仏教講座スケジュール

●古い仏教のイメージから自由になりましょう。心の苦悩・現実の課題を越えてゆくことが、最も大事なこと。思い込みを捨てた時に、ブッダの教えの真髄がみえてきます。
●全国行脚は毎年夏! 講座・個人相談・法事など、ご希望者はご連絡下さい(クリック)
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●メール通信、配信中。
①お名前、②都道府県、③近況(本の感想・知ったきっかけ等も可)をひとこと 書いて koudounosato@gmail.com まで。※フリーメール着信拒否の設定になっていないか、ご確認ください。
●廃寺・空き寺・日本家屋を募集中! 生き方と教育と仏教をひとつの場所で――ご提供くださる方、ぜひご連絡ください。

4月28日新刊『自分を許せばラクになる』無料座談会

【講座日程】
◆4月 26日(木)14:00~16:00
駒込・仏教のすべてを学べる講座 駒込地域文化創造館 
◆ 4月 28日 (土)  10:00~12:00
東武カルチュア池袋 仏教は「上手な生き方&心の使い方」
◆ 4月 28日 (土) 18:00~20:00
著者と語る『自分を許せばラクになる』無料座談会 
神楽坂・赤城生涯学習館 教養A室 
新刊が出るごとに、無料座談会を開こうと思います。本だけ持ってお気軽にいらしてください。
◆ 4月 29日 (日)18:00~20:30
座禅と法話のひととき 神楽坂・赤城生涯学習館 和室
◆ 4月 30日(月)18:00~20:30
生き方としての仏教講座
◆ 5月 3日(木祝)18:00~20:30
生き方としての仏教講座 神楽坂・赤城生涯学習館 教養A室
◆ 5月 4日(金祝)
14:00~16:30 座禅と法話のひととき 神楽坂・赤城生涯学習館 和室
18:00~20:30 生き方としての仏教講座 神楽坂・赤城生涯学習館 教養A室
◆ 5月 6日 (日)  18:00~20:30
座禅と法話のひととき 神楽坂・和室
※神楽坂での仏教講座は、ひとまず原始仏教編をやります。昨年までと同じ教材(適宜改訂あり)を使用する予定です。・・・・・・・・・・・・・・・・・・

こんにちは、草薙龍瞬です。

あちらこちらで講座が始まりました。「本を読んで、ライブで話を聞いてみたくなった」という方が、やはり多いです。

「道を求める」人たちは、確かに存在します。実際に聞いて学べる場所を、今後も守っていきたいと思います。

★4月28日に最新刊『自分を許せば、ラクになる。』の無料座談会を開きます。
本の内容についての質問・感想を、ざっくばらんにお聞かせください。お茶会的な気軽なノリでやりましょう。
制作上の裏話もお話します(物語のどれくらいが実話なのかとか(笑))。
完全フリーですので、本一冊だけ持って、いらしてください。
新作スタンプを押させていただきます(笑)。

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最新刊についての感想と、著者のコメントです。

今日 書店に予約していたご本を受け取りに行って、読ませて頂きました
まだ途中ですが、余りにも心に響いて感動したのでメールしてしまいました!

和尚さんに『慢』だと言われている場面は正に自分自身が言われている様で泣けました
それと、主人公の性格が私にも当て嵌まる部分が多く、感情移入や想像がとてもしやすく、頭にスーッと入って来ました

私も先生のご本を拝読しながら疑問や質問が浮かぶのですが、それが主人公と同じで、それを和尚さんに聞いてくれて、返事を戴けるという夢の様な状況!を実現させて下さってありがとうございます


自分を許せば、ラクになる、素晴らしい本でした。
自分のことかと思ってしまうほど主人公の迷いや慢心に心当たりを感じ、
和尚さんとの会話は自分が里で学んでいるかのようでした。

自分を苦しめていた(る)のは自分なのだと、頭での浅い理解ではなく、
心が突かれるような思いとともに実感しました。
繰り返し繰り返し、読んでいきます。この本を届けてくださったことに感謝しています。


