仏教講座スケジュール

●古い仏教のイメージから自由になりましょう。心の苦悩・現実の課題を越えてゆくことが、最も大事なこと。思い込みを捨てた時に、ブッダの教えの真髄がみえてきます。
●全国行脚は毎年夏! 講座・個人相談・法事など、ご希望者はご連絡下さい(クリック)
●仏教講座のスケジュールはこちらをクリック。 
●メール通信、配信中。
①お名前、②都道府県、③近況(本の感想・知ったきっかけ等も可)をひとこと 書いて koudounosato@gmail.com まで。※フリーメール着信拒否の設定になっていないか、ご確認ください。
●廃寺・空き寺・日本家屋を募集中! 生き方と教育と仏教をひとつの場所で――ご提供くださる方、ぜひご連絡ください。

インド・シュール十連発

1月末のインドにて

ここ数日、かなりシュール(超現実的)な状況だった。

1.
2月末に出る新刊『自分を許せば、ラクになる。』宝島社 のゲラ校正にかかりっきりだった。

村のある民家の二階に、私のために用意してくれた部屋がある。

その部屋に閉じこもって、朝から朝まで作業をしていた。

インドの農村だから、夜はみんな早めに寝て、朝早く起きる。
徹夜で起きている人間なんて、まずいない(いるとしたら、もはやビョーキである)。

私は、その部屋で朝の3、4時まで作業して、意識が朦朧として来たら、しばし横になる。

2.
日が明るくなると、ニワトリが鳴き出したり、犬が吠え始めたり、牛がわななき始めたりする。

3.
そして、家々で焚き火が始まる。たいていの家庭ゴミは自分たちで燃やしてしまう。それがたいてい朝。おそらくダイオキシンまみれの白煙がほうぼうから立ち上がり、二階で横になっている私の部屋にも入り込んでくる(いちおうガラス窓はあるのだが、インド基準なので、スキマが一杯あってそこから流入してくる)。

いちおう日本から持ってきたマスクをつけるのだが、やっぱり臭い(笑)。

で、起き出して、また作業。

4.
ありがたいのは、私が部屋にこもりっきりでも、ご婦人たちが、ご飯を持ってきて下さること。

朝はチャイとトースト。8時をすぎると炒飯みたいな朝食(チャイ&トーストは、なんというか、朝食には入っていない(笑))。

正午過ぎの昼食や、午後3時のおやつや、夕方のヌードルや、夜9時をすぎての夕食(これがインドではメインディッシュ(笑))などを、「バンテジー?」(和尚さんいる?の意)と持ってきてくれる。

ただ、腹にかなりもたれるので、執筆に専念せねばならない状況では、お断りする。

すると、無理には持ってこないし、日頃から決して干渉したり、覗き見たりはしない。

適当に放っておいてくれるので、とても助かる。

5.
作家さんで旅館やホテルに缶詰めになって執筆、というのはよく聞くが、

まさか、インドの農村の民家の部屋に閉じこもって、執筆作業の追われる日本人の物書きというのは、そうそうあるまい。2月末と、5月発売予定の本は、インドで書き上げることになる。なんともシュールである。

6.
さらには、この25,26,27日当たりは、インドの独立記念祭で、朝から晩までインド歌謡曲が鳴り響いている。ビートの効いたボリウッド音楽がけたたましく鳴り渡るなかで、耳栓しながら日本語の文章をときに朗読しながらの執筆である。これも相当にシュール(笑)。

7.
出版社の方とは、WIFIを使ってメールでやりとりする。「ドゥンガル」と呼ばれるUSB接続できるWIFI装置を、街から買ってきてくれる。便利な時代になったものだ。

校正かけたゲラを写メして、圧縮して、日本に送信するのだが、データ通信量が少ないので、50ページ分150MBくらいの写メを送ろうと思ったら30分以上かかってしまう。

8.
そして、ちょくちょく停電もある。そういうときは、携帯のライトをつけて、なるべく作業を続ける(とにかく出版間近のひと月前というのは、一番忙しい時期なのだ)

