10時前に帰宅。椅子に座ると暖かい。サラが座っていたらしい(笑)(最近、椅子に味を占めた様子)。

ペットは飼い主に似るというが、本当だろうか。サラはマタタビに興味を示さない(何よ、バカにしてんの、という感じ)。快楽に耽らない。外に出ずっぱりで戻ってこない。独立独歩。そのくせ戻ってくると、膝の上でゴロゴロと甘えんぼ(ツンデレ?)。たまに公園で見かけると、灌木の下で瞑想?している。鶏肉が大好き。もともと公園に捨てられて一人ぽっちであった。いわば出家つながり?――たしかに共通項が多いといえなくもない?


次の本の原稿、いよいよ大詰め――ふたたび唯一無二の、純粋で美しい言葉が生まれるようになった。未来に自分で読み返して、心打たれるくらいの珠玉の言葉が理想である。