(著者から)
――「自分のことのようだ」という感想を、毎回たくさんいただきます。ありがとうございます。

サティの修行というのは、自身の心を観察対象として、人間の心そのものを見尽くしていく作業です。

だから、自分自身を理解するとともに、人間の心そのものをも理解することになります。文章を書く時は、その理解をもとに言語化していきます。

また、講座の中でのみなさんの話や、相談者の声を通して見えてくること、メールでお寄せいただく感想や近況、

そしてもちろんかつての自分自身の苦悩もまた、精緻に思い起こして、言葉にしていきます。

なので、「人間の心」を忠実に書き表しているのは、確かです(想像や脚色・演出はなく)。だから、リアルに受け取ってもらえるのかもしれません。

ちなみに、最新刊の主人公「僕」は、かつての草薙龍瞬なのかというご質問をよくいただくのですが、それは違います(笑)。

たぶん、もっと悩みの根っこが深かったかと(笑)。ただいくつかの重要な場面は、私自身の思い出をもとにしています。どの場面かは、座談会でお話しますね。


『自分を許せば、ラクになる。』繰り返し読んでいます。
毎日、まだまだ反応しつづける日々ですが、
千歩禅を行ったり、通勤途中に感覚を意識したり、
この本を読んでからさらに身近に反応・執着に目を向けられるようになりました。(怒っているな、パニクってるな…など客観的に見れたりとか)


――「千歩禅」は、自分の雑念状態をチェックする一番手頃な方法です。毎日一度はやってみてください。


★ちなみに、
『反応しない練習』は、反応について。
『大丈夫、あのブッダも』は、業について。
次に出る予定の「出家的生き方」の本は、執着について考察した本です。

反応・執着・業をまとめて「苦しみの原因」とするのが、仏教の体系です。
なので、次の本をもってひとつの「体系」が完成します。

『自分を許せば』は、苦しみの原因を三つをまとめて、「感情移入できるように」物語形式にしたものです。

おそらく今後は、原始仏教の理論的な解説書と、漫画を交えたライトエッセイ的なものへと、スタイルを広げていくことになるでしょう。

とりあえず、表現可能なスタイルにすべて挑戦したうえで(今のところ、半分くらい表現したところ)、

その範囲内でいろんな本を出していくことになりそうです。

本を書き続けることは、正直かなり難しい時代ではあります。どの世界もそうでしょうが、生き残れる人はひと握り。

ただ「後世に残すとしたらこの本」と思っていただけるように、毎回ベストに挑戦していきます。

草薙龍瞬の強みは、自分の筆で書いていること。読者のみなさんへの誠意でもあります。


どんな人生も、乗り越えていくことに意義がある。
困難を恐れてはいけませんよね。

ひきつづきご同伴ください。
草薙龍瞬

あえて反応する練習?「近所迷惑」にどう対応するか?



Q【ご質問】

教えていただきたかったことは、『反応しないことは、無理してガマンすることや、無視すること、無関心でいることではないP)』に関してです。



道路を隔てて斜め向かいの家に住む高校生くらいの少年が、友達を自宅に呼び入れて夜中に騒ぐようになりました。



見れば彼らは、時折、家からタバコやゴミを道路に投げ捨てています。
私は、元気のいいことだと思いつつも、彼らが捨てたものをコッソリ拾い集めては、代わりに捨てて様子を見ていました。



しかし、春休み期間中であるためか、彼らが夜中に集まる回数はどんどん増えていって、ついには2日に一度ほどになってしまいました。



こうなると、私も自分の家の玄関を出たときに、道路に散らばっているゴミを見ることが増えて、ウンザリすることが多くなってきました。
時には私の家の敷地にもゴミが転がってきています。

これはまさに「反応しない練習」で学んだことを生かす良い機会ではないかと思いました。



まず、自分の感情をよく見てみると、少年たちに対する怒りや、懲らしめてやりたいという気持ち(※1)が見え隠れしています。
このままその思いに付き合えば、余計に怒りが強まりそうです。



そこで、「反応しない練習」を見返してみると、
『人は悩みに直面したときに、つい反応して「闘おう」としてしまいます。……しかし真相は「闘って勝てる」ことは、人生にはほとんどありません。……新しい生き方、もっと合理的な考え方が必要とされているのです。



その合理的な考え方の一つが、「ムダな反応をしない」という心がけです。』とあります(P23)。



しかしこれは、相手に無関心でいるとか、「我慢する」ことではありません。……ただ、「我慢する」というのは、正確には、相手に我慢しているのではなく、「自分の怒りを抑え込んでいる」状態※2)なのです。……そのまま我慢しつづけると、ストレスが溜まって、どんどん苦しくなります。(P117118)』と書かれています。