9.
そんなシュールな追い込みをかけて2月に出る本は、春夏秋冬に合わせて話が進む、季節感あふれる小説形式の仏教書である。

IT企業に勤める(描写から察するにけっこうイケメンの)主人公と、恋人と、国籍不詳の和尚さんと、言葉を発しない小僧さんと、里に出入りする人たちと、猫と、主人公の会社のパワハラ上司や同僚など、いろんな人物が出てくる。

これが、モノした本人がいうのもシュールだが、すっごくあったかくて、よい物語なのである(笑)。最後はみんな幸せになっていく。

10.
そして、最近知ったこれまたシュールな発見だが、インド人はほとんど虫歯がないそうなのである。

彼らは、朝起きた時に歯を磨く。その後は――一度も磨かない(笑)。夜九時すぎに最後の食事(かなりのボリューム)を摂るが、その後は歯を磨かずにそのまま寝る。信じられる?

それでいて、虫歯の人がいない。学校の朝礼でも聞いてみたが、160名以上の生徒と9人の女先生をあわせても、歯医者に行った人は一人だけ。それも、歯列矯正で行ったのだという(笑)。

インドには歯科医がほとんどいないそうだ。客がひとりも来ないから商売できないんだという。

虫歯菌を持ってないということ???? 実にシュールな国である。

歯を見せてもらったら、みんな丈夫そうないい歯をしている。ただあんまり磨かないものだから、お年寄りの歯をみせてもらったら、かなり汚い(笑)。ただ、それでも虫歯というわけではないらしいのである。

今回、日本の歯科医の方が、歯ブラシをプレゼントしてくださったので、持ってきた。

でも虫歯がないし、そもそも歯を磨く習慣がないというのである! なんというシュールさ。

「リティック・ロション(インドで有名なハンサムな俳優)が、黒い歯だったらカッコいいと思う?」(思わな~いと生徒たち) 

「白い歯だったら?」(思う~と返事)

「みんなもちゃんと磨いて白い歯じゃないとモテないからね。しっかり磨こうね」(は~い)

アイ・ハブ・ア・TEETH♪ アイ・ハブ・ア・BRUSH♪ AH! TOOTHBRUSH!!!!

とウケを取って(みんなPPAPは知っている。日本の坊さんが広めたのである(笑))、

子供たち一人ひとりに、日本の歯医者先生から特製歯ブラシのプレゼント。

じいっと見入っている。とても喜んでいた。

いろんなシュールが続く日々である。AH!
毎日辛いもの・甘いものを食べているのに虫歯がないのだそう
子供らに歯ブラシのプレゼント。真ん中の青年がラケシュ、左奥の赤ちゃんがノブとママ




流れ続ける川であるために

【出家、インドをゆく】
流れ続ける川であるために

一年ぶりにウダサ村に戻って気づくのは、子供は大人になり、動物たちの多くが亡くなっていること。

ラケシュの実家で買っていた緑のオウムも死んでしまった。隣の家の犬のサンディもラッキーも。

その代わり、新しい大きな体の犬たちと(昨年は子犬だったはずだが)何匹か出会った。

向かいの家の男の子ダトゥの黒犬は、一年経って巨大化していた(笑)。

ところが、私の姿を見ると狂喜して飛びかかって来た。多動性ナントカといっていいくらい、落ち着きがない。そしてお腹を見せて「なでなでして」とおねだりしてくる(日本でも見た光景のような気が……)。

そっくりの黒の子犬がそばにいるから、彼は父親なのである。だが大きいのは成りばかりで、まったく落ち着きなし。

野原にいる犬の何匹かとも、さっそく友だちになった。

ニュートラルハンドは世界共通(笑)

●十五歳になったという少年プラジワルは、背が伸びて、青年らしくなってきた。

一生懸命勉強していると本人はいう。ただ兄のプラヴィンは「こいつはぜんぜん集中してない」という。

それを真に受けたわけではないが、少年には「未来を大事にしてほしい」と伝えた。

まずは、自分の人生を自分の力で選べるように、勉強すること。そして人生を切り開くこと。

社会に出てしばらく生きていくうちに、キミにも転機がくるかもしれない。
そのときは、「本当の人生」をひとつ、選ぶ必要がある。

と同時に、次の世代のことも考えて、この社会の発展のために自身の役割をひとつ見つけてほしい。

ラケシュも私も、一年ずつ年を取る。そのうちこの世からいなくなる。

川の流れをつくる水が枯れれば、川の流れは途絶える。
一度途切れた川は、なかなかよみがえらない。

ブッダも、アンベドカル博士も、この時代を生きるわれわれも、いわば、ブディズムという大きな川の流れの一滴である。

その一滴が消えてゆく一方なら、川も消えてしまう。

ひとつの滴は、滴であることをまっとうし、次の滴につながっていかねばならない。

(年齢的に20歳も30歳も年下の)君は、やがて川の一滴となって、この大きな川の流れを支えていくのだ。私はそう願っている――。

そんな話をした。

●この地では、坊さんの言うことは、みな真面目に聞いてくれる。いろんな人たちが、日本人の坊さんに会いに、また相談しにやってくる。

動物も愛らしいし、人々も愛らしい。この地でやることは、今の状況でも、たくさんある。

川というのは面白いもので、水が水であるだけで、どこかに流れていくものだ。

水が水以外のものになろうと思う必要はなく、無理やりどこかに流れたいと思う必要もない。

水は水であるだけでいい。ときに留まり、ときに流れ、ときに空に昇る。水はつねに水のままである。

ただ、水のままであることで、確実にどこかに流れていく。川を作っていく。

真実は面白いものである。私は今、水のままであって、水以外のものになろうとしていない。

それでいて、流れてゆくのである。今、流れている。

いろんな命とのつながりのなかで。

朝8時すぎ、登校してきた子供たち
放課後の子供たち

ウダサ村の朝(砂路地の建物は昔幼稚園やってたところ)