つまり、この場合、自分が怒りを持っていることを認識しながらも何も行動を起こさず、ただコッソリとゴミを片付け続ける(※3)ことは、苦しくなるだけということになります。



ここで、ちょっとした心の葛藤(※4)が生まれます。



騒いでいる少年たちを捕まえて、「ゴミを捨てるな。夜騒ぐな。」と伝えることは、「闘おうとすること」であり、立派な反応なのではないか(※5)との疑問がわきました。そうかといって、何も行動せず「無理に我慢すること」は、それはそれで違うのではないかとも思いました。



再度「反応しない練習」を見返します。(★ありがとうございます^^



『伝えることで相手が理解してくれる可能性があるなら、「理解してもらう」ことを目的にすべきです。……「こういうことはやめてほしい」と思うなら、「やめてほしい」と伝えることです。……それを相手がどう受け止めるかは、相手の領域です。様子をみることにしましょう。(P119)』とあります。



この事例では、相手が理解してくれる可能性があるかどうかは判断できません。ろくに言葉を交わしたこともないからです(言葉を交わすとすれば、この問題を避けて通ることはできなさそうです)。



伝えた結果、すんなり理解してくれるかもしれませんし、伝えた直後に掴みかかってくるかもしれません。

少年とはいえ、凶器を隠し持っている可能性も否定できないため、「やめてほしい」と伝える場合には、こちらもそれ相応の覚悟が必要となります。仮に私が一般的に腕力の弱い者(女性や子供等)であれば、なおさらだと思います(※6)。


最後に「反応の源を断つ」、即ち相手との距離を置くこと(P142)も考えられますが、少年らが集まる家と私の家との距離は物理的に近すぎるため、この方法も難しいと言えます。


私は、ここまで考えた結果、最寄りの警察署に少年らのことを電話で伝え、見回りを増やしてもらう(※7)ことにしました。

その後、警察が指導してくれたためか、単に春休みが終わろうとしているためかはわかりませんが、幸いにも彼らが騒ぐことはなくなりました(いまのところですが(笑))。

この出来事を通して、私は、自分が「ムダな反応をしないこと」や「正しい理解」を実践できたのかはあまり自信がないな、というのが正直なところです。

「慈・悲・喜・捨」の動機に立って行動できたかもあまり自信がありません。怒りに任せて少年の家に怒鳴り込むようなことはしませんでしたが…。

この事例のように、人間関係において「相手がこちらの思いを理解してくれるかわからない」上に、「相手と距離をとることが難しい」ケースは多々あるのではないかと思います。また、そのような現実と直面して苦しんでいる人は大勢いるのではないかと思います。

「反応しない練習」は、草薙様の著書のうち、考え方の基礎となる総合入門書のような位置づけであると勝手に思っておりますが、できれば上記のような点も考慮した考え方もご紹介いただければ有難いと思った次第です。長文にて失礼いたしました。有難うございました。

・・・・・・・・・・・・

――ご質問は、以上です。読み方がとても緻密でしたので、全文引用しました。

とても正確に本の内容を理解してくださって、日常生活に活かそうとしてくださっています。

著者としては、たいへんありがたいです。しっかり受けて止めてくださっているのだなと感じ入ります。


A さて、ブディズムにてらせば、どう対応するか?――ですね。

まず、「自身の感情を見る」というところが出発点です。「怒りや、懲らしめてやりたいという気持ち」(※1)を理解する。

そのうえで、①「自身の心」と、②「関わり方」とを、分けて考え――ことになります(反応しない練習p97)。

①まず、「自身の心を理解する」ことから始めましょう

怒りがあると理解する――問題は、その後です。

ここから反応に流れると、

○抑え込む(我慢する)(※2)&「コッソリとゴミを片付け続ける」(※3)
○(怒りがあるからこそ)葛藤が生まれる(※4)。
○「ゴミを捨てるな。夜騒ぐな。」と伝える=「闘おうとする」(※5)。

――ということになります。「怒りを前提とする反応の一群」ですね。ごく自然な反応ですが、ストレスが溜まります。

ブッダの考え方においては、この一群の部分が変わってきます――

怒りを理解する――で終わるのです。理解しました、終わり」です。

正確に言えば「止める」のです。
自身の怒りを前提として反応しない。その反応を追いかけない(これらの一群は「妄想」として理解する)」。

なので、※2から※5のリアクションは、出て来ません(出てきても、追いかけない)。
怒りそのものは、そのうち消えていきます。

この流れとは別に、「関わり方」のほうを考えることになります。

②「関わり方」を考える:

この部分は、正しい動機=心の土台に立って――ということになります。

(中略)




●ちなみに、ここから先は、余談も含めてですが、
 
相手がマナー違反の困った人たちであっても、ブッダの考え方にもとづけば、慈・悲・喜・捨に立って関わることになります。

悲の心 ⇒ 近所の人たちが迷惑していないか、と考える。
喜の心 ⇒ 高校生たちが楽しくやっている^^)とまず受け止める。

なので、近所の一住民としてクレームを伝えることになった場合は「楽しんでいるところ申し訳ないけど^^という伝え方になるかもしれません。

ちなみに、『これも修行のうち。』で、「深夜に踊って騒ぐインド人の青年たち50人」と向き合った時は、まさにそんな感じでした

「うるさいなぁ」「まったく、なんて連中だ」と反応してしまうと、こちらにストレスが溜まるし、相手も怒るだろうし、ということで得策=合理的ではない、という理解が前提としてあります。

だから、あくまで悲の心に立って、宿泊客が困っている 
⇒ 理解してもらえないか。協力してもらいたい、どうだろう?


と働きかけることになります。



それでもなお相手が受け容れようとしない・逆に怒り出す、ということになれば、これは別の問題――①警察にお願いする ②我慢する、③無反応を通す(笑)、④その他の手段を採る(法的な手段も含めて)etc.――という話になります。



なんらかの手段をとるのが、逆効果・マイナス・現実的でないということであれば、③「我慢する」、④無反応で通すのも、正解です


幸いに、「インド人青年50人」はわかってくれました。いい友達になれました。


●ちなみに、本には書いてませんが、同じ旅で、「まったく聞く耳持たない、直径1メートル近いスピーカーでインド音楽ガンガン、夜通し鳴らす白のタンクトップオヤジ」にも遭遇しました。


このときは、日本人の旅行者を複数人案内していたので、そのまま許容するわけにはいきません。そこで、


怒りではなく、悲の心に立ち、
「日本の人たち」
「インドのこの地域の人たち」「同じ宿に泊まっている人たち」
+「夜は静かに眠らせてほしい私」(笑)

のことを想って、

まずは、私が直接事情を話し(まったく通じず)、
宿のマスターに話してもらい(これも通じず)、

地元警察に連絡しましたが……オヤジは警察の言うことを無視(笑)。


そこで、さらに方法を考えて、

日本人パスポートを宿の青年に持たせて、州警察のほうに行ってもらい、
「夜10時以降は音楽を鳴らさないというのは、インドの法律になっている」
「地元住民に迷惑」(なおここは、インド文化からすると、あまり説得力がなく(笑)。「深夜にガンガン」は日常茶飯事なので)
「外国人の観光客を案内している。彼らに安眠させてほしい」
「インドの警察官=あなたたちが頼りだ。インドの州警察は優秀な方たちだと期待している I hope You Indian State police are very respectable officers

みたいなことを、訴えてもらいました(笑)。


そしたら州警察から、ヒゲ生やして、サングラスかけて、バカでかい(笑)おまわりさんたちの一団が、ジープでやってきて、



それでも抵抗しようとする(笑)アンビリーバブルな白のタンクトップオヤジの腹に、ドスッと一発コブシを入れて、ぐうと唸ったところを、ブチンと電源切って、


深夜3時近くになって静寂が戻った――ということもありました(笑)。


●関わり方は、いろいろです。方法は無限にありえます。
 
ただ、分けるべきは、①自分の反応と、②関わり方――それぞれにつき、どう心を使うか&どう組み立てるかです。

近所迷惑というのは、よくあるテーマですが、

「反応しない」=理解して、止める、というのと、

社会・コミュニティへの「悲の心」にもとづく行動(そのゴールは、相手の理解と、状況改善)

を、分けて考えることかもしれません。


②の部分に、怒りや、「正義感」という名の慢があってはいけな(あったとしても、次への前提になってはいけない)わけで――ここが、心がけということになりますね。


私も工夫しつつ、日々対応しております^^。

引き続き考えてまいりましょう。またご質問お寄せ下さい^^


※詳しくは、『反応しない練習』『これも修行のうち。』(ともにKADOKAWA)をご覧ください。