分断ではない。共有を促すのだ。

1月22日
昨年まで、1月21日は、サレーという土地での式典に出席していた。

3年ほど前に地元の有志たちが土地を寄進し、ここにお寺を作ろうという動きが出た。

いちおう住職(寺の代表)を私が務めることになった。それ以来、毎年この日にみんな集まることになっていた。

ところが、今年は事情が急変し、私以外のある坊さんと、彼に近い政治家たちが招かれることになった。

寺の管理委員会が、方針を転換したのだという。ラケシュからその報告を受けたとき、

「まあ、いいんじゃない。だれであろうと、人々のために有益な活動をしてくれればいい」と答えた。

人間も状況も、ころころ変わるのは世の常である。場所のひとつを失っても、また新しい場所を見つけて始めればよい。

場所にも人間にも執着しなくていい。自分自身の方向性さえ見えていれば、この命を、思いと言葉と行いの3つを通して活かすだけである。何も失ってはいない。

そんな話をしていたのだが、その式典当日――今ごろ、その坊さんと政治家たちが集っている――に、

見覚えのある人たちが、わらわらとウダサ村にやってきた。

さっそく分裂してしまったらしい(笑)。インドにはよくある話。

いったい何が起こったのか聞いてみると、どうも地元に占い師っぽい夫婦がいて、彼らが私たちを締め出すようにというメッセージを発し始めたらしい。

彼らが何を言ったのかわからないが、寺の管理委員会の何人かはそれに同調してしまった。そしてどういうつながりかわからないが、

地元で有名で、しかも政治活動が好きな坊さんや、彼に近い政治家たちを呼び込むことになった。

ただその結果、寺の式典は、政治家の演説大会になってしまった。だが一部の人間たちは反対し、分裂して今日に至ったという。

こうした話は、この土地では日常茶飯事である。

●私は彼らにこう伝えた――

「あの場所にだれが来ようが問題はない。だが、あの場所は、

○すべての人に開かれていなければいけない

○教育 education活動――大人・親・若者・子供たちへの教育・啓発――のために使われねばならない


その条件を守らなければいけない」。

我欲・貪欲と慢で動く人というのは、自分をアピールして、他者を排斥する。その結果招くのは「分断」である。

だが必要なのは、あくまで慈悲にもとづく社会への貢献である。あの場所は「共有」されなければいけない。

場所が共有される限り、誰があそこでどんな活動をしてもかまわない。社会のために有益であればいい。そう伝えた。


「今日の式典が終わったら、また地元の人間を集めて話し合う」という。

「闘って、取り戻す」と言っている。心強い(笑)。まだ希望はあるということだ。


――それにしても、人間というのは、どうしてもひとつの性質を抜け出せないらしい。

「自分」というものを世界の中心に置いて、自分を見ろ見ろと訴えることに必死である。

「自分を見ろ」という発想だと、人々が他の方向・他の人間を見ることを許さなくなる。「自分」以外はすべて敵だ――そういう発想になってしまう。

だが本当は、敵などいない。すべての人間は、ただ役割分担しているだけである。

とくに僧侶という立場は、人々に慈悲の心と智慧と、行動の方針を伝える、ただの「役割」でしかない。「自分」など、僧侶・出家という生き方のなかには存在しないのだ。

役割を担う人間は多い方がいい。良質な病院がたくさんあるほうが、人々の健康に役立つように、慈悲と智慧を語れる僧侶は大勢いるほうが、人々の幸せに役立つ。

分断・敵対を煽るほうが、どうかしているのである。

ところが、なかには「自分大好きな人間」がいて、彼らはどんどん分裂を作っていく。

今やこの世界は、「自分大好き」というエゴが生み出す分裂・分断で覆われつつある印象もある。

この地で起きていることも、そうした現代的現象のひとつといえるかもしれない。

ただ、起きているのは、仏教徒「内部」の分断なのだ。

――こういうときは、嘆いても憤っても始まらない。結局は、自分自身の①動機と、②方向性と、具体的に何をするかという③現実の行動 の3つをそろえるしかない。己に集中することだ。

自分自身が定まっていれば、外の世界の動揺は、大したことではない。

何かを失ったように思うことがあったとしても、あとになってみれば、何も失っていなかったということのほうが多いものである。

昨年までつながっていた有志たちが早速会いに来てくれたというのは、吉報だ。
こうした前向きさと友情も、インドにはよくある話。
ただ歩き続けるのみである。


●今日は、学校で、日本の人が寄贈してくれた鉛筆とゼムクリップを全員に配った。

ゼムクリップは、教科書の該当箇所をすばやく見るために、不要なページを閉じることに使ってみようという話。

けっして鼻をクリップしないように、と実演してみせると、みんなケラケラ笑っている。

朝の授業は、カバティというスポーツ。生徒が石灰を手ですくって落としながら線を引いている。その手は真っ白。

ペットボトルの底を切り取って、石灰を入れて、キャップ口から出しながら引けばいいというと、「思いつかなかった!!!」とラケシュが笑う。こういうのも智慧である(笑)。


教室の様子(机&椅子が必要)

カバティやってます

今朝のノブ(あだ名:のび太から来ているそう(笑)本名はリュウシュン)







サラちゃん編・ブッダの教え「求めても得られニャい苦しみ」

【興道の里メール通信・インド発直前のものです】

とある日の朝のできごと

和尚:ロフトベッドから降りてくる。

モフモフボックスで寝ていた
サラちゃん、さっそく起き出してあいさつする。

サラ:おはようございまちゅ(と前足を伸ばし、背筋をそらせてあいさつ)

和尚:はい、おはようございますぅ~~。

サラ:にゃ~~~~(エサくだちゃい。あのちゅるちゅるしたの♪

和尚:はいはい、朝ごはんでちゅね~~待っててくださいね~。(台所で準備。今日は安いカリカリしかない)。はい、どうぞ~。

サラ:・・・・・・(なにこれ? うらめしそうに肩越しに振り返って、和尚を見上げる)

和尚:今日はこれしかないんでちゅ。ごめんね~~。

サラ:・・・・・・(しかたなく、カリカリ)。

サラ:にゃ~~~~!(おそとに あそびにいきまちょう!)

和尚:どうしたんでちゅか? なにを訴えているのでちゅかぁ?

サラ:にゃ~~~~!(おそとでちゅ、きのうもいってないでちゅ!)

和尚:まあ、そんなかわいい声で鳴いて♪ 

サラちゃんはカワイイでちゅねえ。すごい因縁でちゅねえ。
猫と人間の一万年の歴史のはてに、あなたとわたしのつながりもあるのでちゅよ。すごいでちゅねえ。

サラ:にゃ~~~~!(なに わけわからないこと いっているのでちゅ! おそとでちゅ!!)

和尚:え? お外に行きたいのですか? はいどうぞ。ガラガラ(と窓を開ける)

サラ:・・・・・・・(ちがうでちょ? おしょさんも いっちょに いくでちょ?)

和尚:ごめんねぇ。お仕事たまってて、お外に出られないのでちゅ

サラ:・・・・・・・(不満そうにじーっと見つめている)

和尚、さっそく作業開始する。

サラ、しばらく椅子の周りをうろうろ。椅子の下に坐り込んだり、椅子の後ろで固まっていたり――。

やがて業を煮やして、ピョン!と和尚の膝に乗っかる。

和尚:あらあら、どうしたのでちゅか!

サラ:にゃ~~~~~!(おそとにいけないなら、なでなでしてくだちゃい)

和尚:そうでちゅかぁ、サラちゃんは、ピョン!と乗っかるのですね。これからは、サラぴょん と呼びまちょうね~~!

サラ:・・・・・・・(もとめても ズレてる くるしみでちゅ(泣))


●しばしのお別れを偲びつつ、サラちゃんショット3連発
一緒に読書中のサラちゃん

膝の上で超リラックスモード

ご機嫌サラちゃん

※サラぴょんは、和尚のインドゆきにそなえて、とあるしんせつなひとの家に、いそうろうにいきました(=^・^=)!

今回は冷蔵庫裏(去年隠れてた)から出てくるのが早かったそうです。エライ!


【号外】2年ぶりの新刊、2月刊行です!

【興道の里2018・号外】

こんにちは、草薙龍瞬でございます。ただいまインドに来ております(いろいろ大変です@w@;)。
 
突然ですが、最新刊の刊行日が正式決定しました。2月22日木)です。あとひと月!

タイトルは、
自分を許せば、ラクになる。 
 ブッダが教えてくれた心の守り方』 宝島社 です。
 
●今回の特徴は、物語(ストーリー)です。

仕事・人間関係・恋愛など、何もかもがゆきづまった主人公が、

とある寺を訪れて、仏教を学んでいくうちに、

自分の苦悩の謎が次第に明らかになっていく――という物語です。



舞台は鎌倉……をけっこう離れた(笑)、関東のとある山寺を想定しています(もちろんフィクションです)。

そこに、謎の和尚さんと、6歳の小僧さんと、猫が棲んでいます。その場所では、仏教講座をやっていて、全国からいろんな人たちが来て、仏教を学んでいます(フィクションです(笑))。

主人公の青年は、ある春の日にその寺を訪れます。そこで「自分が長年抱えていた正体不明の憤り(怒り)」の謎を解き明かしていきます。

寺での体験と、仕事の場面を交互に交えつつ、春・夏・秋・冬を経て、

一年後には、新しい自分 にたどり着く、という物語です。



●内容は、あくまで仏教を学ぶ本であり、仏教・自己啓発・人生論に属します。

ただ、ビジネス・人間関係・モチベーション・男女&親子関係も、カテゴリーとしては当てはまります。登場人物に合わせて、いろんなテーマが出てきます。

なかでも最大のテーマは、怒り――です。

ゆるせない=現実・自分を受容できない満たされなさを、どう乗り越えてゆくか。

読者が、主人公と一緒に、季節ごとの体験を経ていくなかで、

徐々に癒しと解放――ひとも、自分も、過去も、人生もゆるせる境地――にたどり着く、

そんな道筋がみえてくるように描かれています。

もちろん『反応しない練習』にみられる、合理的なブッダの考え方・ノウハウがちりばめられていることも、特徴です。


●もうひとつの特徴は、 物語であること。主人公を語り手とする小説的な流れになっています。

物語(ストーリー)として純粋に楽しめる
癒される
かつ
仏教のノウハウもしっかり学べる

という一石三鳥の、かなりユニークな本です。




●こんな人は、ぜひ読んでみてください――

○仏教の本質(ブッダの合理的考え方)を学びたい方

○職場での人間関係に悩みがある方 


○交際中の人・結婚している人・男女関係で悩んでいる人


○お仕事をお持ちの方


○「里」と呼ばれるお寺っぽい場所でのでの生活を疑似体験したい方(フィクションですが(笑))


○『反応しない練習』『これも修行のうち。』KADOKAWA、
『大丈夫、あのブッダも家族に悩んだ』海竜社 を好きになってくださった方。

そして、
小説・物語・ドラマが好きな方 
――今回は読み物として楽しめるはずです。映画を観るつもりで、ページを開いてください。

 

●今回は、カバーイラストが、春の山をモチーフにした、あたたかい絵です。


装丁も素敵です。章扉にも、季節感が出るように、工夫してくださいました。

見た目も中身も、ほんとうにあたたかみのある、すばらしい本になりました。

今回も、しっかり手づくりで、一字一句、心尽くして書きました。

私が尊敬するアニメーション監督だって、一本つくるのに3年かけるのですから(笑)、

私も毎作、じっくり作っていきたいと思います。


全国の書店でご予約受付スタートしました! ぜひ書店にご注文ください。

読み終えた後に、

「さあ、人生はこれからだ」

そんな感想を持っていただけたら、幸いです。

新しい季節の到来にぴったりの素敵な本です。ぜひ見つけてみてくださいね。





出家、インドをゆく  十年目の困難


1月
●インドに入って最初に聞いたニュース。

マハーラシュトラ州のとある市で、仏教徒の記念式典中、ヒンズーの人々から襲撃を受けた。

投石で、行進中の女性と子供たちが大勢負傷した。車にも火をつけられた。それ以来、仏教徒たちは不安と恐怖におののいているという。

また、私たちが寺院建立を進めつつあった土地は、仏教徒内部の妨害工作によって、現在使用できなくなっているという(あまり詳細には語れない複雑な政治的事情がある。つくづく人間の我欲・エゴは恐ろしいものだ)。

この地に来るたびに、殺伐とした事件・話題を耳にする。

季節は1月だが、昼間の太陽は、日本の真夏のように容赦なく、土は渇いて風が吹くと空気が白く濁る。至るところにゴミが散乱しているのは、人間の所業である。

なかなかよい方向性が見えぬ土地であることを、いつもながら実感する。


●学校の運営もなかなか厳しいらしい。167名の生徒のうち、月の授業料250ルピー(450円くらい)を払えない子が、4分の1もいる。

その4分の1というのは、インド政府が授業料を免除するようにと命じているためだという。アウトカーストや指定カースト、年収が40000ルピー(72000円)未満の家庭の子は授業料を免除しなければいけない。

そのぶん、政府が学校に手当てを出すかというと、それはない。しわ寄せは学校の運営に来る形である。

初日、さっそく一年ぶりに生徒たちに会ったが、教室2つを増設したとはいえ、レンガは昨年同様むきだしのままで、見ためからして「経営が苦しそう」だった。

比較的裕福な子供らは、近くにできた、授業料高めの私立学校に転校してしまったという。どおりで昨年見かけた子供らがちらほら抜けている。

もともと授業料設定が安すぎたというのもあるが、どうも、うちの学校は、運営困難のスパイラル――授業料を払えない子が多い​ ​⇒ 先生にいいお給料を出せない ⇒ 授業の質が落ちる ⇒ 裕福な子・教育熱心な家庭の子はほかの学校に流れる――におちいりつつあるような気がしなくもない。

現地のマンパワーは確実に落ちつつある現実は否めない。十年前に社会活動をしていた青年たちは、着実に年を取った。私たちのグループから離れていった人間もいる。

もしこの地に、ラケシュという稀有な青年がいなければ、今の形は続いていないはずである。

なんとか滞在期間のうちに、​多くのことを話し合い、次に何をなすべきか、しっかり方向性を共有したいものだ。


●ラケシュとシタル(妻の名前)の息子は、1歳になった。正式な名はリュウシュン、あだなはノブという。

一年前は、生まれたばかりのノブと対面したのである。今は目の大きな幼児。今回、人見知りして泣くかと思ったら、まったく泣かない。すっかり懐いてくれた。

ノブは、私が今回来たその日からいきなり直立で歩き始めたという(笑)。もちろん手をついたり、転倒しそうになったりとあぶなっかしいのだが、確かに必死で歩こうとする。

日本から持ってきたおみやげ(みなさんから贈ってもらったもの)のうち、レゴと、走る新幹線模型が気に入ったみたい(笑)。

それ以外のおみやげも、つかんではポイと投げる動作を繰り返す。(いや、よくこれだけの量を日本から持ってこれたものである。飛行機はすごい(笑)。ご協力下さった方々ありがとうございました)。

夕食の時は、歩行器に乗って、赴くままに部屋をグルグル駆けまわっている。ルンバの動きみたいに壁にぶつかっては跳ね返ってということを、うきゃうきゃとご機嫌な声を挙げながら繰り返している。

夜は、村の寺にて、集まった村の女性たちとも再会。

このコミュニティはあまりに小さな世界である。女性たちと、ラケシュとその友人たちで、この善意の活動はかろうじて回せている。

だが、一歩外に出れば、同じ仏教を奉じるはずの僧たちでさえ、我欲を押し通し互いに反目し合っている現実がある。

ブディズムというものをこの地で伝え残していくためには、現状はかなり危機的である。

なんとかせねばならぬ――とは毎回思う。


二人のリュウシュン

2561年/2018年 新年始まりました

2561年/2018年1月4日

こんにちは、草薙龍瞬でございます。

新年あけましておめでとうございますううううううううう!
(と染之助・染太郎師匠風にいちおう言っておきます。世俗の習わしに合わせて(笑))

年末年始は、みなさんの静寂を邪魔しないようと、私もしっかり静寂行に努めました。

新刊原稿を書く作業と、

まん丸いお月さま(スーパームーンでした。さだめし月面は光の海でありましょう)、

そしてサラちゃんのスズメ捕獲事件、くらいがこの一週間の出来事――。

朝方、サラがスズメをくわえて部屋に戻ってきたのです!!!

「あのねえ、スズメさんには冬はとっても厳しい季節なんですよ、夏と違って、公園の地べたをはってる時間が長いでしょ、あれはエサを必死で探しているからなんですよ、体力も落ちているし、ほんとにつらくて大変な季節なのです、それなのにあなたは……」

と言ってみても、ノーリアクションです(こういうときに限って^△^;)

目は捕獲者モードでまんまる黒目のまま――。

お便りの中に、「有情(心を持った生き物)しか悟りがひらけないのは疑問」みたいな質問がありました。

無情――心を持たない生き物、つまり鉱物とか植物とか(植物を入れていいのかは議論できそうですが)――は、悟りを開けなくて、

有情――心を持つ生き物のみ、悟りを開ける、みたいな話が、たしかに仏教の世界にはあります。

これは、本能と、煩悩(心の動き)とをともに「気づける」――客観的に理解できる――高度な知的能力を持たないと、その心から抜けられない、

だから「輪廻」(苦しみの繰り返し)からも抜け出せない、

という意味では、正しい分類です。

でも、人間の中にも気づこうとしない人はいるし――というか、そういう人のほうが多いかもしれないし――、

まして動物なんて、本能だけで生きてるようなものなので、「気づき」に心を使うといった高等メンタルは、やはり持つことはほとんど不可能かもしれません。

サラが、スズメの人生を「悲の心」で思いやったり、

「わたしは いま どんよくで はんのうしています」

なんて自分に気づいたりということは、まずありえない(たぶん)。

だから、「有情」のうちの大部分は、その心を繰り返すだけ、というのが、仏教的な説明になります。

とはいえ、サラは「罪」は感じてない。「悪」とも思ってない(私につい手を出したときは、その後ごめんなちゃいという顔を見せることもありますが、すぐ「しれっ」としてます)。

引きずらない、という点では、けっこう「徳が高い」生き物にも思えたりしなくもない――。

ともあれ、サラを部屋からしばし追い出し、羽で散らかった部屋を掃除し、お弔いしました。すずめさん、ごめんなさい。


なお、メールでお便り下さる方には、今現在、自動返信モードになっていますが、みなさんからのお声はありがたく受け取っております。

お子さんが生まれたあとの近況とか、ご家族の幸せな様子をお聞きできると、ほっこりします。

ひとは、苦しみのない方角を、心の自由を、幸福を、
ちゃんとみないといけませんね。

善き方向性をつねに見続けること。

でないと、心はすぐに暗い方向に反応して、引き込まれてしまいますから。


今年も精進してまいりましょう!

本年もよろしくお願い致します。

草薙龍瞬敬白合